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2013年の1年間に読了した111冊の全記録

メディアマーカーに記録した僕の2013年の読書記録です。読了順(逆順)です。

期間 : 2013年
読了数 : 110 冊
漂流老人ホームレス社会
森川 すいめい  / 朝日新聞出版 (2013-04-01)
読了日:2013年12月27日
ふとしたきっかけで読み始める。

2010年に東京で暮らし始めたとき真っ先に驚いたのは浮浪者の多さだった。御徒町や秋葉原にダンボールを積み上げて寝ている男たち、時には女たち。上野公園を散歩していたらどこかの宗教団体が行っていた炊き出しを見かけたこともあった。熊本ではめったに目にしなかったので首都はたいへんだなあと驚いた。だがよくよく思い出してみれば10年ほど前は新宿駅から都庁に向かう地下道にはびっしりとダンボールハウスが並んでいたのだった。たしか15年くらい前に強制撤去されたんだっけ。彼らはどこへ行ったのだろう。すっかり忘れてしまっていたのだ。

視覚には捉えられても記憶にない透明な存在。いや正確には気になっているのだけどあえて見えないことにしていたのが彼らなのではないか。この本を読み進めるにつれ、一番怖いのはそんな自分だ、と感じた。

読後、衝撃を受けた。まださっき読み終えたばかりだから、何も書けない。それくらいの衝撃だ。
海女(あま)のいる風景
大崎 映晋 / 自由国民社 (2013-03-29)
読了日:2013年12月25日
2013年、すっかりNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」にはまった妻が買っていたので表紙に惹かれ、読む。
何が、とは書かんけれどあまりに美しい。女たちが舟に乗り、漁場で潜る。裸で潜り、魚介類を採り,稼ぐのだ。
現代的な漁業ビジネス、みたいなのとは異質の、たぶん縄文時代以前からの数千年の歴史を持つスタイルが美しいのだ。採って、調理して、食べる、食べさせる。シンプルなようでいて複雑な技量と鍛錬を要求する荒々しい世界でもある。そしてそれを追いかけ、カメラに捉えようとする男たちもまた、よい。まったくあまちゃんではないけど、とても美しい。
思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント
飯田 泰之 / 朝日新聞出版 (2013-04-01)
読了日:2013年12月25日
日替わりセールで安かったので。最近多いパターン。テレビやラジオでよく見かける若手経済学者なのでチェックしておこうかしら、と。軽い読み物かと思っていたけど思った以上に発見があった。

30年前の経済学部在籍中に勉強した記憶はあまりないのだが、それでもその後社会に出て勤めはじめて仕入れて在庫して販売したり、人を雇ったり会社を作ったりしながら自然と自分の思考は経済学的なクセがついていたように思う。今回この本でそれをもっとすっきりと整理することができた。また何となくそう思っていても、それに適切な言葉を当てはめないと説明できないことも多いわけだが、なるほどそう表現すればよいのか、など。

たとえば
"実寸大の地図は役に立たない 601 "
などは飲みながらの話題に使えそうだし、


"企業の代表が経済政策の立案に携わることが頻繁にあります。これは非常にまずいことではないでしょうか。オープンシステム問題の解決能力とクローズドシステム問題の解決能力はまるで別のものです886 ”

とか

"合理的、あるいは合理性という単語は英語のrational/rationalityの訳語です。ratioは“〝割り切れる”〟という意味ですから、  合理的な思考・行動とは、「それなりに納得できる」思考・行動1223 "

などはそのまま仕事仲間との話題に使えそうだ。

"人々は、「人それぞれの合理性」に基づいて行動しています。その意味で自分も合理的であり、自分以外の人も合理的であるという出発点から考えることは、独善的な意思決定や、英雄がすべてを解決してくれるといった勘違いから私たちを救ってくれるのです。1804 "

という文などは経済に限らず政治でもそのまま使える。

「多様性の海をえさ場として均一性を求める組織が動き回るのが商売」なのだと思う。


"自分で自分の将来の選択肢を狭めてしまうこと──それがコミットメントです。1921 "
なるほど!

日本型の「お互いの顔の見える商売」とは市場取引の反対語だったのかと驚いた↓
"顔が見えないことによって、嫉妬心とは無縁に損得勘定ができるようになる。これが市場取引の大きな利点です。2263 "

これは最近のSNSをみてていつもハラハラしていることだ↓
"顧客に対して「自分が儲けている」ことを見せてしまうのは得策ではありません。2265 "

競争と独占についてこれほど簡潔にまとめた文は初めてだ↓
"経営戦略の基本は、
 ・自分がやるのは、できる限り競争的ではない仕事
 ・人に任せるのは、できる限り競争的な仕事
 とまとめることができるでしょう。2421 "

若いけどかなり切れる学者だなと感じた。
The Beatles Complete Chord Songbook
The Beatles / Hal Leonard (2000-02-01)
読了日:2013年12月22日
電子書籍の手軽さや便利さの恩恵に浴して2年が経ったが、そうか楽譜か、と膝を打った。ふいにギター片手にビートルズの曲を歌いたくなる夜があったりしてですね、果たしてキーやらコード進行を憶えている曲がどれほどあるかと思い出せば10曲もないわけで、まして歌詞だなんて空で歌えるのは2曲くらいです(適当に誤魔化せばもっとあるけど)。
そういうときに「歌詞とコードだけが1ページで見渡せる唄本」があれば大活躍するのだけどまさか持ち歩いてるわけではない(いやギターを持ち歩いてるわけでもないんだけど)。そういうときにiPadですがな、とAmazonを探してみたらやっぱりありました。洋本なのでちょっと高いけど(てか電子書籍なら安いはずなんだけど)、まさに僕のニーズを満たす1冊でしたのでこれは買いです。
週末台湾でちょっと一息 (朝日文庫)
下川裕治 / 朝日新聞出版 (2013-08-07)
読了日:2013年12月13日
暮れに台湾旅行するから現地ガイド本でも買っておこうかなと本屋に行けば文庫があったので、これでいいやと手に取った。実際に読み始めたのは台北へと向かう飛行機の中だった。読み始めて完全に裏切られたことに気づく。これはガイド本などではない。素晴らしい旅のエッセイだ。これまで著者のことはまったく知らなかったけど、もうちょっと読んでみようかなとすぐに思った。
タイを主戦場とする旅人が台北を訪れるうちその魅力に気づいて街や人と触れあっていく。5泊した台湾のあちらこちらでページを開いて自分の旅行とは少し違うレイヤーの目線も楽しんでいたらもう一回り台湾のことが好きになった。次は台北以外にも行ってみたいな。
トラオ 徳田虎雄 不随の病院王
青木理 / 小学館 (2013-11-11)
読了日:2013年11月29日
猪瀬都知事への5000万円問題で久々にメディアを賑わせた徳田虎雄氏について少し前に書かれた本。TBSPodcastで著者の話を聞いてダウンロードした。

日本と沖縄に挟まれた徳之島で極貧の環境に育った徳田虎雄が猛勉強の末、大阪で医者になり、全国そして世界中の誰も振り向かない僻地にまで病院を張り巡らすという目的を自覚し、そのための手段として政治を、資金を、ブルドーザーで雑木林をなぎ倒すかのごとく突き進んでいく彼の半生はまったく昭和という時代のヒーロー像そのものだと感じた。

ALSに倒れ、悩みながらも自らの運命への自覚をさらに強固なものとし、ますます先鋭化していく彼の手法はあちこちで軋轢も生んでいくのだが、それがかえって彼のエネルギーとなる。

その人の立場次第で彼への評価は大きく変わるに違いない。
だけどもし近くに彼がいたとしたら間違いなく友人として仲良く酒を飲み、尊敬し、もしかしたら一緒に働いていたかもしれないと思った。多くの人は彼にすっかり魅了されるか二度と近づきたくないかのどちらかに分かれるという。だが僕はきっと取り込まれただろうな、と青木氏の文を読みながら思った。

賢い人間はバランスを取ろうと常に努力する。だが世の中を大きく変えるのはそんな人間ではない。トラオ氏のような、常軌を逸した人間が人間社会をドライブさせる。それはたぶん揺るがぬことなのだろう。揺らぐのは時代や立場における評価のほうだ。
中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)
高島俊男 / 講談社 (2013-07-26)
読了日:2013年11月23日
武田一顕氏が勧めてたのを聴いてダウンロード。古い本だが今でも立派に通用しそうな内容、本当だとすれば知らないことばかり。毛沢東も馬賊である、という説は奇説のようでいてなんだか納得してしまった。
しかしよくよく考えていくと地球上の国家の中で国家観が極めて特殊で変わっているのは日本国の方ではなかろうか。なんだかそんな気にもさせてくれる本であった。

たとえば、
中国では日本や西欧のように「軍・兵隊」への尊敬の意識はなかった、とすれば昨今の靖国問題もまた違った見方ができるのではないだろうか↓

"中国では、最近まで、兵隊イコールならずもの、という観念が強かった。武士の地位が高かった日本とはまったくちがう。352 "
"中国人の「武」ないしは「軍」「兵」に対する軽蔑、嫌悪がよくわかる。372 "

正しい、という漢字に惑わされてはいけないという↓
"「正史」というと、信頼できる正しい事実が書いてある歴史書かと思って、正史に書いてあるからまちがいないみたいに言う人があるが、そうではない。正史の「正」は「政府著作」ということであって「正確」ということではない。正史にだって不正確なことはいくらでも書いてある。504 "

これは全く知らなかった↓
"「満洲」の「洲」を、徐州、杭州などの「州」と同じに思って「満州」と書いたりする人があるが、それはちがう。「満洲」というのは「文珠」なのである。文珠菩薩の文珠である。1498 "

それほんまでっか!↓
"人民裁判というのを「人民による裁判」の意だと思っている人があるが、それはちがう。「人民の前での裁判」なのである。初めから死刑と決っている者を人々の前に引きずり出して悪事を並べ立て、公開処刑するのが「人民裁判」なのである。1844 "

これがどこかの誰かのブログとかだったら「またまた〜」で読み飛ばすのだが、著者はしっかりとした研究者みたいできちんと調べて書いている風でもあり、説得力もあるので面白い。
この本を読んだ後で台北に旅行し、国立故宮博物院を半日ほど見学したのだが、いろいろな宝物にいちいち興奮できたのはこの本のおかげでもあると思う。
ロマネ・コンティ・一九三五年 六つの短篇小説
開高 健 / 文藝春秋 (1981-07-25)
読了日:2013年11月22日
夜中に目覚めてKindleを弄ってたら何となく見つけて買った。ふと美文に酔いたくなったからだ。最後までその期待は裏切られることなく豊潤な文章に埋没できた。

「玉、砕ける」:垢の玉にこの世の無常を込めた話。
「飽満の種子」:阿片。先に高野秀行のアヘン王国潜入記を読んでたのがキイた。最後の一文で泣いた。
「貝塚をつくる」:ヴェトナム人のイメージが少し変わった。もちろんもっと良くなった。
「黄昏の力」:東京がまだアジアだった頃の話。
「渚にて」:落ち込んでるときに読んではならない話。
「ロマネ・コンティ・一九三五年:歳を取るということ。
今こそアーレントを読み直す (講談社現代新書)
仲正昌樹 / 講談社 (2009-05-19)
読了日:2013年11月19日
深夜にiPhoneを弄っていてたまた近所で映画「ハンナ・アーレント」をやっていると知りさっそく行こうと思ったのだが、前知識もなしに見るのもつらいかなとKindleで検索しみつけてダウンロード、数時間で読んだ。

午後から映画を見たのだがいろいろ複雑な思いを残した読書・映画体験となった。悪の凡庸さ、正悪二元論、被害者という立場、民族か友人か、言論、大衆、空気、など2時間考えさせられっぱなしだった。

映画は第二次世界大戦後のナチス総括の過程を描いていたが、311以降の日本の状況とも似ていると感じたからだ。傷ついた民衆が求めてるのは圧倒的な悪の存在だった。巨悪を放置したが故に世界は困難な状況に追い込まれてしまった。だからその悪に携わった人間は糾弾され、処罰しなければならないと考える。だが本当にそれだけで良いのだろうか。
たとえばもし第二次大戦直前のドイツにTwitterがあったとしたら、たくさんのアカウントが「けっして報じられないユダヤの悪行」なんてツイートを拡散しまくってたんじゃないんだろうか。世の中に悪が蔓延しはじめているぞ、だからそれは破壊され排除されなくてはならない、という正義感に燃える人たちはおそらく「悪さえ排除すれば自動的に善や正義が戻ってくる」と信じている。本当にそうなのだろうか。世の中はそもそも善に溢れていたのだろうか。ガンのような悪を切除すれば健康が戻ってくるのだろうか。本当は健康が脅かされた結果としてガンが進行しているだけなのではないだろうか。本当は「悪が成長し始めている」のではなく「善や正義が崩壊しているの」ではないだろうか。

何だかそんなことをずっと考え続けていた。

本署に戻る。仲正氏は下記のように指摘する。

"アーレントは、そういう思考停止したままの「同調」が、「政治」を根底から掘り崩してしまい、ナチズムや旧ソ連のスターリン主義のような「全体主義」に繫がるとして警鐘を鳴らし続けた。105 "


"言い換えれば、経済的な「利益 interest」の全体としての増加と各集団への配分が、政治の主要な「関心 interest」になっている。そのせいで、各人にとっての物質的な「利害 interest」関係をいったん離れて、自らの属する「ポリス=政治的共同体」にとっての「善」を追求すべく、「討議」し続けるという姿勢・能力を培うことが重視されなくなっている。つまり、「私」にとって利益をもたらしてくれるのが〝いい政治〟で、「私」に損させるのが〝悪い政治〟である。113 "


この「思考停止した同調」こそが全体主義、ファシズムの正体だと思う。そしてそれは糾弾と処罰を希求する。だが本当に必要なことは善の追求なのではないか、と。

その上で「政治」の役割についてこうまとめる。

"つまりアーレントに言わせれば、利害のために「善」の探求を放棄してもダメだし、特定の「善」の観念に囚われすぎてもダメなのである。両極のいずれかに偏ってしまうことなく、「善とは何か?」についてオープンに討議し続けることが重要だ。政治的共同体の「善」について様々な「意見」を持っている人たちが──物質的な利害から解き放たれて──公共の場でお互いに言語による説得を試み合うことが、アーレントの考える本来の「政治」である。137 "

昨今とくにネット上で無意味に左右二分化しはじめた論調を再活性化できる可能性があるとすれば

"自らの世界観・価値観を前面に出さないというのは、その後の彼女の著作にも一貫して見られる基本姿勢である。313 "

ではないかと思うのだ。
なぜなら、

"強い「敵=彼ら」との遭遇で生まれた「仲間=我々」意識は、いったん一つの形にまとまると、より強力で安定した「仲間」関係を構築し、それを各構成員のアイデンティティ(帰属意識)の基盤とすることを目指すようになる。そうした「仲間」の自己組織化運動は、ある程度進行すると、今度は自分たちの近くに、あるいは自分たちの内に、新たな「敵」を見出して、それを排除することで、「仲間」の同一性を確認し、自己を純化しようとするようになる。 「敵」と共に始まった「仲間」意識は、自己を維持するために、常に「敵」を必要とするのである。372 "

なんてことが起こっているからだ。

"肝心なのは、各人が自分なりの世界観を持ってしまうのは不可避であることを自覚したうえで、それが「現実」に対する唯一の説明ではないことを認めることである。他の物語も成立し得ることを最低限認めていれば、アーレントの描き出す「全体主義化」の図式に完全に取り込まれることはないだろう。他の物語の可能性を完全に拒絶すると、思考停止になり、同じタイプの物語にだけ耳を傾け、同じパターンの反応を繰り返す動物的な存在になっていく。572"

全くその通りだと思う。いろんな物語が地球上に平行して流れているという現実を認めなければならない。
そしてそれを前提とした上で、

"アイヒマンの問題は、そこで葛藤を覚えることなく、陳腐にその業務を遂行し続けることができたことにある、とアーレントは考える。彼は、自分の頭で善悪の判断をしないですむ、無思想的な〝人格〟だったのである。646 "

という事例から我々はいったい何を学ぶべきなのか。それは「俺はいまアイヒマンになっていないか?」ということだと思う。目の前で決済しようとしている書類の向こうで理不尽に傷つく人間がいるのではないか?だからどうだというのだ、これは仕事だ、家族を食べさせるために背に腹はかえられないではないか、見なかったことにしておこう、そう考えた瞬間が一秒でもあったら、では俺はどうするのだ?告発すべきか、脱走すべきか、あるいはサボタージュか。正しい答えなどない。だが自覚することこそが大切だ。無力感にとらわれないことはもっと大切だ。罪悪感から今の自分の仕事こそが正しいのだ、世界を救うのだ、などと時の権力者を礼賛しはじめたらもうアイヒマンの完成だ。

天下国家を語って議論するのもよいが、僕は当面自分の目の前にある仕事を通じてなんらかの善を見つけていきたいと思った。
来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題 (幻冬舎新書)
國分 功一郎 / 幻冬舎 (2013-09-28)
読了日:2013年11月17日
2011年に「暇と退屈の倫理学」を読んで以来フォローしている若手哲学者の書いた新書ってことで遅ればせながら購入。Twitterで小平市の道路問題で運動してるなあとは思っていたけど正直自分が住んでる町でもないし、そもそも住民運動とか苦手だし、とあまり注視していなかった。

ところが読み始めてみると、まったくもってそれは僕の誤解であって、本書が提起しているのは「日本は本当に民主主義なのか」というどえらくデカイ問題なのであった。

"本書の主張は単純である。立法府が統治に関して決定を下しているというのは建前に過ぎず、実際には行政機関こそが決定を下している。"

つまり日本は「立法権」については選挙を通して民主主義の体裁を整えているが、実際の「行政権」に関してはほとんど関わることができない、という状況をこの道路問題を通じて告発しているのだ。その行政権に関しても「民衆がオフィシャルに関われる制度」を整えるべきだ、といのが本書の主張であり、かなり明確だ。「制度という強化パーツ」という提言は具体的でわかりやすい。

その上で住民運動を行う上で大切なことは
1)論理的でビジョンを持つこと
2)マスコミとうまくつきあっていくこと
という指摘には頷かされた。
僕の知り合いで「声を上げている」人たちがその正反対の行動ばかりしている気がしたからだ。

それにしても哲学はおもしろい。
「政治の分野を特徴づけ、定義づけるの、敵か友かという区別である、だなんてほんと面白い言葉だ。
政治は答えがひとつしか出せないからこそ、やっかいなのだと。

でも
"根本から変えなければダメだという主張は多くの場合、あきらめるか、あるいは革命への待望へと至る。どちらも要するに何もしないということである。"
なのである。

"制度が多いほど、人は自由になる"

なるほどである。

"民主主義とは常に来るものにとどまる"

という言葉や、一回りして僕ら中年組の希望となる。
スマホユーザーのための 海外トラベルナビ 台湾
海外トラベルナビ編集部 / ゴマブックス株式会社 (2013-10-13)
読了日:2013年11月11日
来月台湾に出かけるのでと台湾関係を検索して。さらっと読みました。台湾滞在中もiPhoneで2度ほど参考にしたかな。でもそういう使い方ならまだまだ紙媒体の方が優れているとも実感。この手の本ってやっぱり紙と電子の両方セットなら安くなる、みたいなセット販売してほしいとも(同時に買うだけではなくて、最初に紙媒体を買っていても現地で急に電子版が読みたくなったら半額でダウンロードできるとか)。
キャパの十字架
沢木 耕太郎 / 文藝春秋 (2013-02-17)
読了日:2013年11月10日
NHKの番組で見て以来、読みたいと思ってた沢木耕太郎の「キャパの十字架」を旅先で雨宿りしていた萩市立図書館で見つけ、2時間かけて読み終わった。雨で観光どころではなかったけどこれも忘れられない旅の体験だなあなんて思う。キャパの特別なファンであったわけでも、沢木耕太郎の本を読みまくってるわけでもないのだけど、ちょっと前の時代に活躍した若者の足跡を探るってのは、なんとなく甘酸っぱくていい。
そしてキャパとタローがそれぞれ最期の日に撮ったトラックの写真には少し感傷的になってしまった。
チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1
東 浩紀 , 津田 大介 / ゲンロン (2013-07-04)
読了日:2013年11月6日
TBSラジオ版「学問のススメ」を聴いてAmazonに注文した。
著者のひとりである東浩紀氏の本は何冊か読んだことがあり、特にクォンタムファミリーズは面白い小説だと思ったので、その彼がこだわっている福島原発観光地化計画ってのはいったいどんなものだろうと興味があったからだ。
最初にその名前を聞いたときにはもちろんギョッとした。次にその意図を読んだときにはなるほど広島長崎と同じなのかと少し納得したけど、そのネーミングにはやっぱりまだギョッとし続けている。そうやって心にフックを掛けることが彼の目的だとしてもだ。

さてこの本だが、一読して感じたのは「現在進行形の事故を神話にしてはならない」ということだ。
チェルノブイリ原発事故は僕が大学4回生の頃に起きた。最初は新聞の小さな記事だった。それからテレビが大騒ぎになった。僕の通っていた大学は当時教授陣も含めて左派が元気だったせいか、ソ連の事故にどう対応してよいのかまごついていたように記憶している。そのうち本当に大騒ぎになった。僕らの世代は小さな頃からいつか核戦争が起こると恐れながら育ってきたこともあり、いよいよおしまいかって沈んだ気分にもなりかけたが、何と言っても当時は日本のバブルが始まった時期でもあった。ダサイとかクライとかいう理由でそんなまじめなことを考える学生は馬鹿にされる風潮がどんどん強まり、無理してバイトしたカネで中古の外車を乗り回す人間だけが目立っていくと、そのうち記事もあまり読まれなくなった。

そして2011年の311を経てチェルノブイリは一気にフラッシュバックする。地震の影響もあり日本の景気は最悪だった。僕には87年当時に忘れ去ったエネルギーが倍返しで日本を襲ったように思えた。いつしかチェルノブイリは新しい神話の聖地化されていった。もはや誰も近づけない魔境、人類の残した汚点、核の穢れが沈殿する腐海であると。

だから実際に誰かがそこを尋ね、住人や責任者にインタビューを取り、写真を載せ、さらには読者に「そこに行け」と言うことにはとても意義があるのではないかと思ったのだ。勝手な神話化はよい結果を生まないよと。

フクシマも世界中でこれから神話化が進んでいくことだろう。有ってはならぬことだが、次の原発事故が起こったときにこそフクシマが神話化するのだろう。だが少なくとも「2011年3月に日本に住んでいた」僕らはある種の当事者として、わかりやすい神話化など拒絶して事実と向き合い続ける必要があるのだと思う。僕らは単なる被害者などではなく、確実に神話の中の登場人物たりえる存在なのだから。

そんなことを考えながらページをめくった。

もっとも記憶に残ったのはアンナ・コロレーヴスカ氏のインタビューだった。
5年後、メディアは稼げるか―Monetize or Die ?
佐々木 紀彦 / 東洋経済新報社 (2013-07-18)
読了日:2013年11月4日
日替わりセールで購入。大まかには賛同するところや、なるほどなと思わせる点もあったが、最後の「40代はつかえねぇ」にはムカついたw

著者は30代だと思われるが、メディアがマネタイズするためには企業との良きコラボレーションが必要だと説いているのを見ると、2年半前に原子力業界からの資金を頼りに無批判な記事を量産していたメディアへの反省などどこへ行ってしまったのだろうという寂寥感を感じてしまう。やはり40代のおっさんがしっかり若者の重しとなってプレッシャーを与え続けなければならぬ一面もあるのだぞ、と無闇に説教したくもなってしまうわけだ。

つまるところ「どうやったら売れるか」を第一に考える限り、5年後までは利益を出すことができたとしてもそれは所詮延命策でしかないのだと思う。同時期に読んだAmazonのジェフ・ベゾスの考えとは天と地ほども違う気がする。目先の利益よりも長期的な展望、世の中はどうあるべきか、これからどうすべきか、というもっと大きな志をもって若者には頑張っていただきたい。
クォンタム・ファミリーズ (河出文庫)
東 浩紀 / 河出書房新社 (2013-02-05)
読了日:2013年11月4日
文庫になるのを待ってるうちに買うのを忘れてて、ふとアマゾンで見つけて買ってみた。
ハインラインの夏への扉のような。映画バタフライ・エフェクトのような。
こういうのど真ん中で、たまらんなと。

読後、東浩紀氏にはもっと作家業に集中してもらい、こんな素晴らしい小説をたくさん世に問うてほしい、と思った。Twitterはじめたころ、著者をフォローしていたが特に震災後はちょっと面倒な感じになっていてそれ以降読んでないので分からないのだけど、読者にとっては小説家の本音とか裏側とかってあんまり見たくない気もするのだ。まっさきに興味があるのは作品なのだ。
原発ホワイトアウト
若杉 冽 / 講談社 (2013-09-12)
読了日:2013年11月3日
あちこちで話題になっていたので取り寄せて読んでみた。
いわゆるクライシス小説としては凡庸なのかもしれないが、匿名現役官僚が書いたって設定だと考えると緊張感を持って最後まで一気に読む。2011年以降、ある程度ネットや書籍で情報を得てきた人間にはそんなに新しい発見はなかったはずだ(フィクション部分はもちろんおいといて)。

一方で「現場には真実だけが転がっているわけでははない」ということも十分留意すべきだと思う。
現場官僚がどんなに「これが真実だ」と言い張っても、けっしてそうで無いことだってある。意図的なものか偶然なものかは別にしても、現場の役人が発した情報だからすべて額面通り受け取る、という姿勢が許されるのであればそれは311前と何も変わっていない証拠であろう。

この手の本は週刊誌にたまに出てくる「匿名座談会」と同じ態度で判断材料のひとつとして留めおくのがとりあえず僕にはよいように思えた。もう「権威」とか「陰謀」とか「情緒」「空気」であちこち動かされるのはこりごりなのだ。
福島第一原発収束作業日記: 3.11からの700日間
ハッピー / 河出書房新社 (2013-10-23)
読了日:2013年10月31日
事故直後から彼をフォローしているので発売と同時に買った。
Twitterでの発言の再録が中心なので憶えている文もあったけど、大半は初めて読むような気持ちで読めた。
なぜかと言えば「今だから理解できるつぶやき」がそのほとんどだったからだ。
当時は放射線のことも,原子炉の構造についてもほとんど知らなかったわけだから当然なのだけど、それよりも「2013年10月の時点」から遡るからこそ理解できたことが多いからだ。たとえば汚染水問題にしても、もうずいぶんと初期の頃から著者は危惧していた。ここ数ヶ月さかんに報道されていることは何も最近のハプニングなどでは無かったのだ、と驚きを持って読み進めることができた。当時は同じ文を読んでもまったくピンとこなかった。

このような現場のリアルタイムの声が世に出ることは奇跡かもしれないと思った。携帯端末やTwitterが無ければそもそも記録されることもなかったことだろう。しかしこれからは何十年もこのような本が出されなくてはならないのだ。まったく気が遠くなるが、僕らの世代はそこから逃れることは許されていないのだとも思う。

読みながらなぜかしら水木しげるの戦争マンガを思い出した。もちろん著者は一流の技術者でもあり、徴兵されて難解の島で飢餓と闘う兵隊さんとは立場が異なると思うけど、その境地が似てるのかなあって。

布施氏によるエピローグだけでもいいから、コピーして国会で配布したらどうだろうと思う。
同時にいま原発を持つ、あるいはこれから持とうとする全ての国の言語にも翻訳して広く読んでもらうことべきではないかなあと強く思った。原発は危ないから止めよう、というメッセージありきではなく、ここでこうして働き続ける彼らから目をそらすわけにはいかないようだよっていう意味でだ、まずは。
ビジネス大学30分 問題解決
中川 肇 / United Books (2013-11-26)
読了日:2013年10月26日
アマゾンメールに奨められたのと、僕自身のここ数年のテーマが「問題解決業としての業界再構築」だったので読んでみた。図が多いのでKindlePaperWhiteだとちょっと辛かったけど,短いし淡々と読みました。
なるほどコンサルってこんな感じなのかって勉強と。
歴史を考えるヒント (新潮文庫)
網野 善彦 / 新潮社 (2012-08-27)
読了日:2013年10月26日
本屋さんの平積みで見かけ、そういえばいろんな場面で「この本は読んどけ」みたいに書かれてたように思うけど未読だったなあと手に取る。
帯に宮崎駿の言葉として「教科書で習った歴史とだいぶ違いますね」と書かれているが、そもそも学校で日本史をあまり一生懸命やってなかったわけで、そういう意味ではあまり気構えずに面白く読めた。たとえば日本という国名について、
"日本とは地名ではなく,東の方角を意味する国名ということになります"(P.20)
なんて、へぇって思う。あくまで中国から見て「日出づる処」だという意味でしかなく、しかもそれが決まったのは西暦689年、となっている。それが本当なら思ったよりも古くもないし、さほどに深い意味が込められたわけでもなかったのかなあ、だとか。

他にも関東や関西、人民と国民、平民や土人、百姓やケガレなどそれぞれの言葉に込められた由来にも言及され、おおっ唸らせる文章が多かった。仕事柄か僕が個人的に興味を惹いたのは第8章の「商業用語について」だ。


「市場」とは「世俗の縁の切れる場所」として(今も昔も)マージナルな位置づけなのであった。「物と物とを商品として交換するためには一度無縁の状態になくてはならない」という発想はいかにもすべての物に八百万の神が宿ると考える日本人らしい。商いは基本的にケガレとして認識されてきたのだ。

今でもそれは変わっていないんじゃないかなあって思うことがある。商いを「ビジネス」などと言い換え、利益を上げて贅沢することを美化したり持ち上げたりする風潮が一部に出てきたけど、やっぱりそんなことは基本的に人生の一時期に、必要に迫られて、いやいややってしまうみたいな感覚で捉えていた方が良いような気がする。商売がけがれてる、だなんて卑下する気は毛頭無いけど、だからといって持ち上げるほどのこともないさって。
写真の構図ハンドブック
河野 鉄平 / 誠文堂新光社 (2012-06-22)
読了日:2013年10月24日
熊本市の上通商店街という古くからのアーケード街には長崎屋書店というこれまた老舗の書店があり、たまに立ち寄ると必ず目にとまる本が平積みされていたりするので僕はとても気に入ってるのだが、妻と遊びに行った帰りに何気なく手に取り買ってしまった本。その後バスの中に置き忘れ、夜中に終点の営業所まで取りにいったり。
何気なく構えてるカメラだけど、なるほど構図ってのは面白いものですなあ、と感心しつつ、でもそんなことより著者の撮影したアジアの街角が美しくも懐かしく、どちらかといえば写真集として眺めてしまった。
思考の整理学 (ちくま文庫)
外山滋比古 / 筑摩書房 (1986-04-24)
読了日:2013年10月21日
あちこちで「読んでおくべき」って書かれてたけど読んでなかった。そういう本と出会う確率が高いのが電子書籍だ。それに紙の本だとそういう本を持ち歩くのはちょっと気恥ずかしいし。

コラム形式なのであっさり読めた。でもたくさんアンダーラインを引いたのはやはり面白いと思ったからだ。ひとつの思いつきがアイディアに成長し、なぜそれを面白いと思ったんだろうと何度も反芻するうちに文章になっていく過程が記されている。僕はそんなに文章を書く人間ではないけど、たとえば朝散歩しながら何か思いついてしまったら、帰るまでにいろいろ頭を巡らして140文字に収めてそれからTwitterに投稿したりする。著者の時代にSNSはなかったので、紙媒体でのエッセイとなるわけだ。

こういうわりと理屈っぽい話は好物です。

たとえば
"学校はグライダー人間の訓練所である。飛行機人間はつくらない。56 "
などという偏見が、いい。

"昔の人は、こうして受動的に流れやすい学習を積極的にすることに成功していた。グライダーを飛行機に転換させる知恵である。139 "

と言われると、少し反省してしまう。僕らの世代は何でもテキストに書き散らして後輩たちに残せば良いと思っている。だけどちょっと検索しただけで何もかも分かる世代(息子たちだ)は最初から学ぼうとする意欲を失ってしまうみたいで。

そして
"見つめるナベは煮えない〟339 "
のだ。しばらく蓋をあけずに我慢することって大事だよなあと思い出す。

これって格言のレベルだ。
"ひとつだけでは、多すぎる。ひとつでは、すべてを奪ってしまう」。380 "
同じテーマをひたすら語るのもいいけど、聞かされる側は溜まったもんではない。ひとつでは多すぎるのだ。

デジタル時代になり全盛を迎えたメタ・クリエイションにもヒントを与えている。
"むしろ、自分の好みなどを殺して、執筆者と読者との化合が成立するのに必要な媒介者として中立的に機能する。 第二次的創造というのは、触媒的創造のことになる。529 "

これなどシュンペーターのいう新結合(イノベーション)の定義そのものだ。
"新しいことを考えるのに、すべて自分の頭から絞り出せると思ってはならない。無から有を生ずるような思考などめったにおこるものではない。すでに存在するものを結びつけることによって、新しいものが生れる。533 "

この言葉はここで初めて知った。死ぬまで使えそうだ。
"科学者の間では、こういう行きがけの駄賃のようにして生れる発見、発明のことを、セレンディピティ(serendipity)と呼んでいる。637 "

"十八世紀のイギリスに、「セイロンの三王子」という童話が流布していた。この三王子は、よくものをなくして、さがしものをするのだが、ねらうものはいっこうにさがし出さないのに、まったく予期していないものを掘り出す名人だった、というのである。645 "
から来た言葉らしい。

以下がこの書の結論ではないかと思う。
"思考の整理というのは、低次の思考を、抽象のハシゴを登って、メタ化して行くことにほかならない。734 "
"人知の発達は、情報のメタ化と並行してきた。抽象のハシゴを登ることを怖れては社会の発達はあり得ない739"
"抽象のハシゴを登って行くのは哲学化である。747 "

そして、
"思考の整理には、忘却がもっとも有効である。1259 "
という言葉で少し安心する。

そぎ落とした表現は名詞なのか。
"表現をぎりぎりに純化してくると、名詞に至る。1418 "
"思考の整理は名詞を主とした題名ができたところで完成する。1421"

そしてここで反省するのだ。
"俗世を離れた知的会話とは、まず、身近な人の名、固有名詞を引っぱり出さないことである。共通の知人の名前が出ると、どうしても、会話はゴシップに終る。ゴシップからはネズミ一ぴき出ない。害あって益なしである。1570 "
いやはや、刊行されて何年も経た本はこれだから面白い。
交渉プロフェッショナル 国際調停の修羅場から (NHK出版新書)
島田久仁彦 / NHK出版 (2013-10-11)
読了日:2013年10月21日
これもたしかPodcast経由で買った気がする。
国連などの国際交渉の場で日本や国連の立場を請け負ってプロとして交渉してきた著者の自叙伝である。京都会議や名古屋での生物多様性条約会議など、当時の報道にはそれなりに接してきたつもりだったけど、著者の活躍や会議の舞台裏での交渉などについては全く知るよしもなかった。言われてみれば国益と国益とのぶつかりあいだって現場における人間対人間のプライドを賭けた交渉という側面が強いのは当たり前だ。

佐藤優氏の本を読んだときも思ったけど、外交官は国家の営業マン、なのだろう。商売の現場で営業マン(ウーマン)は会社の指令と、相手の会社の利害とを両立させるよう努力しながらも、実際に多くの時間は折衝する担当者同士の人間関係をきちんと構築し、お互いの立場とメンツと個人的利害をも天秤に掛けながら詰め将棋のように落としどころを探っていくのだ。それが国と国との関係になっても基本は同じ、ということだろう(戦争になったり断交されたら上司に怒られる、じゃすまないけど)。

僕らが外野にいる限り、そんな現場のリアルを知ることもなく、単に自分の所属する側にとって都合の良い情報ばかりを与えられて、国と国の交渉結果に一喜一憂したり、無駄にイライラしたり,時に現場担当を無意味に罵倒したりする。ほんとうはそんな情緒になど何一つ意味など無いのに。今も昔も情緒的なセンショーナリズムこそが国を戦争にたぐり寄せている。

これは終わった交渉の回想だけれども、今現在進行しているさまざまな交渉ごとでも著者のような存在が(ひょっとしたら著者その人が)活躍しているのかもしれない。メディアやネットに溢れるニュースを見聞きして不安になったときはそんなことを思い出すとよいかな。

ただ、若干の危惧もある。これほどの交渉力を持った人間がもし「邪悪な」心を宿したとしたら、どうなるのだろう。営業でいえば「商売の上手い人間は詐欺師にもなれる」という可能性だ。戦争においてシビリアン・コントロールに相当するなにかが、国際交渉においても必要かもしれない。それはやはり「情報開示」だと思う。きちんとした情報開示の制度を法的に定め、少なくとも一定期間以降は交渉の舞台裏を歴史の査定に委ねるシステムを組んでおくべきではないだろうか。

余談だが、NHK出版の新書ってなかなかはずれがない。読者には有り難い話だ。
でも毎月きちんと聴取料を支払っているユーザーには無料とはいわないけど割引して販売しても良いのではないだろうかと思う。少なくとも電子出版においては製本・流通コストはそんなに掛からないわけだから、ぜひとも検討して貰いたいもんだなあ。
ジェフとケンとリボルバー ビートルズのサウンドを変えた二人 (レトロハッカーズ)
牧野武文 / 牧野武文 (2013-10-12)
読了日:2013年10月15日
自他共に認めるビートルマニアなのでダウンロード。
かといってここに書かれているジェフとケンについて詳しいってわけでもなかったのでとても面白く読めた。
僕が自宅録音を始めたのは1980年くらいだったと思うけど、当時家にあった2台のラジカセでフォークギターと歌だけを10回くらいピンポン録音を重ねたのが最初だった。2台のテープ速度が異なっていたため(当時はそんなの普通)、6回目くらいにはきっちり半音くらい音程が上がってしまうし、ヒスノイズも凄かった。それを避けようと、最初からギターチューニングを2フレット分くらい下げてゆっくり演奏しておき、かつイコライザーでキンキンにハイトーンを上げておいて最後にCrポジションで再生させるだとか、朝まで掛かっていろんなトリックを編み出したものだった。
高校時代にはエレキギターやシンセサイザーも投入し、それでもまだピンポンだったけど今聴いても頑張ったなあって音源を月に数曲は作っていた記憶がある。ピアニカやリコーダーを引っ張り出したり、座布団や窓をスティックで叩いてドラムに仕立て上げたり、ヘッドフォンをマイク代わりにして唄ったり、自分の声にディストーション掛けてダブルトラック録音したり、偶然だけどこの本に書いてあることもいくつか試していたものだ。

大学生になりバイトしたお金で4TRレコーダーを買ったり、さらにだいぶ経ってMacを買ったりすると気がつけばデジタルのループ音源であっという間にプロ並みの音質、それなりに完成された音楽を作り出す環境が揃っていたりしたのだけど、それと反比例するように音作りへの情熱もどこかへ隠れてしまった。

ビートルズが60年代にさまざまな苦労とお遊びを繰り返しながら今までに無かった音楽を創ったことと、現在の音楽がどうにも退屈でどれも代わり映えしないように聞こえることも、たぶん同じような理由で情熱がどこかへ消えてしまったことからくるのではないかしら、と読みながら感じたものだ。
ワンクリック
リチャード ブラント / 日経BP社 (2012-10-15)
読了日:2013年10月15日
自分とほぼ同じ年くらいに生まれた有名人の伝記を読むってのは不思議な感覚である。
Amazon創設者のジェフ・ベゾスについて詳細に書かれた本だが、本人がまだ元気に経営の第一線に携わっているAmazonのメインサービスであるKindleでそれを読むのはどうにも「胡散臭い」気分でもある。たとえが悪いけど独裁国家の主席の本を学校で読まされるとか、新興宗教の教祖本を読まされるような。
でもそういう気分を遠ざけて読み進めていくと、これはこれで案外面白いものだ。

ベゾスは僕のちょうど1歳年上なのだが、SF作品を乱読しながら育ったことくらいしか共通点はない。若くして技術者としての頭角を現し、自分がやりたいことを仕事にするよりも一山当てようとネット本屋を立ち上げるところなど、しつこいようだがまるで共通点がない。

でもというかだからというか、なんだかんだで年間10万円以上を寄進してしまっている(僕の場合)サービスを作り上げていった過程にはとても目を見開かされたし、頭も下がる。まいりましたってな。

今や僕も小さな会員制サイトをつくりそれを運営することで生活しているわけだけど、彼のような野望はない。お金のためが第一ではなく、若いころこんなサービスがあればなあと思っていたものを形にしようとあくせくしているだけだ。それでも彼のユーザー絶対主義的な考え方は刺激になったし、おそらく参考にもするだろう。考えてみれば彼だって若いころに読んだSFの世界を実現しようと遊んでいるだけなのかもしれない。その意味では規模の違いは銀河系と僕の家ほどの違いはあるが、まったくの同業者なのだ。

と日記には書いておこう。
毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記
北原 みのり / 朝日新聞出版 (2012-04-27)
読了日:2013年10月13日
Kindle日替わりセールで。なんとなく週刊誌のりだなあと思ったら、連載原稿の単行本化だった。まだ裁判中の事件なので絶対的な悪を描いたと断定することもできず、ただ、面白い男女関係もあったもんだ、的な覗き見主義なルポが続いていく。女性同士の視点ならではの文体は興味深かった。僕にはそういう見方はできそうにないから、「複眼の視点をもつ」という意味においてこういう本を読むのも面白いのかなと思った。
ほぼ忘れていた事件だけにいま進行している裁判にも少し興味を持って追いかけてみようかなと思った。
資本主義という謎 (NHK出版新書 400)
水野 和夫 , 大澤 真幸 / NHK出版 (2013-02-07)
読了日:2013年10月13日
久々に読み応えのある新書だった。読んでいる最中に出張先のどこかに忘れてしまい、その後すぐに買い直してあたまから再読したくらいだ。
本書でテーマとなる「資本主義の謎」とは
・どうして資本主義は西欧で生まれたのか?(当時の文明先進地帯であった中国やイスラム圏ではなく)
・国家と資本主義との関係は必然なのか相反関係なのか?
・経済成長のない資本主義は可能なのか?
といったたいへん大きく深いものである。
宗教や哲学とも絡めながら謎を解き明かしていく水野氏と大澤氏の対談はとてもスリリングだ。
水野氏の「資本主義の普遍的原理は蒐集である」という引用には目から鱗だったし、それを最大効率化するために会社が作られた、という話には納得してしまった。また「国家が資本の後始末をさせられている」という見方は新鮮だった。「海の帝国」イギリスと「陸の帝国」スペインとの覇権争い、中国の長剣システムの比較も興味深い。70億人の地球人すべてに資本主義が行き渡ったときに,周辺を失った資本主義が終わる、という指摘は前にも読んだことがあったかもしれないが新しい納得を得た。

「成長」を前提とする資本主義は要するに人類経済の青年期に必要なシステムということなのだろうか。いままさに人類は「幼年期の終わり」にさしかかり、次なる大人の生き方を模索しなくてはならないのかもしれない。

お二人はアベノミクスを真っ向から否定している。今のところ経済の好転を期待する日本だが、ちょっと心配だ。
「仏教」実践“超”入門 電子書籍で読む”大人の教科書” (impress QuickBooks)
川辺秀美 / インプレスコミュニケーションズ (2013-05-16)
読了日:2013年10月11日
アマゾンのメルマガで99円セールだったのでダウンロードしたのだがばかばかしい内容だった。宗教がいまの生活の役に立つかどうかで判断するとはさすがコンサル。
〈未来〉との連帯は可能である。しかし、どのような意味で?【FUKUOKA U ブックレット4】
大澤 真幸 / 弦書房 (2013-08-09)
読了日:2013年10月10日
「資本主義の謎」を読んだ後ほかに大澤真幸氏の本を探していて手ごろな価格の本があったので取り寄せてみた。届いてあまりの薄さにびっくりしたけど、内容は思いのほか濃いものだった。
ふとクラークの幼年期の終わりを思い出したオタク論。
しかし余剰Xっていわゆる厨二病のいう「本当の俺はこんなもんじゃない、いつか大化けして世の中に認められる」という願望(妄想?)とちがうんやろか。
食品の裏側―みんな大好きな食品添加物
安部 司 / 東洋経済新報社 (2005-11-10)
読了日:2013年10月10日
Kindleの日替わりセールで。基本的に「食べてはいけない的告発系」本は話が一方的に盛られてたりして、「ビジネス優先で健康が危ない」と謳うわりにはビジネス中心の姿勢が滲み出てたりすることが多いので頭から信用したくないのだけど、とりあえず読んでみることにした。

たとえば下記の記述などは僕も元セールスマンだったりするので、外部講師として話をするときなど全く同じトークをしていたりする。

"そうだ、自分も、自分の家族も消費者だったのだ。  いままで自分は「つくる側」「売る側」の認識しかなかったけれども、自分は「買う側」の人間でもあるのだ。いまさらながらそう気づいたのです。441 "

だけどそこから繋がっていく話は少し一面的に過ぎる気もする。あくまで体験談の域を出ないのだ。
目を覚ました元一流セールスマンが業界の裏事情を暴露する、というスタンスは悪くないのだが、であればもう少し科学的というか、第三者的中立な立場をキープした方が説得力があると思う。

なんというか、話として読み物として面白過ぎるのだ。元セールスマンのカルマだろうか、つい話を盛り上げてしまうのは。つまり、盛るのだ。相手が喜ぶ顔を想像して、盛るのだ。するとウケる。そのうちそれが病みつきになってしまう。
・・・・それって食品における添加物とまるで同じ構造ではなかろうか。著者はセールスマン時代となにも変わっていないのではないだろうかって気になってしまうのだ。まあ食品添加物に問題があることは否めないとは思うけど。
グーグル ネット覇者の真実
スティーブン・レヴィ / 阪急コミュニケーションズ (2011-12-16)
読了日:2013年10月9日
けっこう夢中になって読んだ。これだけ毎日使っているGoogleについて僕はAppleやMicrosoftほどには知らなかったのだ。現在進行形の若者について書かれた本なので正確性がどこまでかは留保しておくとしても、時系列で彼らの成長を追えたことはよかった。

有名な「邪悪になるな(Don't Be Evil)」という社内スローガンがどこからどう出てきたのか。
また、"創業者の目標は最初から、人工知能を使って人間の能力を拡張することであり、グーグルをそのための手段と考えていた。その夢の実現のために、巨大な企業を築く必要があったのだ。229 "というまるでSFを実現するためのようなポリシーはあらためて読むと本当に面白い。
ラリー・ペイジが発明家ニコラ・テスラに影響されていたこと。

なるほどねえと思いながら読み進めていくと、僕がリアルタイムに体験した出来事が次々と出てくる。今でもGoogle検索が話題になったころの記憶は強烈だ。youtubeも。ついこの間のように憶えている。裏側で彼らがどのようなチャレンジをし、壁にぶつかっていたかを追体験することはなかなかに刺激的だ。

Jobsの伝記を読んだときも思ったけど、アメリカで繰り広げられるIT業界のダイナミズムはイコール天才技術者や野生溢れるビジネスパーソンたちのダイナミックな転職とも連動しているのだな、という事実に向き合わなければならない。日本だと基本的に社員として、組織の一員として、関わることが多いと思うのだけど、やはり彼らが破れかぶれとも思えるリスクを抱えながら次々と新しい環境にチャレンジしていく姿を眺めていると、まだまだ大きな文化の壁を感じてしまう。一概にどちらが優れてるとばかりは言えないだろうし、日本人でもそういった働き方が増えてはいるのだろうけど、じゃあGoogleが日本から生まれた可能性があったか、仮に生まれたとしても世界制覇しかねない規模にまで急成長したか、と問われると、いやいやって答えてしまうのは正直なところだ。

同時にこういうテキストを読んだ若者たちに期待したいところでもある。
ケンカ 白熱教室! 放射能はどこまで安全か?
小出 裕章 , 小林 泰彦 / 幻冬舎 (2013-06-26)
読了日:2013年10月5日
Twitterで知ってちょっと前の本だけど読んでおこうかなと。
「放射線は他のリスクとくらべ際立って危険であり、2011年以降、東日本は極めて人体に危険なレベルで汚染され続けているため、できるだけ早期に遠隔地への避難が必要なのに、政府やメディアが隠蔽しているため多くの国民は知らされていない」と主張する陣営と、「放射線は確かに危険な要因のひとつであるが、避難については他のリスクとの兼ね合いで住民各自が判断すべきであり、かつ福島の事故は幸運にも最悪のレベルを免れ、一部地域を除いては用心して暮らせば避難するよりもリスクを抑えることができる」と主張する陣営とに明確に分かれてきたように思う。本書を眺めていると、その双方の主張と熱量のズレがおぼろげに見えてきた気がする。

話は逸れるが、30年前、大学の経済学部に入った頃の雰囲気を思い出した。社会主義の実現を熱く訴えるマル経の教授と人間の欲望を数値で捉え説明しようと冷めた態度で試みる近経の教授がいた。それぞれを支持する学生もいたが、僕を含めた多くの学生はその双方が熱くなればなるほどかえって醒めてしまい、けっきょくはそのどちらも経済の実態を説明できていないのではと感じたものだ。

現段階での僕自身の結論は「まだ分からん」ということだ。
我々はまだ何もわからんなりにどうにか解明しようとこねくり回している途上にいる。恐らくは僕らの世代が全員死んで次の次くらいの世代にようやく結論がでる、くらいのスパンでしか論争が終わることはないのだろうとも思う。
その段階で「危険なのは分かりきっている」「いや安全だ、どうして学ぼうとしない」「陰謀がある」「バカが過剰反応している」などの強い言葉で双方を断罪してしまうのは,どう考えても結論が遠ざかるばかりで、不幸を拡大再生産しているだけにしか見えない。ある種のタブーを作り出し議論を停止ししてしまうからだ。

さて本署に戻るが、小出氏の言葉の選び方は意図的なのかもしれないがこの白熱談義では不利だったと思う。
本人の思い入れが強いのは分かるが、誇張と情緒的表現に頼る部分が多すぎて結果的に損してしまっている。
311の瞬間を体験した我々世代には共感を得ることもあるだろうが、これでは長く続かせることはできないのではないかと少し心配になった。
平成関東大震災 いつか来るとは知っていたが今日来るとは思わなかった (講談社文庫)
福井 晴敏 / 講談社 (2010-09-15)
読了日:2013年9月27日
本屋の平積みで。震災半年前に出た本だけど、仕事中にたまたま出かけた東京都庁で大地震を経験したサラリーマンの目を通して都市災害の実態と予想を描く、軽い読み物。読んでおいてそんはないと思うけど、福井作品として期待しちゃうとちょっと物足りないかも。
黙って働き笑って納税
里中 哲彦 / 現代書館 (2013-08-16)
読了日:2013年9月23日
TBSPodcastで青木理氏が勧めていたので買ってみた。
正直ちょっと素直に受け入れられなかった。左ページのイラストと解説が一面的に攻撃的過ぎる気がしたのだ。
正悪二元論、のようなテイストだ。
実際に戦前の記録を眺めていると、本当にわかりやすい「悪」がいて、彼らがこのようなスローガンを発しては善良な国民を騙し続けていた、とばかりは思えないのだ。きっといろんなニュアンスが渦巻きながらこんな国策スローガンが流通していたのではないか、と想像するのだ。戦時中だったから日常がなかった、とは思えないのだ。後になって「馬鹿な時代だった」「愚かな指導者だった」と非難することは簡単だが、本当にそんな単純なことだったのだろうか、と少しばかり疑念を感じた。だから後半は左ページのスローガンばかり眺めていた。
たとえば博物館に行って戦時ポスターが展示してあれば、それだけをじっくり眺めて伝わってくることを捉えたい。主催者の解説を読むのは後からの方が良いと思う。
なんでコンテンツにカネを払うのさ?デジタル時代のぼくらの著作権入門
岡田 斗司夫 , 福井 健策 / 阪急コミュニケーションズ (2011-12-01)
読了日:2013年9月16日
なんとはなしにKindleで。頭の体操になった。
たとえばたまにネットを賑わすニュースで、「中国で明らかに知的所有権を侵害したコピー商品が販売」とか、「有名キャラクターが無断流用されたテーマパークが摘発」なんてのに接して嘲笑コメントを飛ばしているネット民ってほんとうに頭から「著作権を守ることは正義である」などと信じているのだろうか、と不思議に思う。著作権の歴史などたいして古くもないはずだし、そもそも権利としては曖昧なものである。「版権」と区別をつけてない議論も多い。少なくとも全世界で共有できる価値観とはいえないはずだ。歴史的にも日本はついバブル期までベンツやポルシェそっくりの国産車をありがたがって乗り回してきたじゃないか。歌謡曲や昔の和製ロック、いやJ-POPだってパクリだらけだったぞ。

それはさておき、誰もがこうして自分の発したテキストを不特定多数に提示する時代になった以上、現状における著作権の位置と将来的にどうもっといくべきかといった議論が成されていることくらいは多くの人間が知っておくべきだなとは感じた。この本を読めば分かるってわけでないけど、少なくとも凝り固まっている頭をほぐすことにはなる。
昭和史(下)
中村 隆英 / 東洋経済新報社 (2012-07-26)
読了日:2013年9月15日
敗戦時に至までの上巻に引き続き、戦後占領期から昭和天皇崩御にいたる戦後期を記述する。
戦前戦中と異なり、この時期の記録は比較的豊富でテレビや新聞などでもよく紹介されてきたので上巻にくらべると驚きは少なかった。また昭和50年代以降は、僕自身もリアル体験しているのでなおさらであった。
それでも一面的な報道やドラマの世界とはまた異なる記述も数多くあり、複数のソースで歴史を追体験することの重要性を痛感した。

次の中村氏が輩出され、いつか「平成史」も書かれることだろう。願わくば平和の時代として書き留められることを。
キャプテンハーロック (角川文庫)
松本 零士 , 福井 晴敏 / KADOKAWA / 角川書店 (2013-09-25)
読了日:2013年9月15日
東京で映画「キャプテン・ハーロック」(フルCG映画)を見たあと、本屋でこの文庫を見つけて夜中に読んだ。
なるほどそういうわけだったのか、あの描写は、なんて納得しながら熊本に戻ってもう一度映画館に行くことに。
けっして評価の高い映画ではなかったようだが、中学生のころに毎週アルカディア号が空から僕を拾いに来てくれないかと目深に被った学生帽の下から空を仰いでいた身としてはもうヒャッハー的に万歳三唱の映画だったのである。
ストーリーにはいくつか言いたいこともありますがそんなことは関係ない。松本零士が「さらば宇宙戦艦ヤマト」で主人公を討ち入りさせて怒ったという逸話を思い出したが、2010年暮れにはまたも実写版ヤマトでキムタクを討ち入りさせられ、おそらくはそんなやり場のない彼の怒りを結晶させて「死ぬなよ」と本気で言わせるために捻り上げた傑作なのである、少なくとも僕にとっては。
帝国の時代をどう生きるか  知識を教養へ、教養を叡智へ (oneテーマ21)
佐藤 優 / 角川書店(角川グループパブリッシング) (2012-04-10)
読了日:2013年9月15日
2月にブックオフで手にした新書を読み終わったのが9月だったのだ、しばらくずっとトイレ本棚に保管されていた新書。前半があまりに難しくてあーこれはたぶん読み終えないだろうなあと半ば諦めていたからだ。ところが第二部になると連載誌が変わったようで一変して分かりやすい内容となった。と同時にあっというマに読み終えてしまった。
後半連載時は震災直後からまだ民主党の菅政権が続いていた時期である。今から考えると3年も経たないちょっと前なのだが、取り上げられている話題がすべて懐かしく感じる。しかし同時に「なんだ同じこと繰り返しているではないか」という感覚も浮かんでくる。

時事ニュースは少し時間を置いてから読んでみるのも良いなと思った。テレビも新聞もネットも皆が皆大きく取り上げている時期にはノイズもそれだけ多いものだ。やたら危機感を煽る人もいれば今ごろ何を大げさに、とニヒルに冷笑する人もいる。ただでさえ多いノイズにそんな情緒が絡みつく。だから僕にはまともな判断など下せない。

政治の当事者でも大企業で最先端の決定を下している立場でもない僕には古本屋で求めた新書を糧に、いま大騒ぎになっている諸問題の行く末を想像することくらいがちょうどいいのかもしれない。
タブーすぎるトンデモ本の世界
と学会 / サイゾー (2013-08-09)
読了日:2013年9月6日
トンデモ本の世界は流行していたころに読んでいたこともあり,あら久しぶりねと読んでみた。
知っている話が多かったので特段の驚きなどはなく。
ただちょっとこのスタイルも食傷気味というか賞味期限切れしてる気もした。
また、震災以降、特に陰謀論を取り上げるときには以前以上に神経を使う必要があるのでは、とも感じる。
もはやせせら笑い、笑い飛ばして解決する問題ではないのだ。
放射能やネット右翼などいくつかの問題については「ネタにして笑い飛ばす」という態度ではなく、真剣に向き合う必要もあるのではなかろうか。
社会脳とは何か (新潮新書)
千住 淳 / 新潮社 (2013-08-10)
読了日:2013年9月5日
伊藤洋一氏のPodcastで紹介されたのでAmazon購入。理系に進んだ学者がどのような経緯でテーマを確定し、世界中の専門家と出会い、導かれ学者として成長していくのか、というストーリーがとても面白かった。一方で「社会脳」という言葉については最後まで明確なイメージを持てなかった。ネーミングが今ひとつしっくりしてない気がしたのだ。○○脳って言われるとゲーム脳や放射脳みたいなわりとマイナスなイメージを持っているからかもしれない。
現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇 (ちくま新書)
大田 俊寛 / 筑摩書房 (2013-07-10)
読了日:2013年8月30日
何となくAmazonで買って読む。ガキの頃少年誌で読んだあんな話、学生下宿で夜中にひそひそと語られたこんな話、働き始めてからお偉いさんとの雑談の中でまことしやかに語られた与太話などのルーツを探っていくとダーウィンへの反発やらナチスやらがざっくざくと掘り出されるという話。
霊性進化論の考えについては、70年代に少年期を過ごしSF好きな僕にもある程度の影響を与えていたこと、そしてそれらがほぼ近代の創作または病的な妄想であったことを自覚できたことは少なからず収穫だった。

まことしやかに語られる陰謀論の多くがルーツのはっきりとした創作にあることくらいは、広く周知しておくべきではないかと思う。勉強ばかりしてきたタイプや逆に叩き上げの成功者なんかがコロッと騙されてるのを見かけると、切実にそう思う。
昭和史(上)
中村 隆英 / 東洋経済新報社 (2012-07-26)
読了日:2013年8月28日
Kindleで勧められ。ほとんど偶然なのだが、去年読んだロベール・ギランの「アジア特電」で描かれていた戦前の日本と見事にリンクした。去年の9月にこれまた偶然訪れた軽井沢旧三笠ホテルも出てきた。さらには映画館で観た「風立ちぬ」も。東京の住まいが広小路と本郷の間にある湯島なこと。そしてそこで経験し地震。もう何もかもが偶然とは思えない感じでこの本に書かれている世界とリンクしている気がしてしまって,夢中になって読んだ。

本心でもっと早い時期に(本書刊行は1993年)読んでおくべきだったと後悔した。毎日のニュースの見方が確実に変わったことだろう。

たとえば、

"要約すれば、現行憲法にくらべて、政府、陸海軍、貴衆両院、枢密院、司法部などはそれぞれに天皇のもとに固有の権限をもち、相互に牽制しあっていたといってよいであろう。 208"

"明治憲法におけるこのようなさまざまな権限の分立を事実において調整するものは、憲法に規定されていない元老という存在であった。 215 "

という記述でもって初めて戦前における元老という存在の大きさを知る。僕はこれを「明治維新の副作用」だと感じた。成功体験の復讐と言い換えて良いかもしれない。

また、

"要するに昭和初期にいたるまで、現代の大企業において株主の支配力がきわめて低いのとは対照的に、大株主の企業支配が一般的に続いていたのである。 245 "

という状況も知ることがなかった。この書における「現代」とは1990年初頭であるから、その後日本はまた株主による企業支配の方向、すなわち戦前と同じ企業統治へと舵を切ったわけだ。

また戦間期における日本の状況がドイツなどとは全く異なっていたことも驚きだった。

"ヴェルサイユ会議の結果つくられた国際連盟と、ワシントン条約とは、第一次大戦後の世界の状況を固定させることによって、戦後の平和を維持しようとするイギリスやアメリカの発想の実現であった。とくに太平洋諸国の現状維持を定めたワシントン条約の体制は、西園寺ら親英米派にとってはきわめて歓迎すべきものであって、これによって、日本は英米に協力して世界政治の采配の柄を握ることができるようになったと考えられた。 749 "

"客観的には当時の日本の国力にふさわしい決定がなされたにもかかわらず、帝国主義的な膨脹論者には耐えがたい不満が残る結果になったのである。 755 "

なのにどうして日本は対米戦争など始めることになったのか。

”異常なブームの後の大恐慌の結果、経済界の様相は一変した。大戦中に大胆な取引を行い、巨利をおさめた企業は、戦後も強気を持続したものが多かったから、恐慌によって損失を蒙ったのである。この結果、比較的堅実な経営方針をとっていた企業と強気一点張りだった企業との間の格差が拡大した。 804 ”

”しかし、それとともに、悪名高い治安維持法も成立した。枢密院顧問官であった平沼騏一郎は、欧州では共産党の結社を認めているけれども、日本では法律で厳禁することが必要と考えていた。そこで平沼は、共産党の結社禁止をやらねば普通選挙に同意できないと述べて、国体の破壊と私有財産制の廃止を意図する者を処断するための治安維持法を抱き合わせに成立させたのである( 1094 ”

つまり、格差の拡大という経済的環境と、共産主義への恐怖という社会的状況が戦争への下地を作り上げていったのだ。

美談を垂れ流すマスコミも協力した。

"軍国「美談」は一般大衆のアピールをねらって、次々にジャーナリズムを埋めつくした。恤兵献金や軍用機献納のための愛国献金は、各新聞社の競争で行われ 2601 "

"一般読者の目を惹くのは、やはり満州・上海の戦況であり、ジュネーヴにおける「名誉の孤立」の謳歌であり、近づく日ソ未来戦という陸軍のキャンペーンであり、社会面では軍国美談とセンセーショナルなエロ・グロ事件であり、「凶悪」な共産党活動の当局による摘発であり、右翼テロ実行者の志士仁人扱いであった。日本の大衆は、このような動向に比較的容易に追随していったのである 2605 "

なんだか2013年の状況(マスコミの代わりはSNSが相当果たしているが)と変わらない気がしてくる。

"一九三一(昭和六)年秋からの一、二年の間に、日本の社会状況はなだれを打って右側に移動したのである 2613 "

二〇一一年、と言い換えてもあまり違和感はない。
つまり、ショック・ドクトリンだ。

"統制派の幕僚たちは、二・二六事件のような非常事態をむしろ利用して、軍の希望する政策を実現しようとする意思をもっていた。彼らの国内改革の方針は、きわめて簡単にいえば、すでに満州国で実現されていたような、総理大臣を中心とする国策推進機構を置き、各省を合併して、簡素な政治機構に改め、その中心部を軍部の意向に従って動かそうとするところにあったものと思われる。 3000 "

今に生きる官僚の「焼け太り戦略」はそんなに長い歴史を持っていたのかと驚く。

"太平洋戦争はおそらく避けられたものであったが、軍部とこれに結びついた官僚の政策決定が戦争をもたらしたことは否定できないからである。戦争が激化し、国民生活水準が窮迫するにいたっても、軍部にとっては戦争の完遂こそが第一の目的であり、国民の生活や生命はそのために犠牲にして当然と考えられていたのである。 4781 "

・・・このあたりは何ら2011年の原発事故と同じ構造のままである。

そしてもっとも重要なことは、

"戦争はいったんは勝利への期待をもたらし、全国民は大東亜共栄圏の夢に胸をときめかせたのである。 5228 "

という記述だ。悪いのは一部の好戦的な軍部や、無能な政治家、ずる賢い官僚のせいであって、国民はむしろ被害者だった、という話はよく耳にするが、著者はそんなエクスキューズは認めない。

そして東アジア解放戦争だった、という美談も封印する。

"太平洋戦争開戦の詔勅は、ただ「自存自衛」をうたうのみで、「東亜の解放」はそもそも戦争目的にかかげられてはいなかったのである。帝国主義国間の相剋が、帝国主義的支配の終焉をもたらした。 5390 "

著者は伝記作家などではなく、一流の経済学者である。彼の語る昭和史はあまりにも、重い。
堀越二郎と零式艦上戦闘機 ゼロ戦の栄光と悲劇 (レトロハッカーズ)
牧野武文 / 牧野武文 (2013-07-23)
読了日:2013年8月18日
映画「風立ちぬ」を見に行こうかなあって思ってた時期に見つけてKindleで。こちらを先に読んでから映画を観たのだけど、それは正解だった。あの映画の背景と宮崎駿が強引に描こうとしていた世界観とのギャップを推し量ることができた。
風船爆弾の真実 陸軍登戸研究所と731部隊 (レトロハッカーズ)
牧野武文 / 牧野武文 (2013-05-20)
読了日:2013年8月18日
100円シリーズ。エリア51の秘密も元はと言えば米国製風船爆弾計画だったというニュースを目にした時期に読んでいたのでちょっとタイムリーだったかも。大江戸博物館で風船爆弾の展示を見たことがあるけど、高度なテクノロジーとは鉄と電子ばかりではないのだ、と実感した。日本人って何にだって血道を上げてとことん作り上げてしまうのが良いところでもあり、恐ろしいところでもあり。
値段から世界が見える! (日本よりこんなに安い国、高い国)
柳沢 有紀夫 / 朝日新聞出版 (2013-02-04)
読了日:2013年8月12日
日替わりセールで購入。世界各地に住む日本人が寄せる文から見える現地の価格事情。単に為替がどうとかって話だけでなく、食品が安いとか住まいが高いとか、傾向みたいなものを通してその国の国民が志向する生活観みたいのが見えてくるという趣向らしい。実際には旅したり暮らしてみないと分からないのだろうけど、現地に住む日本人のブログを眺めながら想像するって感じかな。日本でしか暮らしたことがないとあたかも自分たちの国の値付けが常識的なものになってしまうとか、真逆に「日本だけが異常だ」といった物言いになってしまいがちだけど、こういった多様性を眺めるのと、それでも何か共通するものがありそうだって揺らぎを通じて、自分自身の理想とする値段の感覚が醸成されると面白いわな、と思いました。
すごい人のすごい話
荒俣宏 / イースト・プレス (2013-04-17)
読了日:2013年8月7日
これもPodcast番組で著者インタビューを聴いて。荒俣宏氏と13人のすごい人との対談集だが、もっともすごい人はアラマタ氏であることは間違いない。文中にそういうテイストは一分もないけど。
四至本アイさんの名前は本書で初めて知ったけどもう歴史そのもので、人間ってすごいもんだわと素直に感動した。他の登場人物も知っている人知らなかった人名前だけ聞いたことある人、だったけど全員の本を買って読みたくなった。続編が出るまでにはトライしておきたい。
里山資本主義  日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)
藻谷 浩介 , NHK広島取材班 / 角川書店 (2013-07-10)
読了日:2013年8月3日
浜松町の書店で平積みだった本。藻谷浩介氏とNHK広島取材班による本で僕にとっては前著「デフレの正体」以来たくさんの棒線を引きながら、連続で二度読んだ。その後岡山に出張したのだが、ホテルの部屋で読みながら岡山の事例が出てくるのが不思議で面白かった。
大筋として今のところ反論が思いつかない。もちろん各論に入ればこれからいろいろ限界や問題点、副作用なども提起されていくのだろうけど。でもサブシステムが必要となってることだけは間違いないのだと思う。
従来の技術とのハイブリッドというかたちで徐々に進行していく資本主義のアップデート、もしくはセキュリティアップデートとしての里山資本主義。
それは現行のシステムを少しだけ延命することになるのか、それともより良い方向へと修正していくものなのか、あるいは進化の袋小路に嵌まってしまうのかはまだわからない。
同時にエネルギーを最小化するための努力も必要だとは思いつつ。
ネットのバカ (新潮新書)
中川 淳一郎 / 新潮社 (2013-07-13)
読了日:2013年7月31日
暇つぶしのつもりで買ってきたのだが読み始めたら止まらなくなってしまった。高校の副読本としてはどうだろう。
僕自身、仕事の関係もあって著者同様、起きてる時間の大半は身の回りの何かがネットに接続されている状況が20年近く続いているわけだけど、そういえばインターネット勃興期に感じていた「こんなことができるようになった!」「近い将来あんなことも常識になる!」「もうインターネットの勝ち!」「ネットにしか真実はない!」みたいな高揚感はいつの間にか消えてしまっている。むしろ「まあ便利だから使ってるけど」とか「考えてみればこの10年くらい何も変わってないなあ」とか「10年後もたいして変わってねえだろうなあ」という冷めた感覚で接するようになったと思う。
たしかにTwitterが出てきたときは,あーこれは面白いって興奮したものだけど、あっという間に冷めていった。理由は本書に書いてある通りだ。Facebookもやってるけど、「FBでネットデビューしました」系のまじめな友人たちが次から次へと昔懐かしいガセネタとか感動記事をシェアしてくる状況にはちょっとどうかなって思わなくもない。

だからといってネットはダメだ、ということでもないわけで、要は自分にとって必要な時に必要な機能を、過大な夢など見ることなく、使っていきましょうってな話である。僕もあまり詳しくなかったがPV(ページビュー)にまつわるビジネス話など、人の善意や覗き見趣味を商売にしている人も多いってことだから、やっぱり何ごとも自覚的に距離を置くことってほんと必要だなあと。

ネットで何かを発言するようになって3年未満の人は、ぜひ手にとって読んでみてください。お願いします。
夏への扉
ロバート A ハインライン , 福島 正実 / 早川書房 (2010-01-25)
読了日:2013年7月30日
Kindleでうろうろしてて、そういえばハインラインの作品って読んだことあったっけ?と気になり始め、つい購入。
アメリカの黄金時代、未来は科学技術の進歩によっていつも明るく彩られているはずだった。2001年は素晴らしい未来となることが約束されていた。たしかに核戦争は行われたがそれでも人類はひるまなかった。未来への進歩を続けていた。そんな科学への信頼に溢れた時代に書かれたタイムトラベル小説だった。
きっと同じようなテイストのさまざまなSFが溢れていたはずだ。小学校の図書館に行けばSFではないにしろ、そんな未来への希望に溢れたジュブナイルを読むことができた。
そんな昔懐かしい感覚を楽しみながらページをめくった。いや、フリックしただけだけど。ちょっとは未来になっていたのだ。ちょっとだけ。
「富士見」の謎――一番遠くから富士山が見えるのはどこか?(祥伝社新書239)
田代 博 / 祥伝社 (2011-06-02)
読了日:2013年7月30日
伊藤洋一のRound Up WORLD NOWのPodcastで紹介されてたので。読んでてどこか懐かしいと思えたのはずいぶん昔にカノープスは日本のどこで見えるか、なんて天文雑誌の記事を読んだことがあるからだ。
趣味人の情熱っていいよなあ。100年くらい経って21世紀初頭の日本の文化として紹介されるのはこんな記録だったりするんじゃないか。いつまで富士山が今のかたちでいてくれるか、わかんないんことだし。
琉球新報社 / 琉球新報社 (2012-08)
読了日:2013年7月20日
那覇のジュンク堂で購入、東京までの機内で読んだ。「米軍基地反対運動とかやってるけどあれは本土の人間がわざわざやってきてるのがほとんどで、地元としては基地がなくなると困るんだ」とか「住宅地の真ん中に米軍基地がって報じられるけどあれは基地の周りにあとから住宅地ができただけで」といった話はネットに普通に流通しているし、沖縄に出かけた際も現地で耳にしたりする。僕らはそういった「マスコミが報じない本当の話」が大好きだったりする。しかし。

現地の新聞に連載された沖縄経済のレポートを読み進めていくにつれ、ことはそんなに単純明快でないことが次第にわかってくる。311以降、原発に関する本を買い漁って読みまくった時期があったが、その時にもそんな感触を得たことを思い出した。「分かりやすい話」は現実のほんの一部にすぎない。空間も時間も人間も複雑で絡みあっている問題を簡単に論じ、「目からウロコ」のように分かりやすく解説してくれる言説に僕らは注意しなければならない。

だから僕も沖縄経済についてちょっとかじったくらいで語るのはよそう。だけどこれだけは書きたい。補助金は麻薬だ。活性化などという言葉は幻想だ。カネで何かが解決できるのは事実だがそれ以上に副作用があることを忘れてはいけない。
琉球新報社 / 琉球新報社 (2013-05)
読了日:2013年7月18日
沖縄出張中、那覇のジュンク堂で購入。福島での原発事故後、日本で唯一原子力発電所を持たない沖縄電力および沖縄県の電力事情が今度どのような動向を辿るのか日本中から注目された。この本は震災後琉球新報に連載されたさまざまな先進的電力確保の事例を集めたものである。とても興味を惹くものから、これはどうかなあって思う事例もあるけど、これだけたくさんの開発方向性が残されていると思うと少し安心もしたりする。
だが一方で人類ってのはエネルギーを求めてやまない種族なのだなあ、という少し冷めた気分も漂う。生物である以上、自らコントロールできるエネルギーを拡大させながら進化してきた歴史を思うとこれからも我々は電力に代表されるエネルギーを加速度的に消費しながら次の進化へと進んでいくのは避けられない業のようなものかもしれない。それは欲望とリニアに結びつく行動だからだ。はたして欲望をコントロールすることはできるのだろうか。
一日江戸人 (新潮文庫)
杉浦 日向子 / 新潮社 (2005-03-27)
読了日:2013年7月8日
妻が読んでいた本を借りて読んだ。江戸時代のオシャレやモテがイラストで表現されててとても楽しかった。
著者が既に亡くなっていた著名な女流漫画家で、荒俣宏の奥さんだったことは読んだ後で知った。
海外向け秋葉原レポート 逆輸入版1 “This week AKIHABARA” JUN
SEI's factory /
読了日:2013年7月1日
セールで無料だったのでダウンロードしてみた。ふーん、って感じ。秋葉原から徒歩10分のところに部屋を借りて4年になるのであの界隈はけっこう徘徊しているのだが、幸か不幸か二次元趣味やAKBへの興味がほぼゼロなので恩恵にあずかったことがない。この本は外国観光客向けに書かれたものの和訳だという。たくさん写真も掲載されているので、いつか懐かしくなって読み直し、ああ、もっと遊んどけばよかったよ!なんて後悔するのかもしれない。
「中卒」でもわかる科学入門 ”+-×÷”で科学のウソは見抜ける! (角川oneテーマ21)
小飼 弾 / KADOKAWA / 角川書店 (2013-04-10)
読了日:2013年6月30日
Twitterで著者をフォローしてて何となく勢いでKindle購入。
僕はどちらかといえば文系だという自覚があるけど、妙に理屈っぽいところが理系的だとよく言われる。
でも数字の扱いとか致命的にダメダメで。そういう意味でタイトルに引かれ。

たしかに2011年以降、科学への信頼や評価はどん底に落ちている。
一部では冷静な意見もあるが、特にネット上においては悲劇的なくらいに悪質に描かれることが多くなったようだ。
僕が子供だった頃の70年代も公害問題などで科学はけっして万能ではない、というテーマは数多く書かれたものだが、実際の生活においてどんどん進化する科学技術を応用した製品群のおかげであくまでそれらは一部で語られるオルタナティヴな意見として流通していた感がある。
だが今ではむしろ「科学なんて信用ならない」という意見を述べる人間こそがまともであって、未だに「でも科学技術の進歩がいつか解決してくれるさ」なんて言おうものなら確実に「学んでいない」と白眼視される風潮だ。

僕自身がどちらの立場だって明確なわけではないけれども、現時点においてはここ100年近く続いてきた科学の時代が少なくとも踊り場に立っていることは間違いないと感じている。
それはそれで必要なことだとは思っているのだけど、一方で明らかにウソ偽りと思われる情報もまたまことしやかに流通しはじめたというやっかいな話だ。たいてい「これまでに無かった新しい科学」を謳っているか「科学では解明しきれない不思議な効能」を謳っていたりする。そして踊り場で戸惑う人間のハートをわしづかみにする。

この書では四則計算さえ理解できればそんなウソには騙されない、と説く。

"四則演算ができ、単位系が揃っているか判別でき、そして論理的思考ができる。これが専門家と話ができるようになるための「三種の神器」です。 714 "

という感じだ。

その上で、

"最近、私はあちこちで一回り大きく考えることの重要性を説いています。自分が心配なら家族、家族が心配なら市町村、市町村が心配なら都道府県、都道府県が心配なら日本、そして日本が心配なら世界──とはいってもたかだか地表──のことを考えろというわけです。 858 "

と、今よりも少し視野を広げることが必要なのでは、と説く。同感だ。

一方で、

"何を言ったかではなく、誰が言ったかで物事を判断する。これを権威主義といいます。 922 "

と、属人的な判断の危険性を説く。これも同意したい。

特に現代日本における科学の現状は

"国から補助金をもらうにせよ、民間企業で利益を上げるにせよ、現在の科学は役に立つことを強制されています。そして、そこで働く科学者は、科学を使ってカネを稼がないといけない立場になってしまいました。これが科学者のポジショントークを生むことにつながっています。 1478 "

という危うさをはらんでおり、そもそも

"科学とは人類の「趣味」であるべきではないか。 1484 "

というくだりには大賛成だ。

「背に腹はかえられない」人たちが科学の信頼性に傷をつけ、時に大きな事故を誘発し、拡大させてしまうのだ。

"「働かざる者食うべからず」が常識であった社会では、勤労が美徳とされてきましたが、今はこの常識を改めて見直すべき時期に来ています。 1724 "

"試行錯誤や偶然こそが新しい発見や発明を生み出すのであり、それを可能にするのは「暇」でしょう。 1745 "

もっと鷹揚に、悠長に、科学と付き合っていくことができればなあ、と思ったのでした。

「エネ放題」にはいまひとつ賛成しかねているんだけど。
生物にとって時間とは何か (角川ソフィア文庫)
池田 清彦 / KADOKAWA / 角川学芸出版 (2013-06-15)
読了日:2013年6月30日
Amazonからの営業メールにまんまと引っかかりKindleで。2回読んだけどけっこう難解でまだ全部理解したわけでもない。でも刺激的な本だった。ふと小松左京の古いSFを再読してみたいな、と思ったり。

生物にとって時間とは何か。
まず下記の問題提起がなされている。

"物理学や化学などの現代科学は、物質と法則という二つの同一性を追究してきたのだ、と言ってよい。この二つの同一性は不変で普遍であり、ここからは時間がすっぽり抜けている。別言すれば、現代科学は理論から時間を捨象する努力を傾けてきたのである。 139 "

やはり難解だ。

"生物は無生物の空間中に離散的に存在する特殊な空間であること 293 "

と書かれると少し納得した気分にもなってくるが。

"この空間は物質の代謝と循環により動的平衡を保ちつつ徐々に変容することに加え、自分に必要なすべての装置を自分自身で作っている、という性質を有している。自分自身を作り出すシステムは、一般にオートポイエーシスと呼ばれる。 294 "

と続くともう脳内混乱が始まるのである。

"免疫系は崩壊を内包するシステムなのである。 514 "

このあたりで少し「時間」という要素が見えてきた。

そして

"カール・ポパーは世界を三つに分けた。世界1、世界2、世界3である。世界1は物それ自体の世界、単純に言えば自然である。世界2は意識あるいは主観的経験の世界、狭義で言えば私であり、広義で言えば自己及び自己以外の何かを認識できる主体である。世界3は言明それ自体の世界、単純に言えば表現(の総体)である。 739 "

"我々が実際に観察した自然種(これは世界1上にある)の同一性は、世界3を媒介項として世界2上に構成されるのである。 806 "

といったレトリックに引きずり込まれ、気がついたらぐいぐい読み進めている(何度も戻りながらだけど)。

だんだんとあらこれは時間ではなくコトバをテーマにした本だったのか、と感じ始める。

"固有名とは何かという問いをめぐっては、記述説と因果説の対立が有名である 920"
"記述説とは、固有名は記述の束に還元することができる、との説である。 921 "

もしかして彼のいう「生物の時間」とは「僕らが個体に感じてしまう霊性」みたいなことなのだろうか。
あるいは寿命という有限性を著者は「生物の時間」と呼んでいるのだろうか。

"イヌというコトバとイヌという現象のはざまから私の世界2上に構成される同一性は、やはり時間を産み出すように思われる。なぜなら我々は見知らぬイヌを見ても、それをイヌだと同定することができるからだ。その限りにおいて自然種名が孕む同一性は固有名が孕む同一性と時間を生成するという点において質的に変わるわけではない。問題は固有名は唯一の個物を指している(ようにみえる)のに対して、自然種名は複数の個物を指しているという違いだろう。 977 "

そして遺伝の話になっていき、また難解になって僕の頭の中にはなぜかエヴァンゲリオンなイメージが・・

"実在する真正な種は、システムの同一性によってコードされるため、種は個体の中に封緘されている。もっと極端に言えば、細胞の中に封緘されている。受精卵は、このシステムによって拘束され、種の枠を超えて発生することが通常はできない。個体は種の統制の下にあり、その意味では種に属している。しかし、このシステムはオートポイエティックなシステムであり、ここでの同一性は結局は時間を孕むため、個体(細胞)は常に種の枠を逸脱する可能性を担保されている。その意味で、個体は種を生きて時に種を超えるのである。 2118 "

なになに、なんだって!

"時間とは非決定性の別名である。 2301 "
"この文脈では、時間とは選択の別名である。 2312 "

そしてまた混乱してしまう。まるで神学論争のようだ。非生物にくらべて生物は少しだけ神に近いものなのか。

"生物は自分自身でルールを作りつつそれに従っている、あるいは、あるルールに従いつつ、別のルールを作っている、といった形式の〝ルール〟に従っているだけだ。すでに述べたように物質もこの形式の〝ルール〟に従っている。しかし、物質の〝ルール〟はルールであるかのように錯認し易い〝ルール〟である。生物と物質では〝ルール〟に孕まれる非対称の時間の速度が違うのだろう。〝ルール〟にも色々あるのだと言う他はない。非対称の時間を産み出す同一性の形式も様々ということなのであろう。 2428 "

まだまだ全然わかんないのだが、科学、生物、時間といったコトバの奥に著者が何か深遠なものを捉えようとしていることは少し分かったような気がした。

"科学とは時間を強制的に止める思考実験によって、逆にどんな時間が流れているかを理解しようとする営為なのだと思う。 2670 "


でも難しい本でした・・・
想像ラジオ
いとうせいこう / 河出書房新社 (2013-03-27)
読了日:2013年6月29日
ラジオでいとうせいこうのインタビューを聴きながらそのままKindleで購入。その日のうちに二度、読んだ。
こんな小説を書けるのは10代までだと思ってた。著者もしばらく書けなかったようだけど震災を機に書きたくなったのだと言っていた。日常に綻びが生じたとき、芸術家は生まれる。あるいは再生する。だけどそれをかたちにできるのはほんの一部のギフテッドな人だけなのだと思う。僕らはそんな作品に触れて、あのときの気持ちを思い出す。iPhoneに入っていたリデンプション・ソングを掛けながら。
パンク侍、斬られて候 (角川文庫)
町田 康 / KADOKAWA / 角川書店 (2006-10-25)
読了日:2013年6月29日
相変わらず面白いです、この人の小説と文体は。長い長い夢を見ているようなんだけど登場人物の一人一人のキャラがしっかりしててそのうち夢なのか現実なのか過去の物語なのか未来世界を描いたSFなのか分からなくなる。つまりずっと酔っ払っているようなのだ。
Amazon Kindleダイレクト出版 完全ガイド 無料ではじめる電子書籍セルフパブリッシング
いしたにまさき , 境 祐司 / インプレスジャパン (2013-05-14)
読了日:2013年6月24日
別に作家になろうって気はないのだけど、電子書籍という現象は作家と読者の間に存在する垣根を取り払ってくれるのではないかって幻想を携えてる気がして、どんなもんやろ、と買ってみた。

この分野でこれから最も重要になる職業は「編集者」だということが良くわかった。
ちょっとだけ裏側を垣間見た気がしたので面白かった。
「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))
山本 七平 / 文藝春秋 (1983-10)
読了日:2013年6月22日
ずいぶん難解な言い回しだなあと最初は苦労したけど、主に寝る前やトイレのなかでじわじわ読んでいって、気がつけば2年越しくらいで読了していた。あまりにも有名な本なので先入観ばかりで半分は読んだ気になっていたものだが、実際に読んでみるとまた違った感触を得ることができるものだ。

空気、とは日本だけの問題なのだろうか。もちろんそうではない。ただ日本は「空気」以外の要素が比較的弱いといことはおそらく事実だろう。政治の世界や企業経営、マーケティングの現場でも彼らが主に闘っている対象は「空気」である。いかにして自分に有利な「空気」を作り上げることに血道を上げているといっても過言ではない。SNSだってそうだ。フィードやタイムラインのなかで空気を読まない発言はリジェクトされる。空気を盛り上げるために「いいね!」が押される。あるいは空気に押されて「いいね!」してしまう。

空気だけを問題にしても始まらない。空気と呼ばれる何かが確実に存在し、その影響力が思った以上に強いということを十分に自覚しつつ、空気以外の論拠をしっかりと探し、自分なりに極めていくことが大切だなと思う。
異国トーキョー漂流記 (集英社文庫)
高野 秀行 / 集英社 (2005-02-18)
読了日:2013年6月12日
愛だよ、愛。愛は地球を救う、愛こそはすべて、そんなセリフはみんな嘘くさいけど、でもここに描かれているトーキョーの底辺に集う異国の民こそは愛でこの地球から不幸を遠ざけるのだ、みたいな興奮がどこからともなく降りてきた、そんな幸運な読書体験だった。
アヘン王国潜入記 (集英社文庫)
高野 秀行 / 集英社 (2007-03-20)
読了日:2013年6月12日
こんな変な話は読んだことがないのに彼の書く本はみんな同じテイストなのだから不思議だ。地球が、人間が、愛おしくなる。黄金の三角地帯という地球上でもかなり凶悪だと思われている地域で実際にアヘンを栽培しながら暮らすという前代未聞な日本の若者の視線を通じて伝えられることは「そこにも日常がある」という事実だ。我々はテレビや新聞、ネットを通じて「普通の人間が暮らせるところではない」戦地や被災地や貧困地帯の話を見聞きするが、実際に行ってみるとそこにあるのは何ら変わらない日常の風景だ、という本を読んだことがある。でもまさかゴールデントライアングルまでもそうだったとは。
でもまあ僕が実際に行くことがあったとしても、とても日常感までは感じえないと思うのだけど。著者だからこそって気もする。その反面、もしも半年くらいそこで暮らせたらひょっとして僕なんかでもちゃんと受け入れることができるのかも。そんな希望もなんとなく伝えてくれる。
大学の発想転換―体験的イノベーション論二五年
坂本 和一 / 東信堂 (2012-10)
読了日:2013年6月8日
著者は大学時代のゼミの教授。同窓会でいただきました。立命館大学の3回生、4回生(1985〜86年)に著者のゼミに在籍していたのだが、当時はまだ左翼運動的な雰囲気を残しつつマルクス経済学などが主流だった経済学部の中で著者のゼミだけは企業研究や業界研究をやってて異色だった記憶がある。僕は週に1回程度ゼミに顔出しては、将来の情報産業はどうなるとか適当なこと発言してただけだったが、卒業後坂本教授はどんどん出世し、大学自体の方向性をグルリとドライブさせ、いまや当時とは比較にならないブランド力を誇る学校に仕立て上げてしまった。その手法たるやそんじょそこらの経営者じゃ太刀打ちできないレベルだったことがこの本を通じて良くわかった。
ありきたりですが、学生時代もっとマジメにくらいついておけば・・・(笑)
近代製鉄業の誕生―イギリス産業革命時代の製鉄業:技術・工場・企業
坂本 和一 / 法律文化社 (2009-04)
読了日:2013年6月8日
著者は大学時代のゼミの教授。同窓会でいただきまして。懐かしく大學時代を思い出しながら仕事の合間に読む。経済学者の仕事は現実に起きたビジネスの歴史を広い、分析し、歴史として総括していくことなのだとあらためて意識した。日々の仕事にかまけるとつい「成功事例」「失敗事例」という枠組みで過去の事例を見てしまう。だがそこに歴史という視線を意識することで何が起こっていたのかを違う文脈で整理することができる。その土台をもつことで未来へのハシゴに化けるのだなあと思った。
青い月曜日 (文春文庫)
開高 健 / 文藝春秋 (1974-12-25)
読了日:2013年5月30日
眠れない夜にKindleで探しものしていると結構な確率で一生忘れない書物に出逢う。へべれけになった後に深夜開いてる本屋に立ち寄ったときもそうだけど。
ほぼ自叙伝である。戦時中の大阪、国鉄で働かされる学生だった開高健がみた戦争という状況における日常。熱くもなく冷めてもいないニュートラルな作家的視線を通して描かれるのは、僕もそこにいたかもしれない、と思わせてしまう不思議な現実感だ。

たとえば下記の文章。

"この街は焼夷弾を浴びてどこまでも赤い廃墟がひろがり、気がつくと私は岸壁にたっていた。水平線の広大なひろがり、燈台の灯、湾内に沈んだ貨物船の赤錆びた船腹や折れたマストなどが私を恍惚とさせた。空と光と風景は最良の瞬間になかった。けれど私は厖大な物質の崩壊と荒涼のほかに美を知らされていなかった。焼跡ほど清潔さで私を魅するものはなかった。それは巨大で徹底的な意志の容赦ない通過の跡であり、痛烈に快かった。人びとの悲嘆、懊悩は私にほとんど訴えてくることがなかった。私はこの痛烈さのほかに自分をゆるがす自然美を知らなかった。 2127 "

21世紀の日本だともう許されないかもしれない表現。だが確実にある種の感情を言い当てている。
だが後半に向かうにつれてそんな初々しい切なさが消え、どうしようもない圧迫感、閉塞感が襲ってくる。戦争はもう終わったのにだ。今となってはそれも何となくわかる気がする。
神に頼って走れ! 自転車爆走日本南下旅日記 (集英社文庫)
高野 秀行 / 集英社 (2008-03-19)
読了日:2013年5月30日
これも中古で入手。実はわけあってキタ2号と同じメーカーの自転車を東京に置いてるんだけど、熊本まで乗って帰っちゃおうかしら、なんて妄想しながら読んだ。冷静に考えるとそんなこと到底無理なんだけど。でもそんな想定をアタマの片隅に置いて読むのは楽しい。いま東京にいる息子にこそっと渡したけど読んだかな。若いから自転車で帰ってくればいいのに。きっと人生が拡がるし、そうなるとインドもすぐ目の前だ。
総員玉砕せよ! (講談社文庫)
水木 しげる / 講談社 (1995-06-07)
読了日:2013年5月28日
面白いから読んでおくべきだ、というある作家の文章を見つけてAmazonを検索してみたけどもう売ってなくて、けっきょくブックオフオンラインで入手、届いた日に読んだ。
太平洋戦争における日本軍の戦いは時に美談化され、劣勢でも勇敢に国のために散った軍人さんたちといった物語性を帯びて伝えられたりするが、これを読む限りけっしてそんなことばかりでもなかった。情けなく、無意味で、理不尽な状況で多くの若い命が失われた。ずいぶんと濃度は薄まっているのかもしれないが、現代日本でも基本構造は大して変わっていないのかもしえない、とも感じた。
福島原発の闇 原発下請け労働者の現実
堀江 邦夫 / 朝日新聞出版 (2011-08-19)
読了日:2013年5月27日
これもブックオフオンラインで。数年前に堀江邦夫「原発ジプシー」を読んでいたのであらためてそれを視覚的に補う体験となった。おそらくは今でも大して変わらない労働環境だと思われる。エネルギーを生み出す過酷な現場を知らずに僕らがこうやって電力を消費することが許されるのはなぜなのだろうか。年末になるとあちこちに家や庭が無駄に電飾で飾られるのを見ながらそんなことを思う。もちろん人はパンのみにて生きる存在ではない。だが無自覚であってはならない。自らの快楽のために誰かが犠牲になっていることも自覚しなければならない。少なくとも2011年の春、ほとんどの日本人がそう自覚したのではなかったろうか。だが2013年の暮れにはもう電飾の夜が復活して誰もそれを不思議と思わない。
ずばり東京 (文春文庫 (127‐6))
開高 健 / 文藝春秋 (1982-10-25)
読了日:2013年5月25日
なんとなくKindle検索してて導かれるようにダウンロード。こんな古い本と出会えることが電子書籍の魅力だ。東京オリンピック(もちろんひとつ前の)直前の東京で発行されていた週刊誌に連載されていたレポート。たしかにちょっと古くさい昭和の文体も覗くけど、それでもやはり開高健は美文を生み出す。

たとえば以下の文。これ週刊誌に載せる文章かってくらい美しい。

"すべての橋は詩を発散する。小川の丸木橋から海峡をこえる鉄橋にいたるまで、橋という橋はすべてふしぎな魅力をもって私たちの心をひきつける。右岸から左岸へ人をわたすだけの、その機能のこの上ない明快さが私たちの複雑さに疲れた心をうつのだろうか。その上下にある空と水のつかまえどころのない広大さや流転にさからって人間が石なり鉄なり木なりでもっとも単純な形で人間を主張する、その主張ぶりの単純さが私たちをひきつけるのだろうか。橋をわたるとき、とりわけ長い橋を歩いてゆくとき、私たちは、鬼気を射さぬ孤独になごんだ、小さな、優しい心を抱いて歩いてゆくようである。 145 "

普段なにげなく眺めている東京の街がいきなり江戸に見えてくる。かと思えば遠い未来世界の都市の姿にも見えてくる。同時にこの本はまるで現代中国を描いているかのようでもある。公害を撒き散らし、過酷な労働条件の中にも小さな幸福を信じている民衆、農家から追い出されて都市を徘徊する若者たち・・・古いテキストはこうして幾度も黄泉がえり、いまや電子書籍となってまた雲の切れ目から降りてくる。


以下は気になった部分のハイライト。


深夜喫茶の本場は新宿だというので、新宿へいってみた。ここは居住者の土地というよりは通過者の土地である。通過する人びとがおとしてゆくものでにぎわっている。 227

クルマというものは広大無辺な大陸国の必要悪の産物なのであって、日本では過剰悪である。 882

小さな灯から人びとの声は生れて、凍てついた暗い未明の空へ細い煙のようにもつれあいつつのぼっていくのである。 1061

(身を粉にしてはたらくことがたのしいのだというマゾヒスティックな〝快楽説〟に私は賛成しないのである。どれだけのんびり怠けられるかということで一国の文化の文明の高低が知れるというのが私の一つの感想である。この点では日本は〝先進国〟でもなければ〝中進国〟でもなくハッキリと、〝後進国〟だと私は思う) 2041

だいたい新刊本屋はギラギラして毒どくしいので私は苦手である。無数の著者がオレが、オレがと叫びたてているようである。こわばった、とり澄ました顔で、おごそかに、つめたく、叫びたてている。オレの意見を聞け、オレの本を買えといって叫びたてているのである。脳の弱った日にはとても入っていけない。無声の喧騒にみちているような気がする。とりわけ私自身の本がならんでいる棚のまえは、胸苦しさと甘酸っぱさでイライラしてくる。 4224
データでわかる2030年の日本
三浦 展 / 洋泉社 (2013-05-10)
読了日:2013年5月19日
人口論って本当に興味深い。世の中の空気ととか勢いとか傾向の多くは人口という要因で説明つけることができるって思うんだけど今ひとつ重要視されてない。たくさんのデータとグラフで読み解く日本の将来イメージ。そりゃどうだ、と思えるデータもあれば、まさかそんな、と驚かされることも。手元に置いておいてたまに読み返すと面白い。著者に失礼かもしれないが読後はトイレ本棚で大活躍。
9条どうでしょう (ちくま文庫)
内田 樹 , 平川 克美 / 筑摩書房 (2012-10-10)
読了日:2013年5月19日
たまたま東京滞在中に近所で開催された「9条どうでしょう」ライブに出かけようと思い、直前になってAmazonにこの文庫を注文、届いた日にざっくり読んだ。僕には町山氏の章が一番切れ味鋭かったが、この本が出された2006年当時と同じ首相が復活して今また憲法論議が盛んになっているだけになかなか興味深く、かつ納得できる文があちこちに転がっていた。。
不甲斐ない政策を続ける政府に対向する国民の最大の武器は先人の理想を記した憲法である、という立憲主義の基本を忘れかけていたが、高校の授業以来あらあめて思い出すきっかけとなった。
また、アメリカ人はみんな米国憲法が大好きで、市井の人がお前は憲法違反だって喧嘩するというエピソードは面白かった。俺たちの憲法、という感覚は僕にはなかったからだ。
ライブで聞いた「憲法の始まりであるマグナ・カルタは勝手に戦争を始める英国王に対して、国民が、勝手に戦争するなと約束させたもの」という町山氏の指摘には納得させられた。憲法とは元来戦争させないためのものだったと。

クニと住民との関係が日本ではイエと家族のそれと相似になってしまっているという指摘を聞きながら、それは同時に「会社と社員」とも相似なのかもしれない。労働者の多くが会社員となった現在、日本人の多くが会社と自分の関係こそが普通で当たり前だと感じている可能性がある。有能なリーダーこそが会社を導くべきというパターナリズム(だが多くのリーダーは世襲だ)。意思決定は多数決でなく空気で。年功序列と業績主義。働くもの食うべからず。当然な非正規の待遇差・・・すべてがお山の大将に身を委ね、時に被害者ヅラしたり、時に組織力を傘に着たりしながら仕事や生活を続けてきた僕ら日本の小市民の姿に思いを馳せた。

自民党の憲法改正草案を長め渡すと、今回の憲法改正はそんな日本独特の民間企業的な「当たり前」を国家レベルで実現しようとしてるのかもしれないと思える。

まずは自分の感じている「普通」という感覚を疑うことから始めるべきだ。そんな読後感を得た本でした。
開発の勝利と事業の敗北 ライト兄弟とそのライバルたち (レトロハッカーズ)
牧野武文 / 牧野武文 (2013-05-02)
読了日:2013年5月14日
「ライト兄弟は開発に成功し、事業に失敗した」という話。
読後頭を過ぎったのは、アメリカは個人の力が試される国なのだなあということだ。現代日本だったらこんな発明も組織単位で行われるだろうし、特許も製品化も大企業がどこかで絡んでくることだろう。でも(当時の)アメリカは個人と大企業が同じ土俵で闘っていた。110年も前の話だけど30年前のAppleだって最初はきっとそうだっただろうし、Googleやyoutube、Amazonだって最初は個人の力に寄るところが大きかった。
どちらがどうとはいえないけれど、これからの日本はもっと個人の才覚で成功したり失敗したりする要素が増えていくと良いな、と思った。
交流・直流戦争から世界システムへ ニコラ・テスラと発明王エジソン (レトロハッカーズ)
牧野武文 / 牧野武文 (2013-04-28)
読了日:2013年5月8日
小学校時代、読書感想文でもっともつまらないと思っていたのが昔の偉い人の伝記を読んで、ってやつだった。まったくどいつもこいつも「エジソンは偉いなと思いました」とかばっかりおもねりやがって、まったくお前らってやつは!などと心の中で毒づきながら宿題の感想文を書いていないという後ろめたさから逃げようと必死だったものである。そんなことはどうでもよいんだけど、TwitterとかKindleに出逢ったおかげでこうやってニコラ・テスラなるファンキーな歴史上の人物のことを知ることができて、その感想を書いていたりするんだから面白いもんだ。
シリコンバレーで活躍する天才たちの多くが尊敬するというテスラのマッドぶり、しかし案外マジメで努力家なのかもと思わせる人生はとても刺激に溢れるものだった。これは短い文章だけど、いつか長い伝記にも接してみたい。


天才の名はテスラの方がよりふさわしい。テスラは直感を使って、完成したテクノロジーを思い描き、努力によって自分の中の理想形に近づこうとする。テスラの仕事の範囲はエジソンほど広範囲ではないが、「回転」と「共振」という幹があり、すべての発明はそこから枝を伸ばしている。 153

今、技術者の間で、テスラに対する注目が再び高まりつつあるという。それは、決して〝マッド・サイエンティスト〟に対する憧れではない。専門領域をもたず、自由に想像力と直感を働かせる仕事ぶりに対する憧れなのだ。マッドなテスラは虚像でしかない。実像のテスラに注目が集まりつつあるのだ。 381
史上最強のエニグマ暗号が暴かれた日 アラン・チューリングとブレッチレーパーク (レトロハッカーズ)
牧野武文 / 牧野武文 (2013-04-25)
読了日:2013年5月6日
Kindleで読む100円歴史物シリーズ、著者のツイートから辿ってフェリー移動中の海上でダウンロード、眠れない夜中に読んだ。10年前のパソコン誌に連載されていたテキストの販売だが、こういう利用法こそ電子書籍の真骨頂、という気がした。手頃な長さが心地よい。
どんなに優れたシステムであっても慢心した凡人に運用を任せたときに破綻が始まる。そこをつついて突破口を開くのもまた人間の仕事である。

以下はハイライト。

初めて暗号を利用したのはジュリアス・シーザーだといわれている。 52
カエサルシフト 55
このような解読法は、今ではブルートフォースアタックとかアイボールアタックと呼ばれている。 65
この弱点を補うために考案されたのがビジュネル暗号だ。16世紀の政治家ビジュネルが考案したビジュネル暗号は、その後300年間「解読不能」といわれ続けた。 106
クリブアタックと呼ばれる手法をご紹介しよう。クリブというのは「虎の巻」の意味で、ビジュネル暗号だけではなく、エニグマの解読でも多用されたアタッキング手法だ。クリブアタックは、ほとんどの暗号の解読に使え、しかもうまくはまると瞬時に解読できることから、情報戦の世界ではさかんに使われる手法だ。 161
な使われていそうな単語のことをクリブといい、クリブを使って暗号をアタックしていく手法がクリブアタックだ。 173
ヤバい経営学―世界のビジネスで行われている不都合な真実
フリーク ヴァーミューレン / 東洋経済新報社 (2013-03-14)
読了日:2013年5月6日
タイトルはなんだかなーって感じだけど中身はしっかりとした経営学の本。
大型連休中、帰りのフェリーの中で読みながらある老舗企業の社長の顔を浮かべながら読んだ。
流行に左右されない経営手法、というのも大事だ。
自分の会社や所属する業界に照らして読んでみるとたいへん示唆に富む内容だった。

下記はハイライト。いちいち金言である。


このような現象を、「集団慣性」理論と私は呼んでいる。古くからの業界の慣習を破ったり、先陣を切って新しい仕組みを導入することには、どんな会社でも躊躇する。さまざまな業界を調べるうちにわかったことがある。だいたいの業界において、どこかおかしい不思議な慣習というものが存在するということだ。そして、誰もがその慣習に「なんとなく」従い、なぜその慣習が存在しているのかを考えることはな 387

現状を維持するよりも、古い慣習を壊すほうがずっとリスクが高いのだ 431


これがアビリーンのパラドックスだ。自分たちが間違った方向に向かって進んでいることに気づいても、誰もそれを口に出さなければ、行き詰まるまでみんなでその現状を維持してしまうのだ 468

何らかの理由で選ばれた部分的な結果ばかりを見て、間違った結論を導き出す、これが「選択バイアス」だ。そしてビジネスの世界では、この選択バイアスが至るところで見られる。 525

「街灯の下で探しているんです」  この話の教訓は、問題の本当の原因は見つけ出すのが難しいところにあるのに、明るく見通せる場所でばかり、解決策を探しがちだということ 579


結局、より良いアイディアとは、どこからともなくやって来るのだ 836

「成功の罠」は、ビジネスの世界では「イカロスのパラドックス」としても知られている 877

重要なのは、どういうときに中止するべきかを前もって考えておくことだ。 977

うまくいっていないときは、イノベーションを起こすチャンスなのだ。嵐をやり過ごせるという、はかない希望にすがって、避けることができない未来をただ待ってはいけない。嵐で本当に死ぬかもしれない。そうではなく、手段があるうちに嵐から抜け出さなくてはいけないのだ。 1223

だから、ビジネスやリスクを伴う場面では、「最優秀者」には注意をしよう。一番トップに来ている人は、ラッキーなだけのおバカさんであることが多いからだ。 1828

私はCEO(最高経営責任者)というよりも、CST(チーフ・ストーリー・テラー) 1882
優れた経営者は、語るべきストーリーを持っている。 1898

人員削減した企業は「贅肉のないイケメン、というよりも贅肉のないヨボヨボの老人になってしまうことが多い」のだ。 2928

経営者が流行りの経営手法を導入すると、経営者の報酬が増えていた 2952

研究開発に投資することには、二つのメリットがある。一つ目は新しいものの発明だ。二つ目は他社が発明したものを理解し、吸収し、適用する能力の獲得だ。つまり、研究開発部門を持つことで、他社の発明を自社の製品や技術に生かすことができるようになるのだ。 3364

「今日の経営者が直面している市場が、昔よりも変化が激しいという事実はない。当然、競争優位性を獲得したり維持したりすることが、過去に比べて難しくなったわけではない」  だから、私に「今日のビジネスはますます速く変化している」なんて言わないでほしい。そうではない。今も昔もずっと同じままなのだ。 3464

ルイ・パスツールが言った有名な言葉がある。「チャンスはその準備を整えたところに舞い降りる」だ。 3642

そして社員は、既存の機能別の組織のほうが居心地がいいじゃないか、とでも言うだろう。しかしそれこそが、組織を再編する理由なのだ。 3886

社員は去る。去った後は顧客企業に移ってもらおう。それがマッキンゼー方式だ。そして、エンロン社のスキリングがやったように、卒業生が顧客の会社をひっかき回すのを黙って見ていよう。それもまたマッキンゼー方式だ。 4064

私たちは合理的で自己中心的で、金銭が動機になる、という点については、ある程度は正しいだろう。しかし、人間は全く別の本質的な側面を持っている。それは数百万年の進化の歴史の中で、人類を人類たらしめたものだ。私たちはコミュニティの一部になることが好きだし、組織全体の幸福のために貢献することに幸せを感じる。 4184

まずは裸であることを認めよう。そうすれば、風邪をひく前に何かを変えられるかもしれない。
日本の医療 この人が動かす 「海堂ラボ」vol.2 (PHP新書)
海堂 尊 / PHP研究所 (2013-04-17)
読了日:2013年5月3日
連休前に買ったVol.1をすぐに読んでしまったので、名古屋の地下街にあったちいさな本屋でvol.2を見つけてすぐに購入、今度はKindleでなく紙の本。

本書でも10人のスペシャリストがインタビューに応えている。小畑秀文氏のコンピュータ画像診断はあと10年もすれば歯科分野でも実用化されているかもしれない。村上智彦氏の夕張市立相貌病院改革の項目はアンダーラインだらけになった。「死生観のパラダイムシフト」という言葉はここのところずっと考えてた漠然とした気持ちに言葉を与えてくれたと感謝した。MRI開発の第一人者である中田力氏の情熱は医療機器に携わる者の一人として感銘を受けた。鎌田實氏の放射能問題に対する冷静な見方はずっと現場を見続けてきたプロの態度だとこれも感銘を受けた。

残念なことと言えば歯科界からはこれまでのところ誰も出てきていないことか。村上氏の項目に高齢者への口腔ケアの必要性が語られていたくらいで。Vol.3に淡い期待を繋いでみよう。
超真相エヴァンゲリヲン新劇場版 (三才ムック vol.597)
三才ブックス / 三才ブックス (2013-02-15)
読了日:2013年4月28日
連休中、喫茶店で待ち合わせの時間が長引いてしまったのでその場で適当に検索して・・案外面白かった。こういう暇つぶしがKindleの良いところかもしれない。無料のブログを探しても出てくるかもしれないけど,探してるだけで1時間くらい経ってしまいそうだもの。

僕が初めてエヴァを見たのは1997年くらい、たしかもうテレビシリーズは終わってたのだけど妻がどこからか聞きつけてきてレンタルビデオ屋から借りてきては、最後まで「これはどういうことなんだ」とか盛り上がって楽しんだ記憶がある。けっきょくよく分かんないまま終わってしまったので,当時盛んになり始めてた個人HP(まだブログなんてなかったはずだ)に勝手に書かれた「エヴァの真実」的なテキストを読み漁っていたものだ。

この本はそんな15年前の謎解きの楽しさを思い出させてくれた。といってもますますさっぱり分かんないだけど。
日本の医療 この人を見よ 「海堂ラボ」vol.1 (PHP新書)
海堂 尊 / PHP研究所 (2012-04-14)
読了日:2013年4月28日
春の連休は北海道から中国地方〜関東と大移動の予定だったので移動中にでも読むかとKindleのお薦めで購入。だがあっという間に読んでしまった。海堂ラボというテレビ番組はみたことがないし著者の本もドラマも見たことがないのでこれが初体験である。

Ai(Autopsy imaging)を推進している人、というのは記憶にあったのだけど、"いままで推測だけで死体検案書なり死亡診断書を書いていた、ということなのです"という状況はよく知らなかったのでなるほど確かに必要なステップだなあと思った。新聞に出てくる表現はなんでも「心不全」となるのはやっぱり少し変だし。

ところでこの本はAiについてたくさん言及されてはいるもののそれが主題ではない。日本の医療の現場や裏方で活躍している人たちへのインタビューだ。臨床医はもちろん政治家や官僚、医療機関経営者や弁護士までもが登場し、日本の医療の問題点を明確に上げながら、実際に取り組んでいる解決策を読んでいると少しばかり心強くなれた。
いまを生きるための思想キーワード (講談社現代新書)
仲正昌樹 / 講談社 (2011-11-18)
読了日:2013年4月27日
読み始めてすぐに「どこが高校生にもわかるやねん!」と思わず関西弁で呟いてしまったのは本当だ。まともに哲学を学んだことがない人間にとってはページをめくるのが(といっても電子書籍だが)ゆっくりで仕方なかった。何度も読み直さないと言葉が入ってこないのだ。おまけに中座すると後で続きを読むときも最低3ページは戻らないともう繋がりが切れてしまっている。哲学用語の慣れの問題とは思うけど。

だが苦労して最後まで読んだ甲斐があった。仲正氏に新興宗教体験があったと知ってからは俄然面白くなったし。
2回読んだくらいでは全然記憶に残らないのだけど、とにかく「キーワード」が大事だと言うことは理解した。「言葉」とは哲学そのものだとわかった。どんな考えも、最終的には言葉にしないと伝わらないし残らない。だからひとつのキーワードにも恐ろしく重厚な思索やその歴史が積み重なっている。もし「いま」が混沌としているのだとしたら、僕らはその「言葉」とその背後に潜む哲学を味方につけることによってその混沌から浮かび上がることができるのかもしれない。

ここに挙げられるキーワードは、「正義」「善」「承認」「労働」「所有」「共感」「責任」「自由意思」「自己決定/自己責任」「心の問題」「ケア」「QOL」「動物化」「歴史の終焉」「二項対立」「決断主義」「暴力」「アーキテクチャ」「カルト」「イマジナリーな領域への権利」「人間」。

どれも分かりやすく説明してくれ、とお願いしたら人それぞれの答えが返ってきそうなキーワードだ。もちろん誰もが納得する答えなど永遠に見つからないだろう。だからこそ一つ一つしっかりと考えを固めていくことが大事なのだなあと感じた。もちろんまだ全然固まってないけど、なんとなくうっすらともやもやとわかってくる気がする。だけどそれは自分の言葉にしない限り儚く弱いものだ。

いつまでも弱いままだとカルトに取り込まれたり、ブラック企業に使い捨てにされたり、爆弾抱えて特攻したりするハメになりそうだから、放置しているわけにはいかん。自分だってもだ若いつもりだが、まずはもっと若い息子に哲学も勉強しとけ、と伝えたい。とりあえずどこかの大学に受かったらだけど。
完成しなかった蒸気式コンピューター チャールズ・バベッジと階差機関 (レトロハッカーズ)
牧野 武文 / 牧野武文 (2013-04-23)
読了日:2013年4月25日
著者のツイートで知りさっそくダウンロード、分厚い本(って電子書籍でも言うのかな)ではないので、移動時間でさっくり読んでしまった。
18世紀末のイギリス、産業革命のさなかに「蒸気式コンピュータ」を考案し、試作したチャールズ・ベバッジという男の実話である。コンピュータの始祖といったら戦後すぐのENIACだとばかり思い込んでいたからまさか200年も前にしかも蒸気機関を利用して作ろうとした男がいたなんて話は傑作だった。それも苦労に苦労を重ねて・・みたいなしみったれた話でないところが面白い。
エンディングの「我々は今、CPUのことをエンジンと呼ぶが、演算装置のことをエンジンと呼んだのはバベッジが最初である」という一文にははっとした。なんでまた検索エンジンとか自動車みたいな呼び方するんだろうって不思議だったのだが、そうか蒸気機関のなれの果てだったらそうかもな、と。
ちょっとした空き時間に知的好奇心を満たす電子書籍、しかも100円。
日本の宿命 (新潮新書)
佐伯 啓思 / 新潮社 (2013-01-17)
読了日:2013年4月18日
佐伯氏の本は何冊目かだけど、正直に言えばだんだんと面白く感じなくなってきた。前著「反・幸福論」では連載の途中に311を迎え、その狼狽えぶりが興味深かったのだけど、その後を継ぐ本書ではなにかこう、頑なさばかりが目立って今ひとつ刺激が少なかった気がする。

著述という仕事はそもそもひとつの出来事を膨らませ、拡大解釈した上で出来事の意味合いを説明していく作業なのだと思う。だが本書のように「歴史」とか「国家」などを対象とすると拡大解釈は天井破りに大きく膨らんでしまう。いつしか大きな物語に取り込まれていくのだ。

著者は自分でも書いておられるとおり、主にメディア報道から情報を仕入れ、それに独自の見方・解説を加えて話を組み立てるという手法で著述されているようで、つまりはすべては二次情報だ。現地に赴いての取材はしていないはずだ。それで時の政治や経済問題に対してわりと激しい言葉を使って論じるのだから勇気あるなあと思う。

目の前に山積する問題に優先順位を与え、それぞれ実務的に解決することが政治家や経営者の仕事だ。一方で学者は後になってそれらの仕事に対する解釈を与えることで、社会からの評価を確立させていく存在なのだと思う。だがここで佐伯氏はさらに一歩踏み出して「大きな物語」で解釈しようと試みているように思えるのだ。たとえば「宿命」といった言葉を使って。

だけど戦前の日本が戦争に邁進していった歴史を紐解くと、まさにそういった「大きな物語」への過度な依存こそがあの負け戦に国民を熱狂させ、焦土と化すまで終わらせることができなかった主原因だったのではと思えてくるのだ。

まさに「この戦いこそは日本の宿命」と大衆に大きな歴史観を植え付けたことが、西欧文明からの大東亜解放などといったビッグピクチャーへの支持を約束させたのだと思う。戦争遂行のための工業力確保や他の東洋諸国の支持や勝利後のビジョンもろくに考えずに勢いだけで。

敗戦後、日本国民が目指したのはそんな大きな歴史から自らを解放し、実務的に日常生活の向上を目指す経済活動だったはずだ。つまり小市民化を目指したのだ。そこにアメリカの陰謀があったと著者は指摘するが、それは言葉の使い方だけの問題だと思う。大きな物語のために若者が死んでいくだなんてアホらしいわ、という態度は日本国民が主体的に選択したのだと僕は信じている。

復興問題、原発事故、TPPなど目の前に山積する問題を解決するのは実際にこの列島で生活していく僕らが自分たちで生きているうちにどうにかしていかなければならないリアルなイシューなのである。その歩む道筋が間違っていないか、識者の評価を得ながら折に触れチェックしていくことも大切だと思う。だからといってまた戦前のように大きな物語に取り込まれて、過度にビビったり、調子に乗ったりするのはもうウンザリだ。国家って言葉がこれからもっその国民に大きな夢や物語を提供してくれ続けるのかもそろそろわからないし。
100文字でわかる世界宗教 (ワニ文庫)
一条 真也 / ベストセラーズ (2011-03-18)
読了日:2013年4月9日
妻が買ってきた本が風呂場に置いてあったので何日かかけて読んだ。知ってるつもりで知らないこと、忘れてることは案外多いもので、そういう知識を風呂場で拾い集めるってのもわるくはないなあと。ところでこれ各章ぜんぶきっちり100文字で構成されてるわけで、どっちかといえばその努力に敬意を払ってしまった。
原始人 (文春文庫)
筒井 康隆 / 文藝春秋 (1990-09-10)
読了日:2013年4月9日
短編集。電子書籍って新しい本をすぐに入手できるってことばかりいわれてるけど、本屋でもう見かけなくなった古い本にまた出合って、ふらっと再読してまた新しい発見をもたらすって側面がもっと注目されていいと思う。
「原始人」の悪趣味といったら。もう2013年ではけっして発表されない毒に溢れている。でもそれは大事なもう一方の当たり前、だったりもするのだ。
「アノミー都市」の悪質な夢物語。
「家具」のキチガイじみた美しさ。
「おもての行列なんじゃいな」の酔い爛れた狂気。
「怒るな」のメタメタぶり。
「他者と饒舌」の悪夢感。
「抑止力としての十二使徒」の一人語りなちょいとハッピーなSFぶり。
「読者罵倒」のドエスぶり。
「不良世界の神話」のビョーキぶり。
「おれは裸だ」のいつもながらの疾走感。
「諸家寸話」の飲み屋ネタぶり。
「筒井康隆のつくり方」のパラノイドぶり。
「屋根」の痺れるような美しさ。


やっぱ天才だ。
48億の妄想 (文春文庫)
筒井 康隆 / 文藝春秋 (1976-12-25)
読了日:2013年4月3日
高校生の頃は筒井康隆の文庫を読み耽っててたぶん一通りは読んだつもりになっていたのだけど、今回Kindleで読み直してみて見事に忘れてるってことが確認できた。ところどころは憶えているのだけど。でもおそらく当時は理解できなかったのだろう。幼かった,ということもあると思うけど、時代が追いついていなかったのだろう。

この作品のテーマはまさに現代におけるSNS文化そのものだ。1976年発表の作品なのに。もちろん当時は携帯端末なんてなかったから主なデバイスは「テレビ」である。庶民だれもがスターになる可能性を秘めたテレビジョンが生活ばかりか人びとの脳内を変えていく。全国くまなくテレビ・アイという小型カメラが行き渡り、人びとは自分の行動がテレビに流されている可能性を常に意識して生活している。でもジョージ・オーウェル的な監視社会とはひと味違うのだ。「誰もが意識的に人の話題になることを願って」演じ、生活しているのだ。

それって冷蔵庫に入ってピースしてツイッターを炎上させてる若者そのものじゃん。

そして物語は日韓戦となる。残サッカーやバレーボールでなく海戦である。40年前から日本と韓国って仲悪かったんだなあって思いながらここからは爆笑ドタバタ活劇の連続でいつもの筒井節。

まったく古さを感じさせない名作だなあ。
企業が「帝国化」する アップル、マクドナルド、エクソン~新しい統治者たちの素顔 (アスキー新書)
松井 博 / KADOKAWA / アスキー・メディアワークス (2013-02-28)
読了日:2013年4月2日
僕とほぼ同世代の著者は元アップルの上級職で退職後に「僕がアップルで学んだこと」という本を書いた方とのこと、前著は読んでいないがKindleに紹介されるままに読んでみた。本作ではアップルから目線を拡げ、「私設帝国化した巨大企業」という視点で外食、IT、エネルギーなどの産業における不都合な真実を披露しつつ、読者に「ではどうすればいいのか?」を提示する内容となっている。

僕はアップルの提供するサービスや創設者である二人のスティーブの人生には興味を持つが、アップルの経営手法にはさほど関心がない。いや無いといえば嘘になるけど、それが自分の会社の経営に役立つとはあまり考えていない。それでもインサイダー視点でしかも同世代の日本人が描く内情だけにとても興味深く読むことができた。

ところで著者のいう「帝国」の定義はなんなのだろう。「帝国と呼ばれるにふさわしい巨大企業」という表現は出てきたけど、特に定義は紹介されていなかった。一般に「帝国」とはミカドが治める独立国家であり、かつ複数の国を支配下に置く国家、という意味で捉えられていると思う。「帝国主義」となれば、「軍事力を背景に他の民族や国家を積極的に侵略し、さらにそれを推し進めようとする思想や政策」とWikipediaに書いてあるような、いわゆる覇権主義を内包する体制なのだと思う。たとえばアップルは私設帝国だ、という表現からは「独裁的な経営者が自社のサービスを拡大するため世界の企業や消費者へあらゆる手段で支配下に収めようとしている」というイメージを喚起されるわけだけど、ほんとうにそうなのかなあ。

中段からはアップル以外のマクドナルドとかモンサント、エクソンなどの巨大企業が取り上げられ、いわゆる「マスコミではけっして取り上げられない不都合な真実」みたいな話が展開されるのだけど、3年ほど前の「未公開映画を観るTV」のテーマとなってた話も多く、また一部のネットではけっこう昔から有名な話でもあったりでさほど新鮮ではなかった(その意味で僕は一般的な読者層とは違うかもしれない)。

このあたりの伝聞情報を無批判に紹介するのは少し安易な気がする。前半のアップル内情話とちがって二次情報である限りはそれなりの根拠を示しつつ慎重に展開すべきだったかもしれない。「伝えたいことを表現するために分かりやすい話を総動員」してしまうのはとても危険だと思うからだ。表現者にも、読者にも。

終段では読者に「ではどうすればいいのか?」と問いかける。僕が驚いたのは急にここから自己責任を重視するいわゆる新自由主義的論調に変化したように思えたことだった。僕の知る限り巨大企業、グローバル企業への批判はたいていリベラリズム側からの問題提起であることが多い。その場合の「どうしたらよいか?」は多くの場合、草の根の団結であったり、提供される安易な商品サービスの拒否であったり、地域主導型でグローバリゼーションと対決していく軸を打ち出すことが多く、この本もそういう方向かなあと勝手に考えてしまっていたからだ。

ところが本書は「努力して勝ち組に入れ」と説くのである。もはや国家はあてにならない。「天は自ら助くる者を助く」のだと。そのためには「創造性を養い」「専門的な技能を身につけ」「就職後も勉強を続け」「外国語を習得」し、しまいには「これからの時代ほど根気が必要になる時代はない」と精神論まで総動員、なのだ。ちょっと意表を突かれた。

結果的に、圧倒的なパワーに対抗するには自ら武装せよ、といった自己啓発書によくある結論になってしまったようだ。つまりは何だかんだいっても私設帝国たる巨大企業はこれからも存在し、一般市民はその枠組みで暮らしていくことが前提になっている。その「副作用」が存在していることも本書が中段で述べているとおり事実なのだと。であれば「あなただけには私設帝国の副作用が作用しないよう、しっかり武装しましょうね」というのが本書の要点のようだ。つまり自己責任論だ。

はて。そんな志向の庶民が溢れる世界こそが、彼のいう私設帝国にもっとも都合の良い環境なのではないのだろうか。うーん。
美術手帖 2013年 02月号 [雑誌]
美術手帖編集部 / 美術出版社 (2013-01-17)
読了日:2013年3月31日
上野の東京国立博物館で開かれていた円空展を見に行き、オシャレな売店で購入。帰りにファミレスで生ビール飲みながらいにしえの放浪芸術家の夢をトレースした。絵画や彫刻って時間の制約を飛び越えるから凄いと思った。目の前に立っている塊は、間違いなく円空その人が一本彫でこさえたブツなのだ。音楽だとそういうわけにはいかない。レコードやCDはあくまでも複製にすぎない。その時代にタイムトラベルして演奏家の前に座らない限りリアルな体験はできっこないもの。

円空ってのはどんなおっちゃんだったのだろう。
ふらっと村にやってきてはその辺の樹でさくさくっと仏像をえぐり出してしまう。しかも仏像を笑わせるのだ。
そうとうに突き抜けたおっちゃんだったんだろうなあ。
奇人・変人紳士録 in ROCK
シンコーミュージック (2013-01-31)
読了日:2013年3月31日
妻が買った本だが、どうしても読んで欲しいと手渡され出張先で読んだ。あやうく滞在先のホテルを破壊しはじめるところだった。ところで僕が中学生くらいにミュージック・ライフとかで読んだエピソードを懐かしく思い出したわけだが、当時はお小遣いも少なかったし田舎のレコード店を何軒回ってもマイナーなロックアルバムなんて置いてなかったので、いったいこの変人たちはどんな音を奏でているのだろうと脳内で夢想するしかなかった。それが21世紀にもなるどうだ。右手で本を読みながら左手のiPadのYouTubeで奇人変人アーティストの伝説ライブを見ることができるのである。でもそれでよかったのかもしれない。中学生時分にこんな連中の世界にどっぷりつかっていたら今の真面目で堅気なビジネスマンかつ良いパパである僕は存在していなかったかもしれないじゃないか。
自衛隊vs.北朝鮮(新潮新書)
半田滋 / 新潮社 (2003-08-20)
読了日:2013年3月31日
大韓航空に乗ってドイツまで飛んだ3月に機内で読む本を、とKindleで探したのだが意外にドイツ関係の本が無くて、まあ仁川で乗り換えるわけだから半島関係でもいいか、と福岡空港でダウンロード購入。読み始めて気がついたのだがかれこれ10年も前の発刊なのだ。しかも本書はさらにその10年前、1993年に作られた防衛庁極秘文書がネタなのである。当然のことながら日本を取りまく情勢は変わってきているわけで、本書の情報をそのまま鵜呑みにするというよりも、当時の自衛隊はこんな準備してたんだな、というレポートを読むつもりで。というか気分的には村上龍の「半島を出よ」(2005)の副読本のつもりで。

リアルに感じたのは「27万の大量難民」というくだりだ。たとえば僕の自宅のすぐ近所にある健軍自衛隊で数千人の半島からの避難者を受け入れることになるかもしれない。食事もすれば病気もするだろうし、歯が痛くなってるかもしれない。本書に書かれているとおり善良な難民ばかりだとも限らない。海の向こうで始まった戦争でも気がつけば徒歩圏の住宅地の様相が一変する可能性がある。いつもいつも戦争のことばかり考える必要は無いと思うけど、やはり一度はそんな目線で近所を散歩してみることも必要なのが現実かなあ、と日本をはるか離れた機内で考えたのでありました。

最近ナショナルジオグラフィックの動画で「プレッパーズ」というシリーズを見たのだけど、アメリカには世界の破局を信じて日々準備(prep)を怠らない人びとが居るという。サバイバーだ。SF好きな僕には興味つきないテーマだったけど、本当はそんな破局なんてこないが良いにきまってる。でも実際に地震や津波は来たし原発だって爆発した。北朝鮮がどうなるかはまだ誰も知らない。いたずらに煽ることは良くないしそれは既に戦争の一段階でもあるわけだろうけど、でも少なくとも創造力だけは錆び付かないようにしておきたいものだというのが読後感。

もういちど「半島を出よ」を読みたくなった。
知の逆転 (NHK出版新書 395)
ジャレド・ダイアモンド , ノーム・チョムスキー / NHK出版 (2012-12-06)
読了日:2013年3月30日
東京に出てきたばかりの息子を神保町の書店街に案内しながら、なんとなく手にとり買った新書。ちょうどダイアモンドの新作を買ったばかりだったのもあり目についたのだった。読みながら最初に持った感想は「この著者は何者なんだ?」というもの。吉成真由美さんはNHKの元ディレクターということだが、その経歴はMIT卒ハーバード修士課程修了と書いてあり、まあインタビューの質もさもありなんというレベルの高さであった。

第1章「文明の崩壊」〜ジャレド・ダイアモンド
「銃・病原菌・鉄」を読むと彼の「明るさ」に魅了される。基本的に楽観的で人類という種を信じているのだと思う。頭が良い学者作家はみな悲観的、という一種の思い込みがあり、逆に楽天家はバカみたいという風潮もあるけどもでもこの人の明るさは緻密なフィールド・ワークの裏付けがあり、僕はけっこう信頼できると思っている。
P30の「いまから数十年先に世界が安定しているためには、消費量がいまより少なくなり、世界中で消費の量がどこでもほぼ均一になる必要があります」という彼の答えには痺れる。「そんなことできるわけないだろ!」という無限のツッコミが返ってくることは必至だ。だけど敢えてそれを口にすることに意義があるのかもしれないじゃないか。

第2章「帝国主義の終わり」〜ノーム・チョムスキー
正直、チョムスキー本を読んだことがないのでなんとも言えないけど、ダイヤモンドとは反対に悲観的な言説の人なんだと思った。性悪説というか。翻訳のせいなのかもしれないけれど、僕はこのインタビューを読みながら既視感を持った。ロッキン・オンみたいな硬派のロック雑誌のインタビュー記事を読んでいるようなのだ。ズバッと断定調。わかりきったことをなぜ聞くんだお前は、というスタイル。だからどうだってことはないんだけど、この人の本を読んでしまうと心酔するか反発するかのどっちかしかないんだろうなあって気がする。そのうち体験するのだろう。

第3章「やわらかな脳」〜オリバー・サックス
医者にして作家という彼の答えには希望があふれていた。エピジェネシス(環境が遺伝子の発現を制御する)なんて、とても良いと思った。生まれながらに人間の性能が決まっているわけではない。事故などで体の一部の機能を失ってもそこから新しい才能が開花するかもしれない。悩んでる人間にこれ以上の呼びかけがあるだろうか。

第4章「なぜ福島にロボットを送れなかったか」〜マービン・ミンスキー
この人はたとえばアップル社の考えなんかと正反対に位置する人なのだと感じた。人間に優しいばかりで困ったときに役に立たないマシンばかり作ってきたここ数十年の科学を嘆くのだ。福島原発の現状を眺めると、返す言葉もない。現実にはハードなマシンとそうでないガジェットの両方が必要なのに、経済優先のシステムは前者をなおざりにしてしまった(軍事技術はたぶん除く)。それにしても「私はSFしか読まない」って最高じゃん。

第5章「サイバー戦線維状あり」〜トム・レイトン
とりあえずニンテンドー関係ではないらしい。まったく知らなかったがアルゴリズム解析によってネット上の混雑を解決してる裏方システムの開発者・運営者なのだという。こういう知恵が交通渋滞も解決してくれないものか。でも考えたら人間の身体って生まれた時から渋滞緩和・最適化のシステムが高度に組み込まれてるってことだからそれが一番すごいのかも、なんて妄想が膨らむ。そして彼も「SFを読め」と答えいている。素晴らしい。

第6章「人間はロジックより感情に支配される」〜ジェームズ・ワトソン
実は「二重らせん」買って何年も経つのにまだ読んでいない。誤解を招くのは承知で書くとこの本のなかでもっとも「まとも」で「普通」の人だと思った。だからどうってことでもないけど。取り敢えず本棚から引っ張りだして読んでみよう。

短いながらも読み応えのある新書だった。だけど最後まで知の「逆転」というタイトルの意味するところが判らなかった。逆転というからにはいままで正転してたってことだろうか。
オーディション社会 韓国(新潮新書)
佐藤大介 / 新潮社 (2012-06-15)
読了日:2013年3月28日
重要なのは、代理満足を与える人が、自分と同じかそれ以下の境遇であることだ。貧乏な家庭出身であったり、低学歴であったり、フリーターだったり、まして不細工であれば「代理満足」を求める人たちは、大いにカタルシスを味わえることになる。150 •

ん。競争はあっていいと思いますし、貧富の差が出るのも仕方ないかもしれない。でも同時に、人生には何度もやり直しができるチャンスも必要なんじゃないでしょうか。1266 •

「同伴成長」1442
怪しいシンドバッド (集英社文庫)
高野 秀行 / 集英社 (2004-11-19)
読了日:2013年3月20日
今月の風呂本は高野秀行の怪しいシンドバッド。夫婦して彼の本にハマってこれで何冊目か。前人未到の無茶な世界旅行だがあくまでもイノセントな視点が自分も同行してるような錯覚に誘う。
日本農業への正しい絶望法 (新潮新書)
神門 善久 / 新潮社 (2012-09-14)
読了日:2013年3月13日
医療や農業や軍事は聖域だと思う。商売人には無理な世界だ。だが聖域には自動的に聖人ばかりが集まるということなどない。聖域を作るということは莫大な社会的な努力とコストと、聖域に住む人間への大きな制限を伴うと思うのだ。
ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (文春新書)
今野 晴貴 / 文藝春秋 (2012-11-19)
読了日:2013年3月8日
いろいろ考えさせられる。次はブラック企業内部の悩み知りたい。誰もが悪の意識を捨てきれないまま背に腹は変えられないと酷い役割を演じる狂気が現代なのだと思う。

ブラック企業についてのPodcastを聞いた。学生は何を目的に勉強するのだろう。環境や周囲にできるだけ縛られない自由を手にするためだと思う。世界を拡げるためだと思う。多言語を習得し理を学び判断力を究めて地域や国から羽ばたくための力を得るために学ぶのではないかと思うのだ。

できるだけ今の環境を変えることなく就職を優先すればブラック企業に捕まるのは自明だと思う。どんなに規制しても世の中はそうできている。だったら環境を飛び出せば良い。飛び出しても困らない力を持てばよい。
アジア特電 1937~1985―過激なる極東
ロベール ギラン / 平凡社 (1988-06)
読了日:2013年3月4日
神保町の古書街でたまたま入った店で目が合ったのだ。いやほんとに。値段も見ずにレジに持ち込み、そのままカフェに入って読み始めた。これが本との出会いというものか、とまるで小学校の図書室で窓の外のポプラ並木に目を上げて唸るガキのように、しかしゆったりとしたペースで1ヶ月もかけて大切にページをめくったのであった。

フランスの大学を出て通信記者となった著者がなんの因果か極東の日本まで戦争取材に入り、そのまま中国やインドシナ半島、インド亜大陸、そしてバブル直前の日本列島に長期滞在しながら記した生々しい自伝である。個人的な記録とはいえ、プロの記者が一次情報を記述した本だ。たとえばたびたび話題となる戦時中の日本人による虐殺事件についても誇張も歪曲もなく彼の感性がその真実を伝えようとしている。まだネットなど存在しない1987年に刊行された本書はそれだけで歴史的価値があると思う。

ベトナム戦争についてはたまたま昨年暮れに旅行した際、何冊か読んでいたのでさらに知識を深めることができた。でもまさか南北分割が著者の書いた新聞社説がきっかけだったとは。彼の筆致は深刻なところが少しもなく、軽妙にしてそれでも真摯だ。実際みた話と聞いた話を明確に分けて記述するところもプロだなと思う。そんな彼は日本女性と結婚し、晩年はバブル景気を迎えようとする日本の復活に目を細めている。若い頃から彼の愛した日本が、その青年期の暴走を経て二度と立ち直れないと感じていたのに奇跡的な復活を遂げる様子を心から喜んでいるかのようだ。

1998年に亡くなった著者がいまの日本をみてなんと書いたことだろう。バブル崩壊、失われた20年、そして震災に原発事故。それでもやはり日本人の明るさ、すばしっこさを認めて未来の復活を予想してくれるだろうか。あるいはその目をもっと若い国に向けているのだろうか。
しなやかにいこう~歯科で働くすべてのヒトに愛をこめて~
杉元信代 / DH=R (2013-02-05)
読了日:2013年3月2日
TPP反対論のデタラメを糺す(フォーサイト)
山下 一仁 / 新潮社 (2011-09-23)
読了日:2013年3月2日
『TPP反対論のデタラメを糺す(フォーサイト)』(山下 一仁著)を読了。米国陰謀論なTPP反対論者に農協陰謀論をぶつけてくる展開。陰謀はともかく説得力ではこちらに軍配か。

中国や韓国との領土問題が、事実としての国境問題としてでなく物語性を帯びた歴史問題として取り上げられると厄介だなあと感じるわけだが、TPPはまさにそんな問題提起に近づいている。

この二年間、破滅願望がもたらす悪意的観測を善意で拡散するという事例を沢山みてきたけど、TPP反対論にもそんな傾向を感じる。事実よりも物語をことさらに重要視するからだ。

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TPP反対論者の主張の基本にあるのは、アメリカの利益や要求を押し付けられるというアメリカ陰謀説である。120

アメリカは途上国の労働基準の引き上げを要求しているのである。140

公的医療保険制度は、WTOや我が国が結んだ2国間EPAでは、対象外となっている。また、第3国間のFTAでも同様であることから、TPP交渉においても対象とはならないと考えるのが妥当だ。171

TPP反対論者が言うように、TPPに参加すると自由診療になって保険も効かなくなり貧乏人は医療を受けられなくなるなどという事態はおよそ考えられないのである。173

アメリカが日本に要求すれば、必ずアメリカに返ってくるのだ。アメリカが日本に対しGPAで開放している以上のことを求めてくるとは到底考えられない。212

つまるところ、TPP反対論とは単なる既得権の保護ではないだろうか。217

現状、主業農家の販売シェアは、酪農95%、野菜82%。高米価政策、減反で小規模兼業農家を守ってきた米だけ38%しかない。いびつな米政策のせいで兼業農家が農業を止めないので、主業農家に農地が集まらず、日本の米作りの効率化を阻害しているというのが正解である。373
なぜ多くの政策が不発に終わるのか。今、本質を考える。アベノミクスの盲点 (通勤の友シリーズ)
九条清隆 / 九条経済研究所 (2012-12-27)
読了日:2013年3月2日
誰かのブログを読んでいてリンクが張ってあったので買ってみた。おそらくは自費出版的なKindle本で最初に買った本。(こういう場合は横書きなんですね)

著者については知らなかったが、年々ややこしくなる経済学の経緯をおさらいする意味ではさらっと読めてよかった。よみながらケインズ経済学のいう「期待」って「風評」とどうちがうんだろう?なんて素朴な疑問が浮かんだりして。

終章に近づくにつれ、デフレの原因を年金問題にフォーカスしていくのは少し強引な気もした。自分がまだ年金の心配などしない年代だからかもしれないが。年金への不安だけが消費の減速を引き起こしているのであればそれは「期待」という名の「風評」ではないのか(年金問題という実体があるから風評ではないと反論されるかもしれない。だが実体は将来にしか形成されないのだからまだこの時点では実体はないはずだ)。現在のデフレには藻谷氏のいう人口問題もあるだろうし、通貨安の近隣国からの工業製品輸入、あるいは海を越えた人件費の平準化などさまざまな要因が絡んでいると思うのだが。

それはさておき、ブログなどでざっとななめ読みするよりもいったんKindleに入れて、30分ほどネットから切断された状態で立ち止まって何かを考えるというのは、必要であり有益だと思えたのでした。

以下は僕がマークした本書のKindleハイライト。
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「有限な資源から、いかに価値を生産し分配していくかを研究する学問」というのが教科書的な経済学の定義です。

人間の欲求には際限がありません。一方、お金や時間、石油などの天然資源は有限です。無限の欲求に対して有限の資源をいかに有効に利用するかについて答えを出すのが経済学です。

単純化により普遍の定理に近づくべきものが、複雑化する誘惑に駆られます。複雑な前提を置いたマイナーな理論が登場しやすくなりましたが、寿命も短くなりました。

行動経済学の出現は、伝統的な経済学が前提とする合理的経済人ではうまく説明できない現象が多くあるということを物語っています。

政治と投資には共通点があります。政治も投資も対象とする経済やマーケットのパイが増えているときは、あまり深く考えなくても長期的には成功しやすいということです。

アベノミクスには国土強靭化計画という死んだはずのピュアなケインズ理論が含まれています。無制限な量的緩和を主張する金融政策は実質的な財政政策を含んでいると思われます。アベノミクスを支えるリフレ派の理論的な支柱がケインズの思想を汲むトービンの資産選択理論です。こうしたケインズの亡霊が随所に潜伏しているのがアベノミクスの最大の特徴だと言えます。

経済学や投資理論が前提にしている条件が何であるかを正しく理解しないで結論だけを信じて大きな意思決定を行うといつかは大きな落とし穴にはまります。権威のある経済学者も、マーケットの末端の片隅で株価予測モデルを開発しているオタクトレーダーも、同等に眉唾ものである可能性があるのです。

経済学に唯一絶対的に正しいものはなく、これからも絶対にそんなものは出てこないということです。

合理的期待形成仮説という極論

経済学で、人々があらゆる情報を効率よく利用して合理的な期待形成を行えば、それは平均的には正しいものとなるという理論です。

マネタリスト

金融政策が効果を発揮しうるのは、それが人々の意表を突き人々の誤認を引き起こすような場合に限られるというのが主張です。

1960年代から1970年代にかけて、ミルトン・フリードマンに代表されるマネタリストは実証的研究や恒常的所得仮説によってケインジアン的な裁量に基づいた財政・金融政策の問題点を指摘しました。 合理的期待形成仮説は完全競争・完全情報市場において家計が将来について合理的な期待を形成し、財政・金融政策は無効となるとしました。 一方で、新古典派総合は財政政策や金融政策によってつくりだした有効需要が受給ギャップを埋め、需要と供給の均衡が一旦実現されると、その時点でケインズ政策は必要なくなるとしました。 ニュー・ケインジアンは、種々の仮定からミクロ的に価格や賃金の硬直性を導き、裁量的な財政・金融政策の有効性を示そうとしましたが、オールド・ケインジアンと異なり、裁量的な財政・金融政策の運用には否定的でした。

ネオケインズ主義

浜田宏一氏

アベノミクスは「無制限(に見せかけた徹底的)な金融緩和」「国土強靭化計画による公共投資」「成長戦略」の3本柱からなります。

狭義にはアベノミクスはこの大胆な金融緩和だとも言えます。

日銀がお金を刷ってそれを民間の持つリスク資産と交換するだけで物事が解決すると考えるのはどうもひっかります。20年も解決していない問題に対する答えとしてあまりにも安易すぎるのではないでしょうか。

金融緩和がすべてを解決するなどという甘い期待を抱くのではなく、景気回復を前倒しして時間を稼いでいるあいだに安倍政権が次に何をしてくれるかを監視していくことが最も重要な視点です。

寿命が伸びる中で、老後の生活に対する大きな不安。これが消費にブレーキをかけている最大の要因です。デフレウイルスの正体は年金制度に対する信頼性のなさにほかなりません。

ます。「損失を隠し先送りをする」という行為、それはバブル崩壊後の日本で大なり小なりいたるところで行われたわけです。

世の中にフリーランチはないということ、そしてリスクを取らなければリターンはないということです。
TPPが日本を壊す (扶桑社新書)
廣宮 孝信 / 扶桑社 (2011-03-01)
読了日:2013年3月1日
311と前後してTPPというキーワードを目にするようになった。最初に受けた印象は、地位協定とか年次改革要望書みたいな米国との関係性を俎上にしたネット話題の一つなんだろうな、という程度。いわゆる「大手マスコミではけっして語られぬ米国の陰謀」というネット特有の秘めやかな愉しみの新バージョンかなと思っていたのだ。
そのうち僕の所属している業界でも「TPPは日本の保険制度を潰すのか」みたいな話題が盛り上がり始め、なんとなく「TPPに反対するのが良識人で賛成するのは金儲け主義産業人、知らぬは情弱」的な空気が醸成されはじめ、いつまでも情弱ポジションに逃げ込んでるわけにもいかんかな、と何冊か本を買って読んでみた次第。

最初に読んだのがこの本だったのは不幸だったのかもしれない。読んでて頭がおかしくなりそうだった。いくら懐疑的な立場の人間であってもこの人らの大騒ぎを読んでたら思わずTPP賛成にしたくなってくるほどだ。もしかしてこれも陰謀なのか。

私の考えだが、TPPにまつわる問題点を議論するときには、1)自由貿易に反対することと、2)不平等な通商条約に反対すること、とは完全に分けるべきだと感じた。誰が言い始めたかとか、誰が賛成している、誰が反対している、なんてことは取り敢えず除外して考えないとどうしてもイデオロギーチックな展開となってしまって議論が硬直するだけだと思う。本質と属性はわけて議論しなければならない。

戦後、自由貿易の歴史は戦前の保護主義、ブロック経済が第二次大戦を引き起こした要因となったことへの反省から始まったとの認識を持っている。帝国主義的植民地分割がほぼ地球上で完了しつつあった20世紀初頭、鎖国から目覚めた新興国日本は帝国主義ルールが終了する直前に最後の分割競争に挑戦した。当然既得権を手放したくない欧米列強は「もうルールは変わったのだ」と日本の参加を抑制する。国際連盟の「これからは平和だ」という宣言は「現時点での分割を固定する」という意味合いに捉えられ、このままだとアジアは植民地のままだと日本は反発、強引に帝国主義的分割を進めようとするがアジア各国には反発され、列強からは貿易制裁を受けるはめに陥る。
歴史にIFが許されるのであれば日本はそこで「外交交渉・通商交渉」にて局面を打開すべきだった。当時そのような動きも十分にあったと伝えられている。だが日本は軍事力での解決の道を選択した。その後は誰もが知る通りである。
一方、15世紀にも同じような事態が日本を取り囲んでいた。宣教師上陸からはじまるヨーロッパ各国の日本への進出は戦国時代の日本を揺るがしたはずだが、江戸幕府が最終的に選択したのは「鎖国」という手段だった。

なんか話がずれてしまいそうだ。
TPPに関していくつか情報を集めていると、

1)アメリカは環太平洋圏のブロックを構築して対中国経済戦略を考えているが日本をパートナーにしたい
2)アメリカ産業界の一部は日本の内需に商機があると色気を見せている(抵抗する業界も多い
3)日本の産業界はアメリカとの連携で苦境を打破したいと考えている
4)日本政府はTPPを皮切りにいくつかのブロック経済圏に参加しておこうと考えている
5)日本の政権はその安定化のために経済復興を必要とし、アメリカの同意と支援を求めている

そんな風景が浮かび上がってくる。多様な思惑が絡まっており、それぞれが自分に都合の良い結論を得るために、多様な解釈を行いそれを発信しているという感じだ。

一方で、反対派はどうか。この本にあるような「拡大解釈」「事大主義」「被害妄想商法」に陥っているパターンも見受けられるが、しかしそのほとんどは「自分の業界にとって得か損か」という基準で反対しているように思う。
それはそれで良いと思うのだ。交渉ごとなのだから、多様な立場の人間が多様な意見を言い合い、結論が得られたらそれを実行する、ダメだったら見なおしてやり直す。それこそが「外交交渉・通商交渉」の基本であると思う。建前として日本は軍事力を持たないので第二次大戦時にやった軍事打開は無理だ。だからといって江戸初期まで戻って「鎖国」すれば21世紀にどのような結論を得るのかは考えて3分で判明すると思う。

TPPとはそもそもGATTやWTOの提唱する自由貿易が一向に進まないことから過渡的・段階的な地域自由貿易として考えられたわけだが、それ自体がブロック経済に発展してしまう可能性を秘めている。だからTPPを論じる時に忘れてはならないのは「出口戦略」であるはずだ。つまり、いつまで地域自由貿易をやらざるを得ないのかだ。いつどのようなかたちで本来の世界自由貿易体制に持ち込むつもりなのか。TPPからそんな戦略が聞こえてこないようであればしつこく確認しておかなければならない。

ちなみに私は自由放任な世界貿易論者ではない。町中でレーシングカーを走らせれば多くの市民が事故死するに決まっている。サーキットと住宅地を分けたり、レーシングカーの仕様や競争のルールを厳格に定め、強力な監視に基づく適切な運用が必要なのことは間違いない。レーシングカーそのものが人類に必要がないと言われればそれまでなのだけど、残念なことに人類は道具を手にして以来、その過剰さで文明を構築してきた生き物である。付き合わざるをえない。今のところそこにしか未来がないからだ。

ところでTPP反対の根拠のひとつとして「日本の良さが失われてしまう」と訴える声を聞くが、これは言葉を変えればそれは「既得権を保持したい」という声そのものではないのかと感じる。今の日本ってそんなに最高か、と問われれば、多くの国民は少なからぬ不満を口にすると思う。進まぬ復興、原発再稼働の動き、進捗しない再生可能エネルギー問題はもちろん、若者の失業問題、退職者年金問題、医療問題、少子高齢化問題、領土問題、毎年3万の自殺者、経済問題・・・今のままでずっと良い、と考えている人間はよほど恵まれているか、鈍感なのかどちらかだろう。
つまり日本は変化を必要とし、願っているはずである。その変化をことさら忌避するのは守るべきものを抱え込み、かつその弱さを知っている人間だけだと思う。だから彼らは声高に「日本の良さを失ってはならない」と叫ぶ。

どういうわけか、ネットを中心にそんな彼らの「日本を守れ」が賛美され、TPPの交渉するなど売国奴だ、みたいな議論が起こってしまっているのはとても不幸なことだと思う。東京電力に代表される戦後日本の確固たる既得権勢力を攻撃してきた人が同時に「日本を守れ、TPP断固反対」と叫ぶのにはとても違和感を感じてしまうのだ。

TPPが流れとしてスジが悪いのは確かにそうだと思う。アメリカは途中で参加してきて主導権を握ろうとしているし、日本だって国内の様々な思惑を背景に後から主導権を握ろうとしている。もちろんグローバル企業もこれが商機かと鵜の目鷹の目である。アメリカが国力の低下した日本を中国でなく自国の影響下に置いておきたいと考えるのも確かにそうかもしれない。

でもだからといって「鎖国」するわけにもいかんわけで、だったら「TPPには反対する。その代わり新しいアイディアがあるのでこれを皆で検討しよう」という対案がなければ、いつまでたっても日本の抱える問題は解決し得ないのではないかと思うのだ。
一方で一切の変化を拒否すればそれは緩慢なる自殺だ。であれば他にどういう策でこのガチガチに凝り固まった日本という構造を変化させるかを議論すべきだと思う。

私個人の考えで言えば、現状のTPPにそのまま参加するとメリットよりデメリットの方が多いかもしれないので、「日本はこのような内容であれば参加したい」という条件を明確に提示することが大切だと思う。単に聖域を設けるとか細かい条件の話にとどまらず、将来的に中国やEUとどう対抗・連携していくのかとか、30年後に実現させたい理想的な世界経済のビジョンを提示するとか、そういうことだ。TPPに受け入れられなければ、他国にそれを提示し、コツコツと新しい枠組みを作り始めればよいではないか。そのためにもFTAやEPA交渉の経験を積むことはとても大事だと思う。そこから逃げてばかりいたらまた戦争しなくちゃならなくなる。
日本の10大新宗教 (幻冬舎新書)
島田 裕巳 / 幻冬舎 (2007-11)
読了日:2013年2月18日
ブックオフを冷やかしてたら安く出てたので買ってみた。父が頑迷な無宗教者(自称)なせいなのかどうか、僕も特定の宗教に帰依することはないのだが、それでも関心はあるのです。その理由はただひとつ、古いから。人類の誕生以来ずっと組み上げてきて(もしかしたら付き纏われて)多大な影響を与えてきたし、おそらくは人類滅亡のその瞬間までずっと消えることのない宗教という観念はいったい何ものなのか。などと書くと大仰だが、たとえば自分が死の淵に立たざるを得なくなった時にはきっと今よりも意識してしまうであろう宗教。

しかしこの本のタイトルには「新宗教」とある。古いから宗教なのだと思っていたのだが。そう思って手に取り読み始めた。なるほど新興宗教、とは分けているのか。
「苦しい時の神頼み」とは実はウソで、好景気に新宗教が勢いをつけるものだという記述にはなるほどそういうものかと納得した。実は3.11直後に僕は東北で宗教が復活するのではと考えていた。だが2年経ってもそのような報道は聞かない。想像するに現場はそれどころではないのかもしれない。いつの日か復興が勢いをつけた後、本当の寂しさや不安がやってくるものなのだろう。話は飛躍するが、零細企業が倒産するのはけっして不況のどん底ではないという話がある。不景気が底を打ち、さあこれからだという時に資金がショートしたり、やり手の社員が離れたり、経営者が折れたりするという。

アベノミクスとかで景気が上向いているのだという。こんな時期に古本屋でこんな本を手にとったのも何か面白い。ところでいつも出張先に本を数冊持ち歩くのだが、ある時この本が消えていることに気づいた。どうやら名古屋のホテルに寄贈してきたらしい。電子化されたKindleだったらそんなことないのに。そんなわけで最終章だけは未読のままだ。

どうやらまだ紙にも神にも見放されているらしい。
アメリカは日本経済の復活を知っている
浜田 宏一 / 講談社 (2012-12-19)
読了日:2013年2月12日
浜松町の本屋のベストセラー1位の棚に見つけたので、とりあえず読んでおくかと買ってのだが10ページも読まないうちに全力で後悔した。
本当にこの人はノーベル賞に近いのか。
おそらくは口述筆記なのだろう、同じ話を何度も繰り返してしまうあたりは加齢からくる混乱なのか天才肌なのかわからない。話のほとんどは「権威ある〜」「天才と名高い〜」人々が自分の知り合いであって、という老人の哀しい自慢話にしか聞こえない。

文脈だけでなく論理展開も無茶苦茶だ。
たとえばP.84では「日本ではお金が余っているから金融緩和は無意味だ」という意見に対してこんな反論を展開してみせる。

「しかし、これは二重の意味で間違っている。第一に、デフレの世の中では、たとえ金利がゼロであっても、ものに対して貨幣の値打ちが上がっているから、物価下落の分だけ借り手が多くを返さねばならない(中略)、第二に、お金がジャブジャブ、金利がゼロでも借り手がいない、というのは正しくない。誰でも金利がゼロなら借りたいと思う。(中略)借りたら消費や投資に向けたいと思うのは当然のことである」・・・・なのだそうだ。

これのどこが論理なのだろう?
「それは間違っている。その理由は当たり前じゃないからだ」って答えたら日本の小学校でもじっくり諭される。
天才すぎてボケているのか。
この論理が成立するのなら僕はこう主張するだろう。
「吉野家の牛丼を半額にすれば誰もが1度に2杯ずつ牛丼を食べ始め、全国民あたり一日6杯の売上が見込めるはずだ。理由は美味しくて安い牛丼なら誰だって無限に欲しがるのは当然のことだからだ」なんて。

日銀の政策がまともでないことはたしかにそのとおりだと思う。
頭の良い高級官僚にありがちな硬直した決定が日本経済の足を引っ張っていることもおそらく間違いない。
だがアメリカやヨーロッパの金融政策が正しく日本だけが間違っていたのかと言われれば必ずしもそうではなく、むしろ彼らが無茶をし続けるのを傍観していたことは評価できない、というだけのことなんじゃないか。
煙を吹くほどドルやユーロを印刷した欧米に対して日本もそうすべきだった、と浜田氏は主張している。
赤信号を守っているうちにレースに負けたのは失策だ、という意見だ。
まあそういう意見もあって悪くはない。だが褒められるほどのこともない。

この学者がもう30年前に生まれていたらきっと「日本が戦争に負けたのは日本軍の上層部がアホで私の忠告を聞かなかったからだ」なんて本を書いて売りさばいたことだろう。
もちろん軍の上層部はまったくもってまともじゃなかった。
だがマトモだったら日本は戦争に勝てたのか、という主張をはじめられても対処のしようがない。日本軍と同じ程度の狂乱ぶりでしかない。

日銀問題もそういうことなのではないか。
日銀さえまともだったら2013年のもう一つの世界では、80年代のようにメイド・イン・ジャパンが地球上を席巻してたとでも言うのか。金融政策を間違えなかったら日本製のガラケーとiモードがが世界を席巻していたはずだと考えてしまうようであればそれはかなり重症なお花畑だ。

たしかに日本の金融政策は問題だらけだったかもしれないが、その他にも解決すべき問題で放置してきたことは山ほどもあった。原発だってそのひとつだ。米国に住み世界の天才たちとの交流を誇る教授が指摘すべきは、ご自身の後輩がいうことを聞かなかったから日本経済が没落したとかそういう田舎道の焚き火を囲んでしか聞かれないような与太話でなく、日本全体を覆う愚かで旧態依然とした変化を嫌う体質そのものであるはずだ。

それにしても陰鬱としてしまうのはこの程度の本がベストセラーになってしまい、著者が時の首相のブレーンだなんていうブラックジョークの方だ。アベノミックスを全否定する気はないし、おそらく幾分かは有効な施策にもなり得るのは間違いないとは思うのだが、だからといってそれだけで日本経済がすべて良くなるだとか、アメリカがそれを知っているだとか、なんかそういうのってもう破滅的だし、陰謀論的だし、ネットスラングで言うところの重症な厨二病を全力で発症しはじめたドタバタ世相のようであって、ただただだらしなく下顎を垂らしてげんなりするしかない私であります。
交渉術 (文春文庫)
佐藤 優 / 文藝春秋 (2011-06-10)
読了日:2013年2月3日
タイトルは交渉術、というハウツー本的なものだけど内容としては佐藤氏の過去の仕事を眺めて自分が注意した交渉術について語った本。

彼の本を通じて「外交官とは国家の営業マンである」と考えるに至った。
いかにして双方のボスのメンツを立てながら落としどころを探るか。それが外交官の究極の目標である。
自分自身が自分の所属する国家の国益を頭から信じ込むことも、そこから距離を置くことも、すべては交渉術として利用する。一方で原理主義的に自分だけが正しいと思うことは避ける。時に軍事的圧力までもちらつかせながら決して武力に至らぬギリギリのところでまとめ上げる力は、まるで老練なF1ドライバー同士がサーキットで見せるサイドバイサイドのようなある種の身内同士だから可能な芸でもある。

著者本人が華麗な交渉術を使ってこの本を書いていることもまた間違いないであろうから、すべてをファクトとして信じることもまた避けなければならないのだろうが、少なくともメディアで報じられている世界とまたは別個の人間模様が展開されていることは、一周回って希望となりうることも事実である。
知っておきたいマルクス「資本論」 (角川ソフィア文庫)
神津 朝夫 / KADOKAWA / 角川学芸出版 (2009-05-23)
読了日:2013年1月24日
「資本論」などのマル経(マルクス経済学)には30年来のアレルギーがあって。「社会」の点数にはそれなりに自信のあった高校生が大学の経済学部に入学した途端に渡されたのが「資本論」「帝国主義論」とかであって、その「わざと難解にこねくり回したろ」的な翻訳に音を上げるまで30分。それ以降「イヤ」になってしまったのだ。1983年当時、まだソ連や中共はそれなりの勢力を保っており特に京都の私立大学においてはまるで「今までなにをベンキョウしてたの?これこそが真実なのよ」みたいな宗教的勧誘が食堂の後ろの方(けっしてあちこち、ではなくなっていたけど)で秘めやかに繰り広げられていたのだ。日本で言えば江戸時代に書かれた本を片手にだぜ!

もちろん授業も近経(ケインズ系)かマル経の二択であり、当時すでに現実離れしていたように感じていた。ここには知りたい学問はないと3日で判断した僕は経済学部を自主的に退部して軽音楽部の生徒となった(冗談です)。3回生に上がると、上記二択とは違い現実との確かな接点を持つ教授のゼミに潜り込むことができたので、どうにかこうにか経済学との縁を切らずに済んだのは幸いだった(だからといって軽音楽部を退部したわけでもない)。

Kindleで本を探していてこのタイトルに行きつき、そうだ30年ぶりに資本論を読み直してみようと購入した。読み始めてしばらくすると、僕は大学受験を志していた息子を呼び止め「あのな、大学に行くのは急ぐな、まず働け、焼き鳥屋でいいから働け。数年社会に巻き込まれてみて、もし何かおかしい、何か騙されてるかもしれない、見えない何かが社会を動かしてる可能性はないか、と感じたら大学に行け、勉強は30からでも40からでもけっして遅くはないのだ」と説教はじめて妻のひんしゅくを買っていた。

マルクスはこの本で市民共産革命など一言も訴えていないではないか。彼の主張していたことは単純だ。働き過ぎは不幸だよ。労働者はきちんと資本家と交渉しようぜ。そしたらサービス残業しなくてよくなって、もっと楽しく、仕事の効率も上がるから双方ハッピーになれるさ、くらいなもんだ。それを偏執狂的に言葉をこねくり回して実証しようとしていたのだ。そしてそのほとんどは今でも立派に通用する。なぜそう断言できるかといえば、僕がこの30年間というもの営業所内ナンバーワンの残業王を自認したり、若い社員を率いて経営者と交渉したり、社長として若者を雇っていかに利益を上げるかに腐心したり、生意気な部下と労働時間で喧嘩したり、起業から廃業まで、小さいとはいえあらゆる現場にいたからである。一次情報としてそれらの体験ができたからだ。

いつの日かマルクスらの研究はイデオロギーとして社会を動かし、聖書となりはて、そして1989年の冷戦終了とともに朽ち果てた。だが2013年の日本で進行している経済をめぐるさまざまな現象はまさに彼が予測したとおりになっている。だからといって共産革命で世の中が良くなるとは誰も思わない。私たちは処方箋の無い時代に生きている。30年前の処方箋は幻想だったことが証明されているからだ。

ではどうするのか。答えを急ぐべきではない。我々はもう一度、江戸時代に書かれた知恵に立ち戻り、「そもそも」労働とは何なのか、価値とは、利益とは、発展とはなんだったのかという原点を見つめなおさなければ何もできない、そんな感慨を持って本書を閉じた。いや、スイッチをきった。
マイケル・ジャクソン (講談社現代新書)
西寺 郷太 / 講談社 (2010-03-18)
読了日:2013年1月23日
マイケルほど誤解されたままのアーティストもいないのではないかって思う。
でも彼はいつも前向きだったし清らかだった。
才能とは欠落だと言った人がいるが、彼には確かに何かが欠けていたのだろう。
常識とか生活力とかしたたかさとか。
でもだからこそ彼の音楽やパフォーマンスは輝きを失うどころか歳とともに磨きあげられ世界中の若者たちを熱狂させたしきっとこれからもそうなのだろう。
そんな彼をきちんと評価して世に問うジャーナリストが偶然にも日本人のアーティストだった幸運になぜか僕は少しばかり自慢気になってしまう。
新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書 (新潮文庫)
西寺 郷太 / 新潮社 (2012-05-28)
読了日:2013年1月20日
年末にNHKで放送されたマイケル・ジャクソンのドキュメンタリーをみた妻が唐突にマイケル熱を発症してしまった。気がつけばキッチンでスリラーの顔マネをしている。だったらこういうの読めば良いさ、と西寺本を2本アマゾンで注文した。TBSのポッドキャストフリークな僕にとって西寺郷太氏は著名人なのだが普通の主婦には知られていなかったようで、なにこの人文章分かりやすいし誠実で超詳しいと高い評価を下していた。僕もあらためて読んでみたが過去ラジオで語ってくれたさまざまなエピソードが知らなかった話も含めてきちんと整理されていたのでしっかり楽しめた。
1965年生まれの僕はマイケルといえばジャクソン5の踊る坊やのイメージから始まり、ちょうど大学生になった頃、猫も杓子もBeat Itにスリラー三昧、夜は下宿に集まってMTVに興奮しながらも「けっきょく河原町のディスコではやってる音楽じゃんかよ」みたいなちょっとついて行けない劣等感を武器に「ちくしょうオレはディストーションギターで勝負したる」なんて気張っていたりしていたのだが、哀れBADでロックテイストまでやられちまってもう降参だよって思ってたところでさまざまなマイケルスキャンダル。なんか色ついちゃったよねって感じでけっきょく今の今までまともに音楽として彼の作品を聞くこともなくたまにMTVで流れているビデオに相変わらずクオリティ高いなあなんて感じつつあら久しぶりにツアーやるんだすげえって、そしたらいきなり死んじゃってそれはそれはショックで。

てなとっちらかっていた僕らのマイケル観を整理するにはこれら西寺本は強力で有効なのでした。
人間の叡智 (文春新書 869)
佐藤 優 / 文藝春秋 (2012-07-20)
読了日:2013年1月15日
まんまと佐藤優流インテリジェンスに流されてダウンロード。
彼の主張が正しいかどうかを僕が判断するのは困難だ。というか判断すべきでないと感じる。判断することなく情報を摂取し続けるといつの間にか感化されてしまうことはあるだろう。そんなことで感化されてたまるものかと、今まで自分の考えていたものと違う定義付けをされた言葉について考えたり調べたり、関連書籍に手を出したるしながらいつのまにか僕はある種の判断を始めている。

本を通じて人間が情報を伝えるということはなるほどこういうことか、と思いつつページをめくる(実は画面をタップしているのだが)。

彼はこれまでの仕事と現在の立場から国家、帝国について述べる。だが僕の仕事は国家運営とは関係ない。だから企業や業界や医療や組織について考え、述べることになる。その意味においてこういった刺激と毒を含む本に触れることはとても有効だと感じた。
死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
門田 隆将 / PHP研究所 (2012-11-24)
読了日:2013年1月14日
これで何冊目になるのか数えてないけどまた原発事故のドキュメンタリーを買ってしまった。
どうして買わずにはいられないのか。
それは今まさに自分たちは戦時中に生きているのではないかという疑念と日常生活の実感とがあまりに乖離してしまっていて、その隙間を埋めないとどうにも落ち着けないからなのだと思う。
もうすぐ2年が経とうとする3月11日、大型地震と大津波に襲われた福島第一原発の現場で繰り広げられた闘いはまさに戦争だったのだとこの本は伝えている。

SF映画のような美しいプロローグから静かなエピローグまで一気に読み終わったあとに残るのは、やっぱりあれは戦争だったんだよなという確信だ。
戦争物語にありがちな個人をヒーローとして称賛する文脈など皆無であるにもかかわらず、僕はそこにいた男たち女たちへの感情を抑えることができなかった。自分だったらどうしただろう。原発の現場にかぎらずあの日あらゆる現場で人々は必死の闘いを繰り広げていたはずだ。自分はどうだったのだろう。

残念なことに原発事故は収束している状態とは言い難いようだ。これから何十年も生命を賭けたリスキーな作業を続けなければならない。今この時間にもそれを続けている作業員がいることを僕らはほとんど忘れかけている。太平洋戦争のように戦場でのできごとを派手に報道すべきとまでは思わないが、今のように「穢れた場所」「穢れた仕事」のような冷たい目線で意識の外に追いやろうとする態度はあまりに酷いのではないかと思えてくる。吉田所長なんて一時期はネット上で死んだことにされてたくらいだ。そういうのはあまりに無責任だ。

くりかえすが残念なことに戦争は継続している。なんてことない日常のすぐそばで僕らの知らない戦争が続いている。さらに次の戦争がはじまらないとも限らない。戦争に積極的に関与して勝利を目指すのも戦争反対を叫び続けるのも幸いなことに今のところ僕らの自由だけど、少なくとも日常の薄皮を1枚べろりと剥がしただけで目に入ってくるもう一つの日常を見ないことには落ち着けないのです僕は。
酒場を愉しむ作法 (ソフトバンク新書)
自由酒場倶楽部 / SBクリエイティブ株式会社 (2010-09-16)
読了日:2013年1月13日
夫婦揃って吉田類の酒場放浪記の大ファンで、自宅にいるときは週に何度か自動録画で撮りためたBSの番組を集中して見るのである。番組が始まると僕がiPadのグーグルマップで駅名を検索し、二人して「この駅で降りたことがある」とか「どこにあるか見当も付かない」とか話ながら周囲をぐるぐる見渡し、続いて紹介されたお店も検索してみる。放送日時がテロップされると、あ、この時僕はもう東京にいたよ、とか東京も変わってないね、とか吉田さんまだ若いねえ、なんてこちらも焼酎片手に盛り上がる。

この本はその吉田さんが2010年に記した一人居酒屋へのお誘いである。といってもハウツー本なんかではなくて、酒飲みが酒飲みとして世間様に恥じない酒飲みになるためにどうだ俺の酔狂さはよ、と優しく問いかける放浪記なのである。
スマホ、タブレットが変える 新IT医療革命 (アスキー新書)
Team医療3.0 / アスキー・メディアワークス (2011-12-10)
読了日:2013年1月12日
お正月明けにKindle本を何となく探してて安くなってたので読んでみた。
最近はあちこちで歯科医療の現場で利用するiPadの未来、みたいな話をする機会が多いのでネタ本的に。
読後の感想としては「そんなに外してなかったな」とホッとしたところと、まだまだ先に進む人たちがいるのだなあという高揚感。
医療に限らないが、より複雑となった協業・分業システムをいかにしてストレス無く繋げていくかという手段としてタブレットやクラウドを利用するのは至って真っ当な手法だと思う。その方法には3つほどあるはずだ。

一つは分業化されている現状のシステムに新しいテクノロジーを乗せ、より緊密なシステムに強化する方法。
もう一つは最新のテクノロジーを利用したスーパーマンが分化されていた仕事を再び集約し、ワンマン体制に戻る方法。
最後に、問題解決のために現在使えるテクノロジーをすべてゼロベースで組み合わせてまったく新しいシステムを構築してしまう方法。

本書に紹介する例の多くはその1番目だがそれは医療という高度に複雑化した世界なのだから当然だ。
だがそれは次第に現実を溶融させはじめ、次のステップに向かっていくのだろう。
刺激になった本。
読書の技法
佐藤 優 / 東洋経済新報社 (2012-07-26)
読了日:2013年1月11日
Kindleで何か面白い本はないかなあと探していてダウンロード。佐藤優の本は「国家の罠」以来2冊め。
月平均300冊を読むという読書家の技法が自分に役立つわけはないしその気もなかったのだが、なるほどと納得できることも多かった。僕の読書は単なる趣味だが、彼は仕事として読み書きしているわけだから当然取り組み方が違ってくる。
たとえば超速読のハウツウはそういえば僕が毎日のように仕事として扱っている業界のカタログやチラシ類の読み方とまるで同じだ。20ページの文書でも内容を把握するのに10秒以上かけることはほとんどない。20年以上同じ業界にいるとその文書が指し示す商品群から歴史からその会社がやろうとしていることなんてのは、だいたいタイトルを見る前に想像ついたりするのである(それも情けない話だが)。短時間でそれなりの量をデータベース化しないといけないので1分なんて掛けていられないのだ。
医者や学者が接する論文や学術誌もおそらくそんな読まれ方をしているのだと思う。大事な情報は勝手に目が飛び込んでくるものだ、という話はよく耳にする。
つまり「仕事として文書に接するハウツウ」として本書はかなり有効だ。
一方で、熟読すべき本を月に三冊ほど選んでノートを作りなさいという話にはなるほどと思いながらなかなか実現できていない。でもそれを習慣にすればもっと知識が身につくのだろうなあ。でもなかなか。

あと義務教育の教科書で学び直せという話。いつかやりたい。

さいごにもう一つ本書がはたしている役割は、「これだけの本を読んでいるからには著者の論点にはきっと深い奥行きがあってそれなりに真実に違いない」と読者に思わせてしまうところだ。まんまとその手に乗ってしまい彼の本を3冊もダウンロードする事態が進行している。
百億の昼と千億の夜 (ハヤカワ文庫JA)
光瀬 龍 / 早川書房 (2010-04-05)
読了日:2013年1月9日
少年時に一度読んだ記憶だけあったのだが、Kindleで見つけて読んでみたらまったく記憶がなかった。たぶん途中で投げ出したか最初から読んでいなかったのだろう。今回はいっきに最後まで読んだ。
1965年に連載開始されてるのだから僕と同い年の作品というわけである。こういう古い日本のSFの雰囲気は大好きだ。とても自由だった。文庫の中だけは俺たちの特別区なんだからって感じで個人の夢想を好きなだけ自由に展開できていた気がする。最近だとこういう宗教がらみのテキストを発表すると数時間後にはあちこちから矢が飛んできそうだ。
調べたら著者の光瀬龍が37歳の時に書いた小説なのだった。それもすごい話だ。
ギリシア哲学、仏教、キリスト教それぞれの創成期の人物たちが繰り広げる宇宙活劇だなんて乱暴なまとめ方しちゃうとファンに許されないだろう。そして昭和40年の日本にこんな夢が漂っていただなんてなんだか嬉しい発見だった。
ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)
安田浩一 / 講談社 (2012-04-17)
読了日:2013年1月4日
「自分はこれまで騙されてきた。ネットで勉強すればするほど真実は隠されてきたことがわかった。いまでも多くの善良な市民は政府やメディアに騙され続けている。だから自分たちは本当のことを訴え続けなければならない」---

そういった一種の悲壮感がネットから伝わり出したのはいつの頃からだろう。
ゴーマニズム宣言は92年スタートだから当時はまだネット文化とは別物だった。
しかし94年頃にはもうオウム真理教的な陰謀論がニフティの掲示板に溢れはじめていた。
ネットには真実があるといった物語感を漂わせ始めたのは2004年のイラク人質事件あたりからではなかったろうか。
そして2008年の北京オリンピックの聖火リレー騒ぎなどを経てそれらは市井の日常会話にまで顔を出すようになった気がする。
それはこのままでは国を危うくするのだといった悲壮感を漂わせはじめていた。
そしてなんといっても2011年3月11日、ありとあらゆる種類の不信感が日本中を席巻した。
掲示板からSNSに場所を移したネット文化はそれに免疫を持たぬ新住民を獲得しながら「拡散希望!「真実を知るべし!」という嵐の日々に突入したまま現在に至る
---パソコン通信の黎明期から30年間ネットに接してきた者の一人としてそう捉えている。

さてこの本はネットだけを扱ったものではない。在特会という排他的な右翼青年たちに取材したレポートだ。
著者の安田浩一氏はまったくの同世代、同学年である。僕の世代は激しい学生運動、労働運動とは距離をおきつつも実際に熱中する世代とも交流し、バブル時代には浮かれる時代を経験しながらもその恩恵にあやかる機会もなく、気がついたら日本は不況になっていたが、何となくそれなりに生き残ってきたけど将来はどうなるかわかんない、という気分の人間が多いのではないかと思う。
つまりいまひとつ主人公になれずに傍観者として立ってしまうことの多かった人間というか。僕だけの個人的なことかもしれないけど。

でもそれはあくまでリアルな社会での話だ。ネットの世界では思いっきり主人公を演じることもできるのだ。

この本に出てくる若者にはそんな二面性を持つ人が多い気がした。
熱病に取り憑かれたように日本に住む外国人の危険性を訴え、ヘイトスピーチを繰り返す。しかし面と向かって酒でも飲めば話のわかる青年だったりする。どちらも自分自身だと思っている。この感覚はわからぬでもない。

僕自身は少なくとも右翼ではないと思う。
日本列島や日本文化をこよなく愛していることには自信があるが、だからといって日本政府や日本企業を愛しているなんてことはない。自分の家族のためには死ねるかもしれないが、天皇陛下や安倍首相のためには死なないと思う。
自分が日本人かどうかは少なくとも国籍はそうだし、何代か前まではこの列島で暮らしていたことは多分そうなのだろうけど、その前については知らない。縄文時代以前まで遡ってしまうと列島に住んでいなかった方が現日本人ってことになってしまう可能性すらある。とうぜんさまざまな血が混ざっていくだろうから調べることに興味すらわかない。

福岡県に生まれて八代市に育ち京都で暮らして熊本市に家を建て半分東京で生活していたりする僕にとって故郷という概念はとても薄い。だがこんなことを江戸時代にやっていたら脱藩浪人でお上に追われる。そのうえ方言や風土の壁が高くてとても苦労したことだろう。そんな時代の武士ならば隣の藩と戦争を想定するのは当然で、たとえば肥後藩のためになら死ぬなんて覚悟を持っていたのかもしれない。一方いま熊本県のために死ねる人は多分いない。

ということはあと30年もすれば、国境が江戸時代の藩境と同じくらいになっていくのかもしれないと思っている。僕の孫はきっと熊本に生まれバンコクの大学に行き上海の企業に就職しサンフランシスコで起業する。月に一度はそれらの都市をぐるっと回りながら仕事や生活を続ける。言葉にも食べ物にもさして難儀していないことだろう。一方でアジアに生まれた人々は日本人としてこの列島にも住まいを確保していることだろう。今ぼくの住民票は熊本にあるのに文京区に部屋を借りて東京人を気取っているようにだ。

なんていうノンポリな僕からすれば外国人排斥運動ってのは、時代の変化に抵抗する切ない熱病のように思える
一生懸命やってる人が読んだら怒るかもしれないごめんなさい。でもそうとしか思えない。

著者もこの本を出して以来、そうとう絡まれているようだ。でも気にしてるふうでもない。
僕らの世代はなんとなくわかっている気がするのだ。熱は冷めていく。分子運動は必ず冷却へ向かう。冷却は一様ではなく温度差が生じる。松井孝典の書いた分化だ情報だ。だからこんな社会運動にもある種の必然性がある。

だからと言って僕はヘイトスピーチにかまける人たちを許すことはないだろう。
必然だからといって許されるというものではないのだ。それが人間の文化てなもんだ。

叩くに値する理由さえ見つかれば、とにかく叩いて良いのだという感覚は嫌いだ。
叩けば叩くほど理屈抜きに解決に向かうという思い込みは要するに思考停止だ。
自分以外は正しい情報を知らないから教えてあげるという態度は失敗だ。

じゃあどうするかって言われれば僕は正直に「何もわからない、何も知らない」としか答えるしかない。
だからこうやって本を読むのです。
(なぜかまだネットでは勉強できない気がする。なぜかわからないけど)

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