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2015年7月に読んだ本の記録

ついほったらかしにしてたこのブログ。遅ればせながら3ヶ月も前に読了した本の記録を。いつもより少なめの9冊を読んでおりました。

期間 : 2015年7月1日 ~ 2015年7月31日
読了数 : 9 冊
69(シクスティナイン) (集英社文庫)
村上 龍 / 集英社 (1990-09)
読了日:2015年7月30日
iPadをいじっていたら以前iBooksのお試しデータで本小説を少しだけダウンロードしていたことを思い出した。小説自体はずいぶん前に読んでいたのだけど、なんか急に読み直したくなってブックオフでついで買い。
村上龍は僕の13歳も年上なのだから当然1969年当時の記憶なんて共通するところがあるはずないのだけど(僕は当時4歳だし)、同じ九州弁つかいでもある主人公や登場人物たちとはどこか親近感があった。そういえば僕が高校生の頃だって何かでかいイベントやろうぜとかバンドやって目立とうとか暴力教師に一泡吹かせてやろうとか、ここに書いてあるようなことはたいてい話し合っていたものだ(さすがにバリケード封鎖はしなかった)。
本書が書かれたのは1987年だから僕が大学の頃だ。日本はバブルを目前にやたら元気が良かった。当時村上龍は35歳、まさに好景気を支える世代だったはずだ。そんな勢いみたいなエネルギーが行間から溢れてくる。僕にとっては1987年くらいが著者にとっての69なのかもしれない。まあ今にして思えばろくな時期じゃなかったんだけど。
世論調査とは何だろうか (岩波新書)
岩本 裕 / 岩波書店 (2015-05-21)
読了日:2015年7月29日
何となくAmazonで見つけて買ってみた。世論と輿論との違い、バンドワゴン効果、逆バネ効果、重ね聞き、中間的選択肢、枕詞、ダブルバーレル、キャリーオーバー、討論型世論調査などに傍線を引きながら読んだ。

世論調査を元にしたニュースは多い。そしてつい一言コメントしたくなる(SNSの浸透は一億総コメンテーター化を促した)。だけど本書読みながらそれは逆ではないか、と思い始めたのだった。ひょっとしたら「誰もがコメントしたくなるような世論調査」がニュースソースとして生み出されているだけなのではないか。国民にこう考えてほしい、怒ってほしい、満足してほしい、そういった思惑がベースにある「調査」も案外多いのではないか。陰謀論を語りたいわけでなく、単に売れるニュースを求めているうちになんとなくそういった空気が生まれ、気がつければ反応を引き起こしやすい結果が作られていく。もしかしたら回答者だってそんな空気を読んでいるかもしれない。

世論調査は面白いけど、それはたんに一つの気分を表すものだと思いたい。といっても民主主義化の政治も、自由主義化の資本主義経済もぜんぶ気分で動いてしまうものだから無視できないんだけど。
カラー版 イースター島を行く―モアイの謎と未踏の聖地 (中公新書)
野村 哲也 / 中央公論新社 (2015-06-25)
読了日:2015年7月26日
イースター島に行ったことはないしこれから行く予定があるわけでもないのだけどラジオで著者の話を聞いているうちに無性に読みたくなって取り寄せた。
写真が美しい。それにまるでガイドブックのように島を周回しながらイースター島を紹介してくれるので、何度も巻頭の地図に戻りながら楽しく読んだ。子供の頃読んだ雑誌やなんとかスペシャルみたいな企画ものテレビ番組でその神秘性ばかりを記憶していたイースター島のモアイだけど、案外人間くさい歴史を持つものらしい。昔だったら「なーんだ宇宙怪人の基地だと思ってたのに残念」ってなっただんだろうけど、最近は「人類、おもしれーなー」って感じるのだから年を取るのも悪くはない。
死ぬまでにはいちど行ってみたい場所がまた増えてしまった。写ってる女性が美人ばっかりだし。
ヘイトスピーチ 「愛国者」たちの憎悪と暴力 (文春新書)
安田浩一 / 文藝春秋 (2015-05-20)
読了日:2015年7月22日
Kindleに勧められてダウンロード。眠れない夜だったのでそのまま読み始めた。前著「ネットと愛国」と重なる部分もあったが、後日談的な部分もあり興味深く読めた。ヘイトスピーチという言葉の解釈はまだ収斂されていないように思う。著者の言うとおり差別という概念を明確にした日本語を充てるべきかもしれない。

差別とは本人の努力とは無関係な属性をあげつらって行う攻撃のことだ。つまりフェアではない。そして人間として下劣な行為だ。ところがどういうわけか近ごろは本屋に行ってもネットを眺めても、そういった言説が溢れているし、あろうことか「いいね!」とか「シェアさせていただきます!」みたいな賛同の声に溢れていたりするから頭が痛い(それも実名でだからよほど確信的なのだろう)。

僕だって子供の頃に心ない言葉で誰かを傷つけたことだろう。忘れてるけど傷つけられたこともあったかもしれない。でももういい大人なんだから、弱いものイジメは良くない、とかデマを信じて拡散しないとかいった人間として当たり前の世界からはみ出さずに生きていきたいものだ。
「過剰反応」社会の悪夢 (角川新書)
榎本 博明 / KADOKAWA / 角川書店 (2015-05-10)
読了日:2015年7月21日
妻が何かの雑誌で見かけ、面白そうだから読んだらというのでダウンロードしてみた。
たしかに最近は過剰と思える反応をしてみせる人間が増えてる気がする。昔からエキセントリックな人間はそれなりにいたけど、まあそういう人もいるよねって感じでちゃんとフィルターを掛けておくことができた。でもSNSの出現は「エキセントリックな人=声の大きな人」という図式を成立させ、まるで世の中の大半の人間が大騒ぎしてるような感覚を醸し出させてしまっている。本当はネット世界における一現象にすぎないそんな感覚であっても慣れない人間にとっては「世の中がどんどん悪くなってきている」という実感に繋がってしまうのだからいろいろと具合が悪い。

みんながそうしてるのだからきっと面白いのだろう式の「ヒューリスティック」な思考法が増えていると著者は書く。ヒューリスティック処理とは、簡便な情報処理法のことであり、断片的な情報や周辺的な情報に反応して直感的に素早く判断する情報処理のスタイルを指すという。つまり「理性」ではなく「直感」で裁く。直感を信じるというのはある場面においては正解だが、それは自分自身が火事の現場にいるとかそういった肉体的に一次情報を獲得できるシーンでこそ有効なはずだ。ネットニュースを見てるうちにわき出てきた直感など、信じるに値しないはずなのだ。
オールド・テロリスト
村上 龍 / 文藝春秋 (2015-06-26)
読了日:2015年7月20日
著者のメルマガで知りさっそく取り寄せたのだけど、その日に新幹線焼身自殺事件が発生し心底驚いた。昔からこの村上龍は自作で創作した事件をその後すぐに本当に起こさせてしまうことで有名だ。

読み始めるてすぐ本書がずいぶん前に読んだ「希望の国のエクソダス」の続編的位置づけであることに気づいた。引っ越しを機に古本屋に売ってしまってエクソダスをあらためてブックオフから取り寄せて再読したのだけど、この本が出たあとに911テロが起こったのだと気づいて背筋を寒くした。

カツラギはまるで村上春樹の作品に出てくる女性のようだし、過去に読んだ様々な作品や映画をいちいち思い出しながら物語は進む。それが妙なことに現実世界のニュースとも絡み合うという滅多にない読書体験となった。

三島由紀夫の時代から日本はいちど焼き払ってやり直さないといけないという言説はたびたび繰り返されてきた。最近になってそれはますます説得力を持ち始めたように思えるのだけど、おそらく日本人の長寿化が影響しているのではないかな、と感じることが多い。平均寿命が伸びに伸び、都市も田舎も元気な老人ばかりとなった。一方で少子化も進行し気がつけば世の中の多数派はもはや年金世代となりつつある。こないだ知った事実だけど、日本は献血によって作られた血液製剤の80%以上が60代以上の患者に使われているという。日本はあらゆる面で老人の国となりつつある。

本作は、そんな日本を破壊してしまおうというテロリストですらもはや老人なのだ、というブラックユーモアな設定の近未来SFだ。だけど村上龍のことだから数年内に実現する可能性もあるのだからSFだと思って安心していてはいけない。
誰がために鐘は鳴る〈下〉 (新潮文庫)
アーネスト ヘミングウェイ / 新潮社 (2007-11)
読了日:2015年7月18日
ヘミングウェイの文章にはぐいぐいひっぱられ、あちこち出張するたびにカバンに入れいろんな都市で読んだ。これならアメリカからスペインまで戦争のために出張している主人公の気持ちも少しは伝わるというもんだ。スピード感溢れるエンディングを読み終えて僕のこころはざわついたままだった。今後何年もこの物語を心のどこかに置きながらだんだんと感想みたいなものができていくのだろう。
読み終えた時点で僕の頭に残っているのは数々のシーンだ。特に名場面ってほどのこともない、ちょっとした描写がなぜかふとした表紙に脳内で再生される。思いのほかそれって重要なことなのだろうと思う。作者の創り出した世界が僕の脳に複写され、少しずつ変容しながら生きながらえていくのだと考えたらとても面白いことだ。
誰がために鐘は鳴る〈上〉 (新潮文庫)
アーネスト ヘミングウェイ / 新潮社 (2007-11)
読了日:2015年7月11日
ヘミングウェイを読み始めたら止まらなくなってしまい、ブックオフで大人買い。9月にスペインに行くので否が応でも盛り上がる。相変わらずの歯切れの良い文体だが翻訳が古いせいか現地人がUFOを目撃した田舎もののような語り口でつい笑ってしまう。主人公のイノセントな語り口に反して登場人物たちのえぐさが心に残る。しかし本当にエグいのはどっちなのだろう。
永続敗戦論――戦後日本の核心 (atプラス叢書04)
白井 聡 / 太田出版 (2013-03-08)
読了日:2015年7月6日
発売当初から気にはなっていたけど、最近読む本あちこちで引用されているのでじゃあ読んでみようかと。前文がのっけからアジテーションぽくて少し引いてしまったのは著者の若さか、あるいは2013年という時代背景か。でも驚くべきことに本書は民主党政権時代に書かれてたわけで、もし今リライトされれば更に過激さを増すのかもしれない。これから数年後にその時の政治状況を背景に再読すればもしかしたら作者の激しさがまだ足りなかったなどと思うかもしれない。

「負けるが勝ち」という言葉を思い出した。負け続けてることにすれば万事上手く行く、という発想は焼け野が原で何かも失った戦後において緊急避難的に有効だったことは想像できる。しかしその後の経済成長を経てもまだ「敗戦国」というポジション取りを手放さず、強者への依存をさらに深めていこうとする戦略は数々の副作用をもたらしはじめているという。さらには「強弱」というスケールに深く依存した結果、そこに不可思議な上限関係を創り出してしまった。すなわち「アメリカには負けたがアジア(特に中国韓国)に負けた覚えはない」という心情が広く普及し始めていることだ(少なくとも本屋の平積みやSNSのフィードには溢れている)。

効能効果よりも副作用が目立ち始めていることは明かなのに、薬を変えることができないのは日本の指導者層、特にエリート官僚が「ビビリ」だからと僕は思う。でも本書が指摘したいのはそれだけに留まらず、国民全員がもはや既得権を守ることばかりを意識し、新しい環境への適応から目を背けているという事実なのだろう。

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