スキップしてメイン コンテンツに移動

2015年の1年間に読了した119冊の記録

メディアマーカーのHTML出力機能で作りました。読了した逆順(新しい順)にずらっと並べてるだけです。あんまり誤字とかチェックしてないです。

期間 : 2015年
読了数 : 119 冊
曠野の花―石光真清の手記 2 (中公文庫)
石光 真清 / 中央公論新社 (1978-11-10)
読了日:2015年12月30日
石光真清3部作の第2巻。100年前の和製冒険小説だよと渡されたとしてもたぶんそのまま信じて読んでしまったと思う。巻頭にある満洲要図をなんども見ながら読み進めるが、そのうちiPadで地名を検索しGoogleマップでその位置関係を調べたり、そのままWikipediaでいろいろ調べたりしているうちに1日のほとんどをこの本に注いでしまった。ウラジオストク、ブラゴヴェヒチェンスク、ハバロフスク、哈爾浜。登場するのスパイ家業の本人に加え馬賊の頭目、ロシアの軍人や商人たち、大陸を放浪するキャラの塊のような日本人たち、特に女たち。

満洲とは日本にとっての「西部」だったのだとふと気づいた。アメリカにおける西部劇の西部だ。世界中から転がり込んできたガンマン、採掘者、盗賊、そして現地人、鉄道野郎たち。まんまじゃないか。そんな状況の中、勤勉で清純だと評価されていた日本人、特にその軍人たちがどうしてこのあと無謀な戦争に墜ちていったのだろう。それはきっとまじめさの裏返しなのかもしれないと思った。大陸人たちのおそるべき不真面目さと、島国で箱庭のような国土を目出る日本人の極端な生真面目さがぶつかったとき、正と負の化学反応が同時に起きたが、不幸なことに負の反応が大きすぎたのだろう。
フリーランチの時代
小川一水 / 早川書房 (2011-07-25)
読了日:2015年12月30日
Kindle半額セールで初めて読む作者のSFに挑戦したが、どの作品もひねりが利いてて楽しめた。

・フリー ランチの時代
〜ゾンビものといわれればそんな感じの設定。超重たいテーマをわざと軽く描いたところが光る。

・Live me Me.
〜最近観た映画で言えばトランセンデンスあるいはチャッピー、今年読んだ本で言えばミチオガクのフューチャー・オブ・マインド 心の未来を科学する的なテーマだけどラストシーンは新たな2001年宇宙の旅みたいな。こういうの好き。

・Slowlife in Starship
〜最後の方で旧世代探査機を捕獲するシーン、去年の今ごろ読んだ「火星の人」を思い出した。

・千歳の坂も
〜山田宗樹「百年法」をふと思い出した。本作が先だと思うけど。

・アルワラの潮の音
〜あえてSF設定にしなくても面白い海の物語になった気もする。小松左京の古い小説にちょっと似た雰囲気のがあった気がするけど思い出せない。
城下の人―石光真清の手記 1 (中公文庫)
石光 真清 / 中央公論新社 (1978-07-10)
読了日:2015年12月27日
石光真清連作は本作が1冊目なのだけどなぜか先に3作目の「望郷の歌」を読んでしまったのであらためてこちらを読み始める。明治元年に熊本の低級武士の次男として生まれたところから始まる。当然明治維新直後だ。そんな時代の熊本の生活を疑似体験できるとは。当時の地名をネット検索しながら読み進めると俄然面白い。明治10年、西南戦争の戦場となった熊本市が当時10歳の視線で生き生きと描写される。薩摩軍の兵士や熊本城鎮台の武将たちとも子供ならではの会話を続けながら炎上する熊本城を活写する。こんな面白い「実話」に出会うことができたなんて手島龍一氏には感謝せざるを得ない。
真清氏が軍人となり、天皇家で仕事をしたり日清戦争に出征したりしながらも故郷へ戻り、結婚するがやはり大陸に引かれてロシア語を学ぼうとするあたりまで。
当時の日本人にとって熊本から東京を経由して旅順やウラジオストクへと往復することはまるで国内旅行のように近い感覚だったのだろうか。まさか。今みたいに飛行機も携帯もネットもないのだから。それでも彼らは僕らよりもずいぶん短い人生のなかであってもゆっくりと移動しては各地で根を下ろしていったのだと思うと今僕が当たり前に感じている「常識」なんてものはただの偏見でしかないのだと実感するよりほかない。
もうダマされないための「科学」講義 光文社新書
菊池 誠 , 松永和紀 / 光文社 (2011-10-14)
読了日:2015年12月26日
Kindleの安売りと知ってダウンロードした後に実は紙の本で既に読んでいたことを思い出した。
ところがかなりの内容を忘れてしまっていたし、今だからこそ理解できるところもあったで再読もためになるものだと実感。科学とは有効な手段に過ぎないのにいつの間にか信仰の対象とされたり逆に異教として排除されたりするので科学者も大変だ。

以前読んだときの感想はこちら
http://mediamarker.net/u/bluesmantaka/?asin=4334036449
酒呑まれ (ちくま文庫)
大竹 聡 / 筑摩書房 (2011-11-09)
読了日:2015年12月21日
妻が買って読んだ後ぜったい面白いから読みなさいと。たしかに面白い。トイレに入るたびに2〜3章ずつ読んでたら1週間ほどで読んでしまった。著者は僕と同じ年に大学に入っているらしい。とは言っても東京の大学だから京都で過ごした僕の学生生活はずいぶんと風合いが違っていたようだ。僕も東京に進学してたら同じような生活を送ったのだろうか。いやそんなこともないと思う。どこで暮らそうとだいたい似たような生活になるに違いないからだ。僕も酒飲みの部類だとは思うけど、身体が頑丈ではないのですぐに潰れてしまう。正確にはその夜はけっこう大丈夫なんだけど、翌朝から数日体調を崩してしまう。だから自ずと飲む量も限られてしまう。当然バカもしないしたいして他人様に迷惑を掛けていないはずだ。
なんて考えていたのだけど最近はスマホにカメラがついてたりして、時刻おまけにGPS情報までくっついた写真がたくさん残ってたりする。時には仲間から送られてきたりする。そして恐ろしいことにそのほとんどに記憶が付随していないのだ。あなおそろしや、酒の場で僕が記憶していることはそのほんの一部分だけだったらしい。僕もどうやら酒呑まれの一人だったようだ。
望郷の歌―石光真清の手記 3  (中公文庫 (い16-3))
石光 真清 / 中央公論新社 (1979-01-10)
読了日:2015年12月20日
石光真清の4部作を読んでみようと取り寄せたのだけどなぜか3作目の本書を一番先に読み始めてしまった。なぜか分からない。読み終えて次に取り掛かろうとしたときに初めて気づいたのだ。それまで一度も変だと思わなかった。それくらい完成された作品だと思う。
京都で手嶋龍一氏の講演に接し、その後の懇親会にて名刺交換した際「熊本のご出身でしたらぜひ石光真清さんについて勉強してみてください」と言われたのがきっかけでまとめ買い、すぐに読み始めた。

石光真清とはそれまでまったく知らない名前だった。明治元年に熊本で生まれ、満洲、シベリア各地で軍の諜報活動に従事した人と知って俄然親近感を抱き、読み進めることとなった。明治人の手記であるが、息子さんがリライトしているとのことでとても読みやすい。それにしてもどうしてこんなことまで覚えているのだろうと不思議ににもなったけど明治の諜報家ともなればそれくらいたやすいのかもしれない。
本書は日露戦争の前線から始まる。1904〜5年のことだから第一次世界大戦の10年ほど前の時代だ。そのせいか特に戦場シーンなどでは少し後のレマルクやヘミングウェイと共通した雰囲気を漂わせる。今から100年前の前線の空気が伝わってくる。日露戦争後、日本となんどか行き来しながら中国大陸で怪しい商売に手を出しては失敗する姿は、冷徹な軍人というより昭和の冒険小説みたいな雰囲気すら感じさせた。

今とはまったく違う日本。弱小国で戦争ばかりし大家族で人がどんどん死んでいく世界。その中でも国の発展と生き残りのために命をかける男たち。だけどそんな彼らの日常は驚くほど穏やかでありときおり静かな平和だって流れている。真清氏はあくまで合理的な判断を繰り返し、感情だけに流されることなどない現代人と同じ感性を持っている。そこに時代の断絶なんて感じられないのだ。

連作を読みながらいま右翼も左翼も、戦前の日本をまっとうに捉えていないのかもしれない。戦前も戦後も実はしっかりと繋がっているのだ、という実感を持ち始めている。

1巻2巻を読んだ後にもう一度読み返してみたところ、特に登場人物たちの繋がりが鮮明となり二倍楽しめた。
新個人情報保護法とマイナンバー法への対応はこうする!
牧野 二郎 / 日本実業出版社 (2015-11-27)
読了日:2015年12月13日
クラウドについて講演するのに勉強しようと思って買ったんだけど、自社の経営上知っておくべきことが分かりやすく解説してあり、とても勉強になった。
第1章 個人情報とはどのようなものか
  特定個人情報→マイナンバーと結びついたもの、企業は利用できない
  要配慮個人情報→センシティブ情報、文脈により差別される可能性
  一般個人情報→個人識別符号も
  匿名加工情報→ビッグデータ運用のために個人の特定をできなく加工

第2章 新個人情報保護法とマイナンバー法改正の方向
  マイナンバー法導入で個人情報取り扱いを本格化
  ビッグデータ時代の到来
  旧法の弊害を改正(個人の罰則、売買記録、過剰反応対策、個人情報保護委員会 

第3章 新個人情報保護法への対応
  全ての事業者が個人情報取扱事業者に
  音声や一定動作も個人情報に
  個人情報データベースの定義
  オプトアウトからオプトインへ

第4章 安全管理措置についての体制整備
  安全管理措置が義務規定に
  組織的安全管理措置・人的安全管理措置・物理的安全管理措置・技術的安全管理措置

第5章 第三者提供の規制と匿名加工情報の取扱い
  第三者提供の規制(オプトアウト→オプトイン)
  共同利用に大きな制限(Tポイントなど)
  本人の請求権確立
  匿名加工情報の新設(ビッグデータビジネス)
  個人情報保護委員会の設置、権限

第6章 改正マイナンバー法への対応
  個人情報と特定個人情報は明確に分けて運用
  委託管理と安全管理措置
沈黙のフライバイ
野尻 抱介 / 早川書房 (2013-04-25)
読了日:2015年12月12日
KindleのSF作品が半額セールというので何冊か買ったうちのひとつ。日本のSFって筒井康隆とか小松左京みたいな古い世代の作品ばかりだったけど現代の作家もなかなか凄い。ガチなサイエンスぶりが楽しかった。アイディアがとても面白いし現実離れしてなくてなかなか良質だ。
・沈黙のフライバイ
  本気でありそうなファーストコンタクト。既存の技術や科学力を日常的に利用して。

・轍の先にあるもの
  もう一つの現代。作者とほぼ同世代だから良くわかる気がする。ほんとはそんな2015年だったはずだ。

・片道切符
  映画Mission to Marsを思い出させる光景だけど深刻さがなくてわりと好き。

・ゆりかごから墓場まで
  このC2Gスーツのイメージはこれから僕の人生にずっと付きまとう気がする。すごい。

・大風呂敷と蜘蛛の糸
  ちょっと難しいところもあるけど、映像が目に浮かんで楽しかった。でも自分だったら3分で気絶してるだろう。
回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)
村上 春樹 / 講談社 (2004-10-15)
読了日:2015年12月7日
忘年会とか同窓会とかで冬の京都に出張した際、少し時間ができたので昔住んだことのある町を歩いていたところアパートの真向かいにあった本屋がまだ健在なことに気づいた。30年前とさほど変わらぬ雰囲気で明かりがついていたのだけどしかし近づいてみると窓に「33年間お世話になりました、今月で閉店します」と書いてあるではないか。僕は思わず店内に入り学生時代とたいして変わらぬ順序で棚を一巡りし、そういえばまだ読んだことなかったよな、と手にしたのがこの本。
泊まっていた部屋や帰りの飛行機の中で読みながらなんだろうこの妙に懐かしい違和感は、と奥付を見ると「1985年10月刊行」と書いてある。今が2015年だからちょうど30年前に書かれた本ということだ。僕はその頃20歳で間違いなくこの本屋に出入りしていたのだから、何となくその時代に呼ばれてBooksランボーに迷い込み、この本を手に取ったような気がしたのでありました。
そしてそんなこととはひとつも関係なく、どの作品も大好きになった。

・はじめに・回転木馬のデッド・ヒート
 〜この本の序章だけど、著者の言葉を真に受けてはならない。僕はこの本に収められている作品はやっぱりすべて村上氏が創作し完璧にコントロールした小説ばかりだと思ったからだ。

・レーダーホーゼン
 〜なぜか酒と泪と男と女ので繰り返される「またひとつ〜」のフレーズを思い出す

・タクシーに乗った男
 〜ちょっと村上龍っぽい作品だと思った

・プールサイド
 〜僕も同じLPを聴いている高校生だったけどまさかそれをこんな風に聴いている夫婦が日本のどこかにいただなんて。小説という媒体の良さを思い知らされる。

・今は亡き王女のための
 〜僕の記憶のどこを探してもこんな王女は出てこないけどこの小説を先に読んでいたとしたらそんな王女を見つけることができたのかもしれないひょっとしたら。

・嘔吐1979
 〜思い出せないけど後のハルキ小説にもう一度出てきたんじゃないかなあこの嘔吐する人。

・雨やどり
 〜この女の人もこのあと村上小説に住んでいる一人になったのだと思う

・野球場
 〜この主人公はきっと小説家である村上氏本人の投影だと思う。それはこの本がテーマとする「他者の話」と密接に関連づけられていると思う。好きな物語だ。

・ハンティング・ナイフ
 〜どんなに静かで大人で落ち着いた人間であってもどこかで人間としてセットされた衝動は残るものだと思う。僕らが将来にわたって武器とわたりをつけることについて思いを巡らせながらなぜか梶井基次郎の檸檬についても。
国際メディア情報戦 (講談社現代新書)
高木徹 / 講談社 (2014-01-20)
読了日:2015年12月5日
高木徹氏の本はこれで2冊目となる。前作の後日談的なエピソードもあり、なるほどそうなったかなんて思いながら読めた。
ただ前作に比べると連載ものだったせいなのかどこかタッチが違う気がした。何となくだけど手嶋龍一氏や佐藤優氏の著作のような「啓蒙系」な匂いがしたのだ。良いとか悪いという意味ではないです。次にまた本格的なルポが出てくることをめちゃくちゃ期待してます。
ドキュメント 戦争広告代理店〜情報操作とボスニア紛争 (講談社文庫)
高木 徹 / 講談社 (2005-06-15)
読了日:2015年11月29日
これも伊藤剛氏の著書参考文献からお取り寄せ。
著者は僕と同い年だが本書が書かれたのは10年以上前とのことだからまだ40前だったはずだ。若いのに素晴らしい取材と表現力である。
冷戦終結後の1992年から続いたユーゴスラビア内戦の内幕にPRを通して迫る。まずはPRと広告とがまるで違う概念であることを知る。アメリカのPR専門会社が外交や戦争の中枢に入り込んでいく姿を凄まじい臨場感で描く。たとえば民族浄化(エスニック・クレンジング)という単語がどのように発明され、地球上に流布していったのか。「強制収容所」という語感が与えた影響とは。人物像を中心に描かれる裏側はフィクションの映画のようだ。
しかしこれが民主主義なのだとも思う。大衆が、人民が、それも国際社会に生きる他国の人間たちの感心が国や地域に住む住民たちの命運を左右するのだ。であればそれを専門としてビジネス活動する会社があっても不思議ではないし責めることもできないのかもしれない。中世のように宗教で全てを定めたり古代帝国のように皇帝がなにもかも責任を持つ時代ではないのだから。それでも後世による検証とそのための透明性が失われることがあってはならないとも思った。

国際ニュースに興味のある人は必読の書だと思う。
文庫 戦争プロパガンダ10の法則 (草思社文庫)
アンヌ モレリ / 草思社 (2015-02-03)
読了日:2015年11月29日
伊藤剛著「なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか」を読んで感銘を受け、参考文献をいくつか読もうと取り寄せた。メディアリテラシーがテーマとなる。「戦争の当事者は必ずこう言う」という法則を多くの事例で解説する。主な広報手段はマスメディアとなる。最近ではネットも加わっていることだろう。

つまりである。日ごろ私たちが接する「ニュース」や「報道」の中には「戦争当事者によるプロパガンダ」が相当数紛れ込んでいる、という事実をしっかりと念頭に置いておかねばならない時代に私たちは生きているということだ。「ニュース」が客観的な真実を報じているだなんてことは万が一にも無いという自覚を持たなければならない。すべてがウソ、という意味では全くない。事実を伝える際に必ずバイアスが掛かっていることを忘れてはならないということだ。
下記10項目について、当事者は必ず意識しているということである。
だから受け取る側もそれを前提に聞かねばならない。

「親ならばケンカした子どもたちそれぞれの言い訳を頭から信じるな」という話に近いと思う。
ケンカの当事者はそれぞれが自分に都合の良いように話を少しずつ曲げ再構成しながら自分は正しい、罰するべきは相手だ、と主張することなんて誰もが知る常識だからだ。

ネットやマスメディアに流れるニュースや話題にすぐに反応しては怒ったり嘆いたり心震わせて同意を求める活動をしたことのある人(自分含む)であればいちど目を通しておくべき本だと思う。

戦争プロパガンダ10の法則------------------------

1.われわれは戦争をしたくはない
2.しかし敵側が一方的に戦争を望んだ
3.敵の指導者は悪魔のような人間だ
4.われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う
5.われわれも意図せざる犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる
6.敵は卑劣な兵器や戦略を用いている
7.われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大
8.芸術家や知識人も正義の戦いを支持している
9.われわれの大義は神聖なものである
10.この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である
火花 (文春e-book)
又吉直樹 / 文藝春秋 (2015-03-15)
読了日:2015年11月29日
妻が読みたいというのでKindleで探したら半額セールだった。2時間ほどで読み終えた。直木賞をもらうだけのことはあり中身は素晴らしかった。
主人公の徳永は、師匠の神谷を無意識に翻弄していくのだけど、その結果師匠を追い越して大人になっていく、そんな話だと思った。アーティスティックな脆さを持つ師匠神谷は、才能はないかもしれないがなぜかしら生存能力だけは高い弟子徳永との距離感に悩んでしまう。だから無理に突き放したり、逆に異常接近したあまりほとんど同一化してみたりする。挙げ句の果てには弟子のオンナにまでなろうとしてしまう。
一見弱そうでニュートラルな主人公徳永はそんな師匠の芸風を取り入れますます爆発的に成長してしまうが本人はそれにすら気づかない。そんな物語にカタルシスなど用意されることなく、あくまでイノセントて低体温な日常感を続けていくのだ。それはまさに純文学の態度そのもの。
読み手によってさまざまな捉え方ができる可能性を秘めた小説だと感じた。
これでいいのだ―赤塚不二夫自叙伝 (文春文庫)
赤塚 不二夫 / 文藝春秋 (2008-10)
読了日:2015年11月28日
満洲というキーワードでAmazonを検索していたら出てきたのが赤塚不二夫だった。
取り寄せて読み始めるととにかく面白い。表現者なのだから当たり前なのだろうけど、一度読み出すと簡潔で正直な文章から離れられなくなる。出張中の飛行機や電車で熱中してしまった。

子供時代の満洲エピソード、僕が歴史で学んだニュアンスと少しばかりズレるのが面白い。それはおそらく赤塚氏が当時まだ子供だったからだろう。たとえ敗戦国となり命に危険が迫る状況に追いやられても、ソ連兵や中国人たちとやりとりしていく力強さはすごい。子供にしか持ち得ないエネルギーやコミュニケーション力が堅苦しい時代を切り裂いていくのだ。後の赤塚作品にもその子供パワーは貫かれていた気がする。

帰国後の貧乏生活や漫画家としてのデビューまでの話からは何もかもひっくり返った時代、それまでとまったく異なる社会が勃興していく時代ならではのエネルギーが伝わってくる。それにしても両親が素晴らしい。素晴らしいと言っても、もし僕の両親だったらとてもじゃないけど耐えられないと思うくらい暑苦しい家族思いなのだ。きょうだいがたくさんいて、ある日簡単に家族の誰かが亡くなったとしても、ずっと日常生活を続けていくことが当たり前で他に選択肢もなかった時代の人間ならではの感情なのかもしれない。
そして戦争はそこでもいろんなものを奪い、植え付けていったのだろう。
インテリジェンスの最強テキスト
手嶋 龍一 , 佐藤 優 / 東京堂出版 (2015-09-11)
読了日:2015年11月22日
所属してる同業者団体の例会講師に著者の一人である手嶋氏が決まったとのことで送られてきたのでさっそく日曜日に一日がかりで読んでみた。これまで二人の対談本は何冊か読んでいたし、ウクライナやイスラム国に関連する書物もいくつか目を通していたこともあり衝撃的な事実を発見したとか、目から鱗が落ちた、という読書体験とはならなかったがなるほどそう考えるのね的な納得感はあった。
その後手嶋氏の講演に接したわけだが、書物で読むよりも断然分かりやすくし面白かった。
そうなるとこの本の構成や文章表現の方が僕に合わなかったのかもしれない。数年して読み返してみるとそのあたりが実感できるのだと思う。
実家の片付け、介護、相続…親とモメない話し方
保坂 隆 / 青春出版社 (2014-12-02)
読了日:2015年11月22日
AmazonKindleストアに進められて何となくダウンロード。幸いうちは両親ともに健在だし、心配するほど相続もないだろうから現実に心配なことは何も無いのだけど、最近あちこちから大変だーなんて話も見聞きするようになってきたので読んでおこうかなとと。
著者がお医者さんということもあり、合理的かつ弱者に寄り添った考え方には共感したし、なるほどそんな話法もあるわなあと勉強になりました。実際に使う場面が少しでも先になること、できれば来ないことを祈りながら。
ドキュメント戦艦大和 (文春文庫)
吉田 満 , 原 勝洋 / 文藝春秋 (1986-04-25)
読了日:2015年11月19日
以前読んだ特攻に関する本に「神風特攻全体とほぼ変わらぬ人命が一度に失われた水上特攻」という項目があり、またパリでの"Kamikaze"報道が話題になっていたこともあって以前から気になっていた本に挑戦してみた。
太平洋戦争当時、戦艦大和に実際に乗っていたり、港から彼らを送り出したりといった人間たちの生々しい証言から見えてくるのは、伝説的な美しい物語でもなんでもなく、明らかに勝ち目のないことを知りながらも「仕方がないことだから」「これは日本武士の滅びの美学」などと当時の空気に抗うこともなく若者たちの命を海に捨て去ってしまった大日本帝国指導者たちの愚かな姿だった。

勝ち目のない戦いと知りながら爆弾を抱えて次から次に突っ込んでくる若い日本兵を目の当たりにした米軍はさぞ怯えたことだろう。日本人はみな自分たちとまったく異なる考え方を持つ狂信者であり、もはや「話し合うことなど不能」だと信じ込んでしまったことだろう。あるいは彼らの狂信的な突撃を止めるためには大量破壊兵器を使うしかないのだと、正当化したとしても不思議ではない。それくらいの副作用は「滅びの美学」には、ある。

いまISによる自爆テロが大きなニュースになっているが、パリでの同時多発テロ以降、「彼らは狂信者であり分かり合うことなど絶対に不可能だから徹底的に潰し、排除するしかない」という世論が日に日に大きくなってきたように思う。日本の特攻と自爆テロを一緒にするなという議論にも一理あるが、いずれもそれを目の当たりにした人間から理性を奪い、より大きな暴力を誘発するという意味では同じベクトルにあるのではないか。
その意味で僕らにとってまったくの他人事でなくなっていることは明かななのだと感じた。
なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか~ピース・コミュニケーションという試み~ (光文社新書)
伊藤 剛 / 光文社 (2015-07-20)
読了日:2015年11月15日
最近読んだ本の中では群を抜いて分かりやすく、参考になった新書だった。
双方が「正しい」と信じる間でコミュニケーションを成立させることはとても困難だということをあらためて考えた。ネット上でよく目にする「はい論破」といった態度が導く結果は戦争であり、平和とはその対極に位置するものだ。これもよくネットで目にする「もっと勉強しろ」「歴史に学べ」という言葉もおそらく対立を深め、行き着く先は戦争だといつも思う。自分が生まれる前の過去に遡り、民族の恨みを学ぶことで平和が生み出されるとはまったく思えないからだ(過去を振り返るなという意味ではない)。深まる一方の対立を正当化するために「学ぶ」ことと、誰かのプロパガンダに屈することにさほどの差があるとは思えない。

でも僕にはどうしてよいのかまだわからない。とりあえず本書の参考文献を片っ端から読んでみることにした。そしてまさに本書を読んでいる最中にパリの同時多発テロ事件のニュースを見ることになった。その意味でも忘れられない一冊となりそうだ。僕より10歳も年下の著者には大きく刺激を受けることになった。参考図書を一通り読み終えたらあらためて再読してみたいと思う。
余談だけど一方でこれはマーケティングの本としても読めると感じた。商売も戦争も心理戦という意味では似たところが多いからだ。人間がいつまでも離れられない愚かな習性という意味でも。
世界最終戦論
東亜聯盟協会関西事務所 , 石原莞爾 / Kindleアーカイブ (1940-01-01)
読了日:2015年11月10日
Twitterでみつけたのか青空文庫経由でEvernoteに入れておいたもの。
現代日本の常識を持って読めばどう考えても誇大妄想としか思えない講演録なのだけど、当時は驚きと納得を持って迎えられた最新の思想だったのであろう。全体像を見渡せない状況のなかで(それは当たり前のことだし、現代であってもそんなことはできないわけだけど)自分なりに情報を集め、あり得そうな物語を推論で組み立て、世に問うこと自体はそんなに異常なことではないと思う。だけどいつの間にか言葉は一人歩きし、大きな物語は想像以上に多くの人間を巻き込んでいく。どこかで予言の自己実現が始まる。いちど物語を信じた者は真実味を強化する情報ばかりを選択的に取り入れ、異を唱える者を攻撃するようになる。

石原完爾もきっとそんな体験をしたのだと思う。後世に生まれた僕らができることは彼の体験を繰り返さぬためにもしっかりとした冷静な態度をそこから学ぶことではないかと思った。
テロルの決算
沢木耕太郎 / 文藝春秋 (2008-11-10)
読了日:2015年11月10日
1979年の名作が安くなっていたのでこれを機会にとKindleで読んだ。17歳の思い詰めた右翼少年山口二矢と、けっして大政治家とは言い難い61歳の政治家の運命がさしたる理由もなく交錯し、二人の命が消滅するまでを描く。純粋な青年だった山口二矢は昭和18年生まれだからもし生きていたら今年で72歳、まだまだ元気な老人として近所のスポーツジムで暇を潰していてもおかしくない年齢だ、一方の浅沼稲次郎は1898年生まれだから明治生まれだ。そう考えているとすっかり過去の出来事みたいだけど、案外に歴史は遠いものではないのだなあと実感できる。

ところでこれを読みおわってすぐにパリでの同時多発テロ事件のニュースに接することになるとは。動乱の日々は過ぎ去り平和な日常が続く日本で暮らしている僕からは想像のつかないことだけど、世界中にはまだ山口青年のように思い詰めた若者たちがたくさんいるのだとあらためて思いなおすこととなった。

本書で沢木耕太郎がただの貧乏旅行作家ではなかったことを知る一冊となった。ただ「あとがきⅢ」に関しては不要だったようにも思う。
「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告 (文春新書)
エマニュエル・トッド / 文藝春秋 (2015-05-20)
読了日:2015年11月8日
読んでも良いかなと思っていたところにKindle安売りで購入、すぐ読んでみた。ちょっとだけ調べると著者は実績のある学者みたいだが、そんなこと知らなければただのヘイト本じゃないのこれ、というのが読んだ直後の感想だった。というか今でもあまり変わってないのだけど。文中の「ドイツ」を「中国」や「北朝鮮」や「韓国」あるいは「日本」に置き換えるだけで、同じような主張の本は町の本屋に立派なコーナーが設置され売られているはずだからだ。
フランス人である著者がドイツ人をその家族構成や教育に対する考え方を批判すること自体は良くある話だと思うが、それが日本でも大まじめに販売されしかも売れているという意味がよくわからない。
「まじめに研究している学者でも隣国に対してはバカげた主張をする人間は世界中どこにでもいる」ということを知らしめるために出版されるのであればそれもありかなとは思うんだけど。
ポスト資本主義 科学・人間・社会の未来 (岩波新書)
広井 良典 / 岩波書店 (2015-06-19)
読了日:2015年11月7日
取引先がこの本は面白いから読むべきだと強調するのでさっそく読んでみた。学生時代は曲がりなりにも経済学部にいたので、いやいやながら経済原論なんて名のついた読みづらい教科書を試験前に焦って読んだことを思い出した。当時はマル系(マルクス経済学)と近経(近代経済学)とがしっかり対立していて僕ら学生はその両方を適当にかいつまんでは、採点する教授の考え方に合わせて作文するという芸当ができないと単位が取れない時代だった。もちろん冷戦時代の話だから今そんな呑気な授業は行われていないと思うけど。

だからそんな冷戦時代に経済を学んだ人間にすれば「資本主義が人類の最終解決ツール」なんて話を耳にしたらおいおいそれって単位を取るためだけに作文した程度の与太話じゃないかって思えてしまうのだけど、考えてみれば冷戦終結から25年も経過してるのだから、そんな人間はどんどん少数派になってきたはずだ。つまり「共産主義とか社会主義なんて悪い冗談」「資本主義、自由経済は今後もずっと続いていく」と頭から信じていても問題のない世の中になりつつある。だから本書のような問題提起は有効だ。

冷静に考えるとアベノミクスとはけっして資本主義的、自由主義的な経済運営ではない。むしろ他国であれば社会民主主義政権が採用した政策に近い。他国を見渡しても純粋に資本主義的、自由主義的な経済運営で成功している例などほとんどなく、過去を振り返ってもそれが成功したのは本当に歴史の一部分でしかない。純粋な資本主義が有効だった時代はとっくに過去の話なのだ。

では資本主義がいつまでも続かないとして、その先(ポスト資本主義)とはいったいどんな世界なのだろう。本書のテーマはそこにある。マルクスが予言したように社会主義や共産主義がやってくるのだろうか。ケインズが言ったように双方の美味しいところをうまく活かしていけばハイブリッドな経済体制が続くのだろうか。あるいはまったく予想のつかない体制が出現するのだろうか。

僕がざっと読んだ限りではここに答えが書いてあったわけではない。資本主義がこのまま安泰に続いてくことがないという前提には共感する。でもだからといってこれから新しい未来が開けるとも思えないのだ。恐らくだけど人類は右に行ったり左に行ったり自由にしたり規制したり戦争したり平和になったりしながら、つまり基本的には同じ場所をグルグル回り続けるだけで生き残るかあるいは滅亡していくのではないかと思ってる。その過程で何かを次に残していけるんだったらそれでもいいじゃないか、と少しSF的なことまで思いついたりしながら。

余談だけど「サービサイズ」という言葉を知ることができたのでこの本に出会えて良かった。
動物農場 (角川文庫)
ジョージ・オーウェル , 高畠 文夫 / KADOKAWA / 角川書店 (2015-01-25)
読了日:2015年10月31日
オーウェル作品にはどこか中毒性がある。彼の文章に振れていると自分の思考様式がだんだん彼っぽくなってくる気がするのだ。動物農場はとても考えられた寓話だ。スペイン内戦で体験した革命への冷ややかな視線を読むうちふとビートルズのRevolutionを思い出した。
次の短編「像を射つ」はとても美しい物語で僕は好きだ。短編「絞首刑」では次の文章が秀逸。
"彼の爪は、彼が絞首台の踏み板の上に立ったときも、十分の一秒間だけ生命を保ちながら空中を落下していく、その瞬間にも、相変わらずのび続けるであろう。"

開高健の解説は解説に留まらない優れた作品としても読める。
"理想は追求されねばならず、追求されるだろうが、反対物を排除した瞬間から、着実に、確実に、潮のように避けようなく変質がはじまる。"
ああ、なんて格好よいんだろう。

・動物農場
・象を射つ
・絞首刑
・貧しいものの最期
・24金の率直---開高健
生身の暴力論 (講談社現代新書)
久田将義 / 講談社 (2015-09-20)
読了日:2015年10月28日
著者のツイートで知ってダウンロード。久田氏の本は3冊目かな。
僕の思う「暴力」とは殺伐とした世界だ。筋力で、あるいは言葉の強さで相手を打ちのめす。やらなければやられるからだ。人類はながいことそういう世界をサバイブしてきた。運良く殺されなかった人間が次の時代を作り、せめて自分の子どもたちにはそんな思いをさせまいと努力した結果、いまの平和の世の中が実現したのだと思う。
ところがまた暴力の芽が復活しつつある。それは平和の副作用なのかもしれない。あるいは極度に純化された社会の反作用かもしれない。身の回りから暴力が一掃され、あるいは目隠しされた来た結果暴力の持つ深刻さは忘れられ、現象としての格好良さだけが目立つようになった。進化したテクノロジーはそもそもが軍事からの転用であるわけで、当然その生まれつきの暴力性が解放されたとき、世の中は再び殺伐としてしまうのだろう。
だからこそ「暴力」とは何か、という基本的な問題にいまいちど取り組む必要があるのだと思った。暴力論、が望まれる時代になってしまった。
介護ビジネスの罠 (講談社現代新書)
長岡美代 / 講談社 (2015-09-20)
読了日:2015年10月26日
たまたま交渉していた仕事相手が介護関係に詳しかったので僕もこの機会に少し勉強しておこうかなと読んでみた。考えてみれば僕も50を過ぎ両親も80を過ぎたので他人事とばかりは言ってられないわけで。どちらかといえば告発系の本なので暗澹たる気分にもなりがちだけど、考えてみれば日本の医療ビジネスの実態についての問題は何も介護に限った話ではない。資本主義と社会主義という相反する二つの政策の境界上に位置する医療ビジネスの宿命みたいなものだろう。かなりの確率でその当事者の一人となる可能性は高いのだから本書に限らず少しずつ情報と知識を得ていくべきなんだろう。余談だけど、読み終わるまで著者はずっと男性だと思い込んでいた。それくらい力強い取材と筆致だった。


第1章 入居者の「囲い込み」は当たり前—ケアマネジャーは敵か味方か(介護の劣化をもたらした「サ高住」
資産活用で建設需要の掘り起こし ほか)
第2章 “二四時間・三六五日対応”のウソ—患者紹介ビジネスと在宅医療の問題点(来てほしいときに来てくれない「在宅医療」のワケ
紹介料は一人あたり月八〇〇〇円 ほか)
第3章 「老人ホームもどき」の増加にご注意—悪いのは事業者?それとも行政?(高齢者虐待防止法に抵触
増加する「老人ホームもどき」の弊害 ほか)
第4章 家族の弱みにつけ込む「看取り」ビジネス—救急車を呼ばず延命措置もしないワケ(続出する胃ろう難民
やたらと多い小窓のワケ ほか)
第5章 「胃ろう」の功罪と解決策のヒント—求められるケアの改革(「尊厳死の法制化」は誰のため?
障害者団体が抱く危機感 ほか)
聞き出す力
吉田豪 / 日本文芸社 (2014-12-19)
読了日:2015年10月24日
大阪出張の帰り道、Amazonのセールを見つけてダウンロード、機内で半分を読み自宅のベッドで残りを半分を読んだ。吉田豪氏の話はコラムの花道時代からTBSラジオのPodcastで聴いてたので耳にしたエピソードも多く時には懐かしく読むことができた。僕も仕事がらいろんな人と話をすることが多いけど、でもどちらかといえばこちら側が一方的に説明するばかりであまり人の話を聞く時間的余裕がないことが多い。その意味ではためになりました。もちろん基本的には楽しいコラムだけど。媒体に合わせたのだろうけど、ラジオから聞こえる吉田豪の話し言葉のほうが、ここに書かれた彼の書き言葉より、より複雑で思慮深く聞こえるのはちょっと新鮮な感じ。
酒場歳時記 (生活人新書)
吉田 類 / NHK出版 (2004-09-10)
読了日:2015年10月24日
僕らの晩酌の師匠、吉田類による歳時記。日替わりセールで購入したあとずっとKindleに入れっぱなしで時おり時間が空いたら読むなどしてたの読み終わるまでずいぶんと長く一緒に過ごした気がしていた。いつも思うけど吉田類はテレビでみる酔っ払った姿と、山登りしたり俳句を詠んでいる時の文章から見えてくる姿とは微妙に異なる。ひょっとすると本物のインテリなんじゃないか、と思う、と描いたら少し失礼だろうか。
シベリア抑留―未完の悲劇 (岩波新書)
栗原 俊雄 / 岩波書店 (2009-09-18)
読了日:2015年10月21日
栗原氏の著書は「特攻-戦争と日本人」に続き2冊目。親戚にシベリア抑留された伯父がいたし、父も満州生まれといった身近な例もあり取り寄せてみることにした。本書で描かれるのは敗戦直前の満州からソ連の参戦、シベリア移送、強制労働と収容所における民主化運動、帰国と裁判闘争などだ。日本との条約を一方的に破棄して一方的に参戦しあげくに理不尽なシベリア抑留を強制したソ連に対する国民感情はかなり批判的だが、どうやらソ連ばかりか連合国、日本の指導者に至るまで黙認した疑いがあるとの記述には驚かされた。また日本軍も情勢次第で条約を一方的に破棄する用意があったらしいことなどもあまり知られていないことなのだろう。
シベリア抑留と長く続いた強制労働はたしかに異常な事態だった。しかしその異常な事態の原因はいったいどこにあったのだろうか。誰の責任だったのだろうか。それとも「そんな時代」とか「戦争なんてそんなもの」なのだろうか。明らかにされていないこと、僕に理解できていないことはまだまだ多い。
ここから先は思いつきの私論なのだけど、「計画経済」という社会主義体制特有の冷徹さもひとつの原因としてあげられるのではなかろうか。2千万人に及ぶ貴重な労働力を戦争で失ったスターリンは、それをドイツや日本の敗戦国の元兵士で補おうと考えたそうだ。それはすべてスターリンの個性(もしくは狂気)の問題に帰する発想だろうか。革命・建国からさほどの時を経ない状況だったソ連が、国民の幸福や市場の発展拡大などを優先した民主的な発想を持ち得なかったことは明かだが、彼らは「○カ年計画」という官僚的なスケジュールを達成することだけを最優先の指標として冷徹に行動したのではないかと思うのだ。その官僚的硬直性は日本の関東軍だってじゅうぶん持ち合わせていたに違いないだろうが。

21世紀の日本を見渡すと、会社の「計画」や「予算」をなんとしてでも達成しなければ組織の将来がないとか社員が見捨てられるといった話がごろごろと転がっている。そう考えるとなにもソ連や関東軍だけの問題でもないかもしれない。シベリア抑留に至った狂気はまだ続いているのかもしれない。
世界の辺境とハードボイルド室町時代
高野 秀行 , 清水 克行 / 集英社インターナショナル (2015-08-26)
読了日:2015年10月18日
高野秀行本は夫婦して大好物なのでこの本も速攻で注文しすぐに読んだ。ラジオ番組で聴いていたとおりの面白さだった。折しもISISが問題になっている時期だ。彼らが異教徒の首を誇らしげに刎ねたというニュースに触れるたび、まるで日本の戦国時代じゃないかと感じていた。辺境におけるハードボイルドな時代には案外世界に共通するパターンがあるのかもしれない。
インターネットによって地球は狭くなったと言われるけど、そんなに人類はヤワな存在じゃない気がしてくる。そうそう簡単に進化したり変化したりする生き物じゃないって意味で。
プリンス論 (新潮新書)
西寺郷太 / 新潮社 (2015-09-17)
読了日:2015年10月13日
何だかんだいって西寺本もほとんど読んでる。一方のプリンスについては多作ということもありコンプリートにはほど遠い。でもこの本をざっと読むだけであの異色な天才の物語が少し理解できた気がするのでちょっとお買い得だった。それにしてもYouTubeにはほとんど作品が載ってないし、AppleMusicにもほぼプリンス作品がないので買うか借りるかでもしないとプリンスに触れられないってのはもったいないというかハードル高いというか。でもまあそんなアーティストが一人くらいいても良いか。

プロローグ
第1章 天才、登場! (Minneapolis Genius)
第2章 紫の革命 (The Purple Revolution)
第3章 ペイズリー・パーク王朝 (The Paisley Park Dynasty)
第4章 「かつてプリンスと呼ばれたアーティスト」(The Artist Formerly Known As Prince)
第5章 解放と帰還(Emancipation to Way Back Home)
第6章 さらなる自由へ(Free Urself)
右傾化する日本政治 (岩波新書)
中野 晃一 / 岩波書店 (2015-07-23)
読了日:2015年10月12日
戦後の政治史を振り返りながら安倍政権に至るまでの日本が振り子のように振れながら次第に右傾化してきたと観察する本。ガストに長居して一気に読んだ。中学の頃に大平首相が急死したニュースをみていた記憶がある。あーうーという口癖くらいしか覚えていなかったがこうやって流れのなかでひとつひとつの政権をみていく体験も有効なのだと思った。

個人的に右傾化という言葉は「プライド」という単語と結びついている。

お国自慢から国粋主義者に至るまで、自らのプライドを所属する土地や組織に重ねる傾向が強くなっていくことが僕にとっての右傾化、のイメージである。

個人がたまたま属している組織やたまたま生まれた土地と過剰にオーバーラップさせることで獲得することのできる「誇り」や尊厳」の感情は時として麻薬のような高揚感を与えてくれる。オリンピックやワールドカップだったらさほどの害はないけれど、たとえばシャッター街の二世経営者たちがこぞって日の丸を振り回す姿なんてのは滑稽だしヘタすると哀愁すら振りまいてしまうものだから、プライドって感情の取り扱いにほとほと苦労させられる。
カタロニア讃歌
ジョージ・オーウェル / グーテンベルク21 (2015-04-17)
読了日:2015年10月6日
ジョージ・オーウェルの本はこれで「1984」,「パリ・ロンドン放浪記」に続く3冊目。今までではもっとも若い時期に書かれた戦争従軍記だ。ちょうどバルセロナに旅行するのでとKindleに仕込んでいったのだけど帰りの飛行機から読み始め、読み終えたのは日本に戻ってからだった。でもそれが良かったのかもしれない。なんども歩いたランブラス通りでの市街戦や陽気なカタロニア人たちの描写をリアルに感じたからだ。80年も前に書かれた書物なのに。

読んでいるうちにふと思い出したのは近藤紘一氏の描いたベトナム戦争記だ。「サイゴンの一番長い日」や「サイゴンから来た妻と娘」、それに「戦火と混迷の日々―悲劇のインドシナ」を読んだことがあるのだけど、都市における戦火と市民の表情に共通するものを感じたのだ。40年ほど時代が離れているのに、似ていると思ったのはスペイン人とベトナム人という共に半島に暮らす人々に何か通じるものがあったのかもしれない。

二つの世界大戦の間に起こったスペイン市民戦争について、ほとんど何も知らなかったのだけど、ここのところヘミングウェイやオーウェルを読み、現地を訪れたことで実はその戦争が現代日本にも大きな影響を与えていることを知った。これからももう少し掘り下げてみたい。
たのしいプロパガンダ (イースト新書Q)
辻田真佐憲 / イースト・プレス (2015-09-10)
読了日:2015年10月3日
僕はこうして書物や映画や音楽などのいわゆるエンターテインメントが大好きで、というかその他のものにあんまりお金を使うことがないのだけど、そんなエンタメ(誰だよこんな妙な略語考えて流行らせたのは)の中にしっかりプロパガンダが仕込まれてきた歴史を紐解いた本。

ナチス、ソ連、北朝鮮、アメリカ、そして戦前戦中の大日本帝国、さらには現代日本においても「楽しいプロパガンダ」はそこら中に溢れている。楽しくなくても「義憤」「悲しみ」といった感情もいちいち計算され、それがどちらへ向かうべきかまで誰かが仕込んでいるかもしれない。

それは悪の親玉が考える陰謀などではなく、たいていの場合「この方が売れるから」であり、しかも「世の中の役に立つ」というエクスキューズも成立させた商行為であることが語られる。つまり僕らが日常的に社内のマーケティング会議で繰り返しているヒット商品狙い企画そのものだってことだ。

では僕らはそれにどう対抗すべきだろうか。簡単に言えばリテラシーを高めろって話になる。だけど具体的にはどうすればよいのだろう。僕の答えは「多読」である。本でも映画でも音楽でも日ごろあまり接していない人間ほど強烈に仕込まれたプロパガンダに反応してしまうことが多いのだと思う。「目からウロコ!」とか「けっして報道されない真実!」とかそういうたぐいの。だから僕はできるだけたくさんの作品に触れることで、そんな一時の感情を薄めていくしかないと思っている。プロパガンダでない本物はそのなかでもしっかり残っていくはずだと信じるよりほかない。
「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気
牧村 康正 , 山田 哲久 / 講談社 (2015-09-09)
読了日:2015年9月30日
たしか小学4年生だったと思うけど、学級パーティで宇宙戦艦ヤマトの歌を歌ったクラスメートがいたのだ。僕にはまったく何の歌か分からなかったのだけど、彼は隣の長崎の電波を拾って放送を観ていたのだった。僕もさっそく試してみたけど画面はノイズだらけで何が何だか分からなかった。熊本でも放映されたのはそれから半年くらい経ってからだった。もともとSFばっかり読んでいた小学生の僕はすっかりハマってしまって日曜日の朝は何が何でもブラウン管の前から動かなかったものだ。

なんでそれだけ夢中になったかと思い返せばその70%は宮川泰の音楽のせいだったに違いない。2作目の映画「さらば宇宙戦艦ヤマト」を機に一気に熱が冷めてしまったのもたぶん音楽のせいだ(劇中で演歌調のBGMが流されたり沢田研二に耐えられなかったし、その後島倉千代子の登場には完全にノックアウトされて僕の中でヤマトは黒歴史になったのだった)。

さてプロデューサーに西﨑義展さんだけど、もちろん昔からいろいろ知ってたつもりだけど本書で描かれるパワフルぶりには驚かされた。昭和9年生まれだからほぼ僕の父母と同じだ。たしかにあの世代にはそういった人物の割合が高かった気もするけど、それにしても。あと20年遅くカリフォルニアに生まれてたらスティーブ・ジョブズになってたのかもしれない。

戦後の昭和ってのはとことんむちゃくちゃで、でも面白い時代だったのだなあとつくづく考えた。西﨑世代の無茶ぶりを眺めて育った僕らは妙に行儀の良い世代として記憶されるのかもしれないが、反面、たいした作品も生まず歴史に埋もれていくのかもしれない(何を言っているのだ、という反論が若手の一部から聞こえてきそうだけど)
A22 地球の歩き方 バルセロナ&近郊の町 2014
地球の歩き方編集室 / ダイヤモンド社 (2014-02-01)
読了日:2015年9月25日
バルセロナに行く前にと半年前に浜松町の本屋さんで買い求めた。でも例によって読み始めたのは行きの飛行機の中である。以前なら10時間以上のフライトは現地情報を得る格好の準備時間だったのだけど、最近は飛行機の映画がとても充実してるのでけっきょく7時間ほどは映画に費やしてしまった。寝てる時間もあったのでこの本を読んだのは1時間程度。それでも十分に役に立ったのはさすが。
現地ではサグラダ・ファミリアの解説がとても役に立った。あと地図も。やっぱりGoogleマップがどんなに便利でも紙に印刷された地図とはまったく別物なのだ。Kindle版の地球の歩き方を買おうかなと思ったけど、やっぱり紙で正解だった。旅から戻ったらさっそくバラしてスキャンし、Evernoteに仕込んでおいた。こうすれば今後バルセロナを舞台にした作品と出会ってもいつでも検索できるし。
ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い (NHK出版新書 467)
西寺 郷太 / NHK出版 (2015-08-08)
読了日:2015年9月24日
ちょうど良いタイミングで届いたので、バルセロナ旅行へ持っていった。行きの飛行機で半分、旅先のカフェで半分。We ar the worldが放映された1985年といえば僕が20歳になった頃だ。大学生だった。MTVが大流行しておりカフェバーに掲げられたブラウン管に映し出されたMJのダンスには誰もが注目していた時代だ。僕はロックバンドでギターを弾いていたのだけど、新しく流行る音楽からどんどんギターサウンドが小さくなっていく状況には満足していなかった。時代はシンセサイザーとダンス、そして映像という新しさに浮かれ始めていた。
だからウィ・アー・ザ・ワールドの映像にも「へぇ〜」って感じだった。寄附するなら黙ってやれば良いじゃないかとも思っていた。「私たちが世界なのだ」みたいに表題についても曲解していたし、貧困を訴えるのなら曲調ももっと違った方がいいんじゃないの、なんて斜めに見ていた記憶がある。

だけど本書を読みながら当時の状況を思い出したり、知らない事実を確認していくとなるほどそういうことだったのだなあ、と勉強になった。その一方で当時の僕の感触もこの「呪い」の正体のひとつだったのかもなあと感じた。

西寺郷太さんの本は3冊目かな。ラジオで聴いて。
われらの時代・男だけの世界 (新潮文庫―ヘミングウェイ全短編)
アーネスト ヘミングウェイ / 新潮社 (1995-10-01)
読了日:2015年9月14日
ブックオフでじわじわ読んでるヘミングウェイシリーズ、全短編集のパート2。出張先に持ち歩いてちょっとした移動時間に読んだり、ビジネスホテルのベッドで眠くなるまで開いたりと短編集だからこその読み方を楽しめた。いつも思うんだけど小説の魅力は「シーン」だと思う。なんてことのないひとつのシーンが頭のどこかに引っかかり、生きている限り何度も脳内再生されるのだ。そんな意味でもヘミングウェイの短編集は最強だ。
嵐のあとで・清潔で、とても明るいところ・世の光・神よ、男たちを楽しく憩わしたまえ・海の変化・最前線・オカマ野郎の母・ある新聞読者の手紙・スイス賛歌・死ぬかと思って・死者の博物誌・ワイオミングのワイン・ギャンブラーと尼層とラジオ・父と子・世界の首都・フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯・キリマンジャロの雪
バルセロナ 地中海都市の歴史と文化 (中公新書)
岡部明子 / 中央公論新社 (2010-08-25)
読了日:2015年9月13日
バルセロナに旅行する前にダウンロードして読んだのだけど、建築と都市デザインを軸に語られる歴史はとても興味深くかつ感情移入しやすい物語として紡がれており、読み始めると止まらなくなった。ただ行く前に読んでも土地勘があるわけでもないわけで、やはりこの手の本は現地で読むのが一番のはずだと時差ボケで眠れない夜にKindle片手に時間旅行を楽しむことにした。僕の安宿はサグラダ・ファミリアの近くだったのだけど、まさにバルセロナが拡張していくその過程をその場所で楽しめたのでした。
9日間バルセロナをあちこち回ったので帰りの飛行機でさらに再読する頃にはすっかり詳しくなってしまった。ガイドブックで理解できるのは平面図までだけど、歴史について書かれた本を読んだり現地で現物を触ったりするとそこに時間軸が追加され、一気に四次元体験に変わるのだ。読んでて良かった。
スペイン語基本単語入門830(検定対応)
スペイン語研究会 / スペイン語研究会 (2015-03-30)
読了日:2015年9月9日
熊本空港でなんとなくダウンロードし、成田までの機内で読んだ。読んだと言うよりもハイライト引いただけだけど。これをEvernoteにいれて現地を彷徨ったら思ったより役に立つかもしれないじゃないですか。
スタジオの音が聴こえる 名盤を生んだスタジオ、コンソール&エンジニア
高橋健太郎 / DU BOOKS (2015-06-05)
読了日:2015年9月6日
70年代ロックの名盤をそれが録音されたスタジオやエンジニアという視点で再構築した貴重な本である。ページをめくるたびに聞いたこともないスタジオの章で僕が昔から聴いている曲が録音されていたなんて話がごろごろ飛び出してくるのは恐ろしほど楽しい体験だ。昨年暮れにぶらついたロンドンで訪問した(といっても玄関までだけど)アビーロードやトライデントスタジオも出てくる。何度も聞いたはずの音楽を今までとは違う「録音」という軸で繋げてみせられると、もはや今までとは違う音として聞こえてくるのだ。

タイミング良くApple Musicがスタートした。この本で紹介される曲を検索して聞きながら読み進めることができるとはなんて良い時代になったのだろう。YouTubeなどとは段違いの音質で楽しめるのだから、解説されている細かな部分まで聞き入ってしまう。きっと再読するたびに新たな発見があるのだろう。

実は僕も学生の頃に自作曲を宅録したり友人のライブを録音してた経験があり、大まかなレコーディングの構造は理解できてたつもりだ。でもここに描かれる70年代のエンジニアやミュージシャンたちは知識や技術とはまた別種のエネルギーをつぎ込んでいたのだなあとあらためて思った。

あとがきにもある通り、80年代以降はデジタル技術が浸透したことで誰もがそこそこのレベルの音楽を残すことができるようになった。でもポップ音楽にとっての60年代や70年代は試行錯誤と変化を皆が同時体験できた奇跡的な時代だったのだろう。そんな奇跡の瞬間を円盤に閉じ込めようとした場所が録音スタジオだったのだ。
物語を脳内に仕込むことで聞き慣れた音がまた違って聞こえ始めた。今まで聞いてこなかった音楽にも興味が持てるようになった。

これぞ音楽に携わる人間の仕事だ、と思った。
野火
大岡 昇平 / 新潮社 (1954-04-30)
読了日:2015年8月31日
塚本晋也監督の映画「野火」を見た翌日にダウンロードした。中学か高校の頃、クラスの誰かが読書感想文を書いていたような記憶があるが当時僕は読書とか感想文とかが苦手だった。映画を観て衝撃を受けた後やはり原作を読まねばと思い、手にしてみるとあの凄まじい映像のほとんどが原作に忠実だったことに驚かされる。これからは僕みたいに映画を観たあとに原作を読むという人間が増えていくのだろう、おそらくは世界中に。
映画になく原作に色濃かった視点は神である。しかしなぜか宗教的な気配はまるで感じさせない。それはたぶん田村が醒めているからだろう。目の前の戦争からも宗教的な熱狂からもできるだけ距離を取ろうとして、冷めている。それは田村が「インテリ」だからだと思った。
田村は自分の頭で考えたことしか信じようとしない。容易に他者の熱弁に巻き込まれそれを自身の本意だと信じてしまう人間を遠ざけようとする。だけど彼は自らの本能だけからは逃げることができない。その本能をセットした神を思いながらそれでも醒めているべきなのだと思い悩み、彼は壊れてしまう。それも彼が「インテリ」だからだ。一方で戦争を始めるのもまた別の「インテリ」だ。

戦場やジャングル、街に灯された野火に導かれたインテリは自らも炎を灯そうとマッチを探し、無辜の人間の命を奪う。世界中あらゆる場所で繰り返される人類のカルマを止めることはできるのだろうか。
満洲難民 三八度線に阻まれた命 (幻冬舎単行本)
井上卓弥 / 幻冬舎 (2015-05-27)
読了日:2015年8月31日
読み終わった直後にヨーロッパになだれ込むシリア難民のニュースを見た。たぶんこれまでだったら「日本は安全で良かったなあ」としか感じなかったことだろう。だけどこの本を一度読んでしまった今ではもうそんな感想が出てくる余地はない。

先日読んだばかりの「野火」も凄まじい小説だった。しかし本書が取り扱うのは主に女性と子供たちである。しかもシベリアに抑留された日本兵の妻や子どもたちだったケースも多いという。とにかく悲惨の一言に尽きる。もし現代であれば国際的な大問題となっていたことは間違いない。しかし敗戦直後、しかも放棄された植民地からの難民、かつ動乱の北朝鮮国内という状況が重なり、今に至るもほとんどの日本人がその実態を知らないのだ。

僕の父も満州生まれである。10歳のころ引き揚げたはずだあまり多くを語ろうとしない。数年前になく亡くなった祖母は時おり話をしてくれたがでも楽しい時代の話ばかりだった。少しだけ歴史がずれていたら僕だってどこに生まれていたか、わからないのだ。

シリアの難民はもう他人事ではない。
特攻――戦争と日本人 (中公新書)
栗原 俊雄 / 中央公論新社 (2015-08-24)
読了日:2015年8月30日
「生き残った者にとって都合のいい記憶と記録は語り継がれ読み継がれて史実になってゆく」という文章に傍線を引いた。 敗戦を終戦と言い換えるがごとく、自爆攻撃を特攻と言い換えるのは不義理ではないか。僕の親戚も含めて多くの老人が「神風特攻隊をイスラムの自爆テロと同一視するとは何たることか」という。だがこうして歴史を振り返ってみるとカミカゼが紛れもないテロであったことが判る。敵軍に対するテロではなく日本の若者に対するテロである。恐怖を蔓延させ、個人の判断を束縛し、その行動を制約する、上層部によるテロ行為に他ならないと思う。

特攻を神聖視する風潮には強く抵抗したい。戦艦大和の水上特攻も同じだ(被害者数ではカミカゼと同じ4000人超だという)。「強い精神をもってすれば奇跡が起こるのだ」的な考え方を徹底的に批判し反省したその上に立たないことには未来はないと思う。

特攻を考案し、指揮した当時の日本軍上層部とほぼ同じ年代になった。以前とは違い、命令を下す側や子供を失った親の目線であらためて悲惨で空虚な戦術について考え直すきっかけとなった。

sesion22で著者の話を聞いてAmazon購入。
社会保障が経済を強くする~少子高齢社会の成長戦略~ (光文社新書)
盛山 和夫 / 光文社 (2015-02-20)
読了日:2015年8月27日
著者の主張は消費税を増税してでも医療や介護、年金を充実させた方が日本経済は成長する、というものだ。データを元にこれまで数多く説明されメディアはもちろん国民の多くが信じてきた財政再建重視、コストカットの社会運営が実は逆効果であることを証明していく。たとえば家庭内で完結していた食事を外食に移行させるとその分だけGDPが増え、雇用も生まれるといった感じで、介護にしてもそのように社会で共有し、経済の中に組み込んだ方が良いのだ、という考え方である。

基本的にはその通りなのだと思う。国民経済や国家運営を企業経営や家計と同一視した稚拙な感情論には辟易としていたからなおのことだ。でも何かすっきりしない部分が残るのだ。何もかも消費として経済行為に移せばよいのだろうか。GDPの成長がそんなに大切なことなのだろうか。ただの指標に過ぎない数値を上げるために社会を変えていくことは手段と目的の混同ではなかろうか、なんて思ってしまう。そのうち家庭内の夫婦生活だって外部化すれば経済発展に繋がる、なんて議論がまじめに始まるかもしれない。

医療に関わる人間であれば目を通しておくべき議論だとは思う。
レノンとジョブズ (フィギュール彩)
井口 尚樹 / 彩流社 (2015-06-23)
読了日:2015年8月22日
新聞の書評で見かけて買ってみた。僕も実は二人って似てるよなあと感じていたからだ。
本書が届き読み始めてしばらくは戸惑いの連続だった。著者の表現する日本語のリズムが僕のそれとあまりにも違っていたからだ。体言止めにつぐ体言止め。書いてある内容もほとんど著者の妄想でしかないようだし、これまたとんでもない本を掴んでしまったものだ、と後悔した。
ところが数日経ってまた読み始めると、いつのまにか文体のリズムに適応しているではないか。ビートルズ関係を掘り下げていく章に入ったこともあり、知らぬ間にぐいぐい読み始めていた。
10年以上前だけど、著者と似たようなことが書かれていたブログがあったことを思い出した。
今検索してみたけどもう見つからなかった。もしかしてその時の作者がこの著者なのかなあと思ったくらい内容は似ていた。たぶん違うと思うけど。

なんでも日本の功績に関連づけてしまうあたり、あんまり格好良くないなあと感じることも多々。言霊から発生して「実は何でも繋がっている」みたいな陰謀論にまで発展しそうな勢いだけど、でもまあこういうエッセイ的な本だと別にそれでもいいわけで、誰かの頭の中に浮かんで掲載されていくひとつの世界を世に問うという行為自体、娯楽の根本とも言えるわけだし。

「フール」な男がまたここにもひとりいたって話だ。
火山入門―日本誕生から破局噴火まで (NHK出版新書 461)
島村 英紀 / NHK出版 (2015-05-08)
読了日:2015年8月17日
久しぶりに日替わりセールで。時節柄、とっちらかった知識の整理に役立った。
"日本列島は、地球の誕生以来の46億年の歴史を1日にたとえれば、わずか6分前に初めて生まれた若い島だ。"と書かれていて、なんとなく日本は古い国だってイメージを持ってたけど地質学的には全然そんなことなかったと驚いた。そりゃ火山も地震もアクティブなわけだ。

それでも火山の一つ一つはとても個性的であり、一概に危険だからすぐに逃げるべきだという話にもならない。まったく予兆なく噴火する山もあれば予兆だけで噴火しないこともある。我々の科学はまだそんなメカニズムの足元にちょこっとかぶりついてる段階だ。それでも莫大なエネルギーを内に秘めた地球の姿を研究し、理解することは人類にとってとても大切なことだということがじわじわ伝わってきた。
希望の国のエクソダス
村上 龍 / 文藝春秋 (2000-07)
読了日:2015年8月12日
発売当時にすぐ買って読んでいたんだけど引っ越しのゴタゴタでどこかへ行ってしまった。新刊「オールド・テロリスト」を読み終えたので懐かしくなりもう一度読んでみようとブックオフで取り寄せてみた。
15年前の予想は不気味に当たっていることもあり、そうでないこともある。一番の違いは日本経済がここに描かれるほど壊滅的な凋落しなかったことだろう。その要因は何だろうと考えながらページをも繰る。思いついたのは9.11同時多発テロでありその後のアフガン・イラク戦争だ。もちろんこの本にそんな歴史は想定されているはずがない。ということはもしかしたら日本が経済的に崩壊しなかったのはアメリカの戦争のおかげだったのかもしれない、と思いついた。
まさにそのアフガニスタンからこの物語はスタートする。現実に起きた歴史と、もうひとつの物語世界を微妙に分けたの事件について思いを馳せるときまた違う物語がスタートする。それがきっとオールド・テロリストなのだろう。
69(シクスティナイン) (集英社文庫)
村上 龍 / 集英社 (1990-09)
読了日:2015年7月30日
iPadをいじっていたら以前iBooksのお試しデータで本小説を少しだけダウンロードしていたことを思い出した。小説自体はずいぶん前に読んでいたのだけど、なんか急に読み直したくなってブックオフでついで買い。
村上龍は僕の13歳も年上なのだから当然1969年当時の記憶なんて共通するところがあるはずないのだけど(僕は当時4歳だし)、同じ九州弁つかいでもある主人公や登場人物たちとはどこか親近感があった。そういえば僕が高校生の頃だって何かでかいイベントやろうぜとかバンドやって目立とうとか暴力教師に一泡吹かせてやろうとか、ここに書いてあるようなことはたいてい話し合っていたものだ(さすがにバリケード封鎖はしなかった)。
本書が書かれたのは1987年だから僕が大学の頃だ。日本はバブルを目前にやたら元気が良かった。当時村上龍は35歳、まさに好景気を支える世代だったはずだ。そんな勢いみたいなエネルギーが行間から溢れてくる。僕にとっては1987年くらいが著者にとっての69なのかもしれない。まあ今にして思えばろくな時期じゃなかったんだけど。
世論調査とは何だろうか (岩波新書)
岩本 裕 / 岩波書店 (2015-05-21)
読了日:2015年7月29日
何となくAmazonで見つけて買ってみた。世論と輿論との違い、バンドワゴン効果、逆バネ効果、重ね聞き、中間的選択肢、枕詞、ダブルバーレル、キャリーオーバー、討論型世論調査などに傍線を引きながら読んだ。

世論調査を元にしたニュースは多い。そしてつい一言コメントしたくなる(SNSの浸透は一億総コメンテーター化を促した)。だけど本書読みながらそれは逆ではないか、と思い始めたのだった。ひょっとしたら「誰もがコメントしたくなるような世論調査」がニュースソースとして生み出されているだけなのではないか。国民にこう考えてほしい、怒ってほしい、満足してほしい、そういった思惑がベースにある「調査」も案外多いのではないか。陰謀論を語りたいわけでなく、単に売れるニュースを求めているうちになんとなくそういった空気が生まれ、気がつければ反応を引き起こしやすい結果が作られていく。もしかしたら回答者だってそんな空気を読んでいるかもしれない。

世論調査は面白いけど、それはたんに一つの気分を表すものだと思いたい。といっても民主主義化の政治も、自由主義化の資本主義経済もぜんぶ気分で動いてしまうものだから無視できないんだけど。
カラー版 イースター島を行く―モアイの謎と未踏の聖地 (中公新書)
野村 哲也 / 中央公論新社 (2015-06-25)
読了日:2015年7月26日
イースター島に行ったことはないしこれから行く予定があるわけでもないのだけどラジオで著者の話を聞いているうちに無性に読みたくなって取り寄せた。
写真が美しい。それにまるでガイドブックのように島を周回しながらイースター島を紹介してくれるので、何度も巻頭の地図に戻りながら楽しく読んだ。子供の頃読んだ雑誌やなんとかスペシャルみたいな企画ものテレビ番組でその神秘性ばかりを記憶していたイースター島のモアイだけど、案外人間くさい歴史を持つものらしい。昔だったら「なーんだ宇宙怪人の基地だと思ってたのに残念」ってなっただんだろうけど、最近は「人類、おもしれーなー」って感じるのだから年を取るのも悪くはない。
死ぬまでにはいちど行ってみたい場所がまた増えてしまった。写ってる女性が美人ばっかりだし。
ヘイトスピーチ 「愛国者」たちの憎悪と暴力 (文春新書)
安田浩一 / 文藝春秋 (2015-05-20)
読了日:2015年7月22日
Kindleに勧められてダウンロード。眠れない夜だったのでそのまま読み始めた。前著「ネットと愛国」と重なる部分もあったが、後日談的な部分もあり興味深く読めた。ヘイトスピーチという言葉の解釈はまだ収斂されていないように思う。著者の言うとおり差別という概念を明確にした日本語を充てるべきかもしれない。

差別とは本人の努力とは無関係な属性をあげつらって行う攻撃のことだ。つまりフェアではない。そして人間として下劣な行為だ。ところがどういうわけか近ごろは本屋に行ってもネットを眺めても、そういった言説が溢れているし、あろうことか「いいね!」とか「シェアさせていただきます!」みたいな賛同の声に溢れていたりするから頭が痛い(それも実名でだからよほど確信的なのだろう)。

僕だって子供の頃に心ない言葉で誰かを傷つけたことだろう。忘れてるけど傷つけられたこともあったかもしれない。でももういい大人なんだから、弱いものイジメは良くない、とかデマを信じて拡散しないとかいった人間として当たり前の世界からはみ出さずに生きていきたいものだ。
「過剰反応」社会の悪夢 (角川新書)
榎本 博明 / KADOKAWA / 角川書店 (2015-05-10)
読了日:2015年7月21日
妻が何かの雑誌で見かけ、面白そうだから読んだらというのでダウンロードしてみた。
たしかに最近は過剰と思える反応をしてみせる人間が増えてる気がする。昔からエキセントリックな人間はそれなりにいたけど、まあそういう人もいるよねって感じでちゃんとフィルターを掛けておくことができた。でもSNSの出現は「エキセントリックな人=声の大きな人」という図式を成立させ、まるで世の中の大半の人間が大騒ぎしてるような感覚を醸し出させてしまっている。本当はネット世界における一現象にすぎないそんな感覚であっても慣れない人間にとっては「世の中がどんどん悪くなってきている」という実感に繋がってしまうのだからいろいろと具合が悪い。

みんながそうしてるのだからきっと面白いのだろう式の「ヒューリスティック」な思考法が増えていると著者は書く。ヒューリスティック処理とは、簡便な情報処理法のことであり、断片的な情報や周辺的な情報に反応して直感的に素早く判断する情報処理のスタイルを指すという。つまり「理性」ではなく「直感」で裁く。直感を信じるというのはある場面においては正解だが、それは自分自身が火事の現場にいるとかそういった肉体的に一次情報を獲得できるシーンでこそ有効なはずだ。ネットニュースを見てるうちにわき出てきた直感など、信じるに値しないはずなのだ。
オールド・テロリスト
村上 龍 / 文藝春秋 (2015-06-26)
読了日:2015年7月20日
著者のメルマガで知りさっそく取り寄せたのだけど、その日に新幹線焼身自殺事件が発生し心底驚いた。昔からこの村上龍は自作で創作した事件をその後すぐに本当に起こさせてしまうことで有名だ。

読み始めるてすぐ本書がずいぶん前に読んだ「希望の国のエクソダス」の続編的位置づけであることに気づいた。引っ越しを機に古本屋に売ってしまってエクソダスをあらためてブックオフから取り寄せて再読したのだけど、この本が出たあとに911テロが起こったのだと気づいて背筋を寒くした。

カツラギはまるで村上春樹の作品に出てくる女性のようだし、過去に読んだ様々な作品や映画をいちいち思い出しながら物語は進む。それが妙なことに現実世界のニュースとも絡み合うという滅多にない読書体験となった。

三島由紀夫の時代から日本はいちど焼き払ってやり直さないといけないという言説はたびたび繰り返されてきた。最近になってそれはますます説得力を持ち始めたように思えるのだけど、おそらく日本人の長寿化が影響しているのではないかな、と感じることが多い。平均寿命が伸びに伸び、都市も田舎も元気な老人ばかりとなった。一方で少子化も進行し気がつけば世の中の多数派はもはや年金世代となりつつある。こないだ知った事実だけど、日本は献血によって作られた血液製剤の80%以上が60代以上の患者に使われているという。日本はあらゆる面で老人の国となりつつある。

本作は、そんな日本を破壊してしまおうというテロリストですらもはや老人なのだ、というブラックユーモアな設定の近未来SFだ。だけど村上龍のことだから数年内に実現する可能性もあるのだからSFだと思って安心していてはいけない。
誰がために鐘は鳴る〈下〉 (新潮文庫)
アーネスト ヘミングウェイ / 新潮社 (2007-11)
読了日:2015年7月18日
ヘミングウェイの文章にはぐいぐいひっぱられ、あちこち出張するたびにカバンに入れいろんな都市で読んだ。これならアメリカからスペインまで戦争のために出張している主人公の気持ちも少しは伝わるというもんだ。スピード感溢れるエンディングを読み終えて僕のこころはざわついたままだった。今後何年もこの物語を心のどこかに置きながらだんだんと感想みたいなものができていくのだろう。
読み終えた時点で僕の頭に残っているのは数々のシーンだ。特に名場面ってほどのこともない、ちょっとした描写がなぜかふとした表紙に脳内で再生される。思いのほかそれって重要なことなのだろうと思う。作者の創り出した世界が僕の脳に複写され、少しずつ変容しながら生きながらえていくのだと考えたらとても面白いことだ。
誰がために鐘は鳴る〈上〉 (新潮文庫)
アーネスト ヘミングウェイ / 新潮社 (2007-11)
読了日:2015年7月11日
ヘミングウェイを読み始めたら止まらなくなってしまい、ブックオフで大人買い。9月にスペインに行くので否が応でも盛り上がる。相変わらずの歯切れの良い文体だが翻訳が古いせいか現地人がUFOを目撃した田舎もののような語り口でつい笑ってしまう。主人公のイノセントな語り口に反して登場人物たちのえぐさが心に残る。しかし本当にエグいのはどっちなのだろう。
永続敗戦論――戦後日本の核心 (atプラス叢書04)
白井 聡 / 太田出版 (2013-03-08)
読了日:2015年7月6日
発売当初から気にはなっていたけど、最近読む本あちこちで引用されているのでじゃあ読んでみようかと。前文がのっけからアジテーションぽくて少し引いてしまったのは著者の若さか、あるいは2013年という時代背景か。でも驚くべきことに本書は民主党政権時代に書かれてたわけで、もし今リライトされれば更に過激さを増すのかもしれない。これから数年後にその時の政治状況を背景に再読すればもしかしたら作者の激しさがまだ足りなかったなどと思うかもしれない。

「負けるが勝ち」という言葉を思い出した。負け続けてることにすれば万事上手く行く、という発想は焼け野が原で何かも失った戦後において緊急避難的に有効だったことは想像できる。しかしその後の経済成長を経てもまだ「敗戦国」というポジション取りを手放さず、強者への依存をさらに深めていこうとする戦略は数々の副作用をもたらしはじめているという。さらには「強弱」というスケールに深く依存した結果、そこに不可思議な上限関係を創り出してしまった。すなわち「アメリカには負けたがアジア(特に中国韓国)に負けた覚えはない」という心情が広く普及し始めていることだ(少なくとも本屋の平積みやSNSのフィードには溢れている)。

効能効果よりも副作用が目立ち始めていることは明かなのに、薬を変えることができないのは日本の指導者層、特にエリート官僚が「ビビリ」だからと僕は思う。でも本書が指摘したいのはそれだけに留まらず、国民全員がもはや既得権を守ることばかりを意識し、新しい環境への適応から目を背けているという事実なのだろう。
京都味の宿―ホテルから民宿まで (カラーブックス (614))
松井 守 / 保育社 (1983-01)
読了日:2015年6月26日
上通りの古書店の100円コーナーで買った。
昭和58年の発行だからまさに僕ら夫婦が学生時代に過ごしていた京都の光景がこの本の中に残っているのだ。驚くべきことに、物価がほとんど変わっていない。当時の京都は外食の値段が高かったってこともあるだろうが、それよりもこの30年間で進行したデフレーションの結果だと思う。ほんと、今でも立派に通用するか,逆に高いなあって思うページすらある。でもバブル前は給与もさほどでなかっただろうから、当時京都で外食するなんてのはやっぱり贅沢だったのだろうなあ。
イラストの雰囲気や写真にうつりこんだ人物らの造形がなんだか懐かしかった。そんなに昔のことではないって思ってたけど時間だけはしっかり流れているものだ。でもそんなことを感じることができるのも京都という特殊な街で過ごしたことのある人間の嬉しい特権なのかもしれない。
物語 カタルーニャの歴史―知られざる地中海帝国の興亡 (中公新書)
田沢 耕 / 中央公論新社 (2000-12)
読了日:2015年6月26日
バルセロナに行く前にいろんな雑知識を詰め込んでおいた方が良かろうとブックオフで購入。これがまた大変に面白く、今や歴史の表舞台から姿を消したようなカタルーニャが実は地中海の歴史において欠くことのできない存在感を発揮した帝国であったことを知る。僕ら日本人には同じような人名+○世の組合せはいまだに混乱を招くのだけど、それでも無味乾燥な世界史とは異なり、大河ドラマのような表現は間違いなくカタルーニャへの興味をかき立ててくれた。

この本はぜひ現地でも読まねばとKindle版も購入した。
京の味 (1967年) (カラーブックス)
岩城 もと子 / 保育社 (1967)
読了日:2015年6月23日
上通りの古書店を覗いてたら懐かしい装丁の本に目を奪われ思わず購入。こちらは1967年の発行だからほぼ僕が生まれてすぐの時代だ。その時代に思いを馳せながらページをめくった。
京都のことだからここに紹介されているお店の多くはまだ現役なのだろう。親戚が営む祇園の割烹に勤めながら学生時代を過ごした妻に見せると知ってるお店が並んでいるとのことだった。貧乏下宿とその周辺の定食屋しか知らない僕には無縁の世界だったが、それでも何度か見聞きした名前もある。
まだ路面電車が主要な交通機関であり、多くの貧乏学生たちがうろうろしていたであろう昭和40年代の京都にも、古くからの金持ちや高度成長時代に小銭を稼いだ紳士たちが静かな食事をしていた空間があったのだなあ、なんて妄想しながらページを閉じた。
大渦巻への落下・灯台: ポー短編集III SF&ファンタジー編 (新潮文庫)
エドガー・アラン ポー / 新潮社 (2015-02-28)
読了日:2015年6月21日
妻と映画を観に行った土曜日、上通りの長崎屋書店で見つけて衝動買い。ポーといえば1809年生まれだ。もう思い切り19世紀だ。200年も前に書かれた短編集なのだ。なのにこんなにハラハラしながら読めるだなんて、これはなんなのだろう。ひとつには翻訳というステップが僕ら外国人に幸運をもたらしているのではないか。時代と共に言葉は変わっていくが、翻訳だからその時代時代で新しい訳を出すことができる。日本の200年前の小説に翻訳が必要かと言われるとちょっと微妙だけど、外国語ならなんの抵抗もない。

まあそんなことは置いといて、200年前のアメリカ人が考えた未来世界、これはとても刺激的だし、飲み屋の話題としても最高レベルだと思う。

・大渦巻への落下
・使い切った男
・タール博士とフェザー教授の療法
・メルツェルのチェス・プレイヤー
・メロンタ・タウタ
・アルンハイムの地所
・灯台 

どれも面白かったけど僕にとっては表題作が一番かな。
反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)
森本 あんり / 新潮社 (2015-02-20)
読了日:2015年6月21日
最近よく耳にする「反知性主義」という言葉について少し勉強してみようとAmazonで調べて買ってみた。読む前は「反知性」だからきっと「情緒的」とか「扇動的」な感じなのかなあと思っていたけど半分間違っていたようだ。
アメリカ大陸における宗教史を踏まえながらじわじわと反知性主義とは何かに迫っていく。Revival運動という現象を通じ、Virusに似た宗教の威力に接しながら年に一度も宗教に接することのない僕の生活からは想像のつかない知性と反知性とのぶつかり合いを想像するしかなかった。
けっきょくのところ、反知性主義と反エリート主義、反アカデミズムとの違いはよくわかっていない。あるいはカウンターカルチャー、パンクといった戦後の若者文化も反知性主義の枠組みに入るのだろうか。文化大革命はどうなのだろう。この言葉について読んだ本はこの本だけだし、それほど日常会話として多用されているわけでもないので、今のところ僕にはまだつかみどころがない。
ただ巷間耳にする「反知性主義」の使い方のほとんどが正確でないことはわかったような気がする。
アルハンブラ物語〈下〉 (岩波文庫)
W. アーヴィング / 岩波書店 (1997-02-17)
読了日:2015年6月18日
古本のたのしみって意外なところにあるもんだな、とページをめくりながら思った。ほんのりとたばこに匂いが染みついていたのだ。前のオーナーが愛煙家だったのだろう。ビジネスホテルの部屋にニコチンの香りが漂うだけで熟睡できないくせに、古本だとなぜか許してしまう。なぜだろう。古いというだけでもうネジが緩んでしまっているのだ。

200年近い昔に書かれたこの本も、そのさらに昔のモーロ人統治時代のアンダルシア地方で語られていた様々な伝説を織り込みながら日常とも非日常とも言えない生活を描いていく。同じ地球で暮らしているのにこんなにも違う世界があったのだと驚かされる。と同時にほとんど現代人と変わらぬ作者の感性にも驚くのだ。

旅も読書も、世の中にある大きな差異とそれでも揺るぎない人間の変わらなさのギャップに、萌えるのだ。
ウェブニュース一億総バカ時代 (双葉新書)
三田 ゾーマ / 双葉社 (2015-05-20)
読了日:2015年6月9日
「そもそもなぜ無料で記事を読めているのかを考えた方がいい」という言葉が目に突き刺さる。
無料のものがずっと無料であるなんてことは国家の政策でもない限りほぼ有り得ないのが資本主義社会というものだ。それが続いているということは、何かしら資金源が存在する以外に可能性はない。それは広告である。その広告は「PV=ページビュー」によって金額が決まる。したがって「無料のウェブニュースはPV稼ぎのために手段を選ばない」という公式が成り立っている、とこの本は訴える。

そもそもウェブは無料の世界だった。だがそれはあくまでウェブが「副業」のツールだった時代までのことだった。本業を持つインテリたちが自身の知識や人脈を惜しげもなく残していってくれる世界が懐かしき時代のインターネット、ウェブだった。だけどいつのまにかウェブは中の人の「本業」となっていたのだ。もはやウェブの書き手たちは生活を賭してテキストを紡いでいるのだ。

古き良き時代からのインターネットユーザーである僕の世代などはそういった幻想を引きずっている。そしていまやそれは現代インターネット業界のエサであり燃料になっているかもしれない、とこの本は摘発する。

そういえばTwitterを始めた2009年頃はよくRTしたもんだ。俺たちが見つけた俺たちだけのニュースを俺たちで共有するんだ、それはネットの集合知であり新しい時代の始まりなのだ、と興奮していた。いつの日かそんな牧歌的な時代はひっそりと終わっていた。たぶん2011年3月くらいを境に。

その後Facebookを舞台に何やら不思議なニュースが復活することになる。その正体がこの本が取り上げるウェブニュースだった。あるいは厄介なタイアップ広告であり、ステマだった。陰謀論も一定の割合で乗っかっていたがそれとてアフィリエイト稼ぎのためにと盛って盛って盛り上げた使い古されたネタだった。

これからもそんなネタに僕らは振り回される続けるのだろうか。いやそんなことはあるまい。誰だって学習する。自分は利用されているだけだった、と気づく日が来る。昔を振り返ってああ俺もバカだったなあ、なんて笑いながら振り返ることができれば良いなあと思う。

だけどFacebookのタイムラインがウェブニュースからのシェア一色な人をたまに見かけるけど、本当に大丈夫かなあ、と心配になる。どんなに立派な本業を持っている人でも「実はこの程度のネタも見抜けないリテラシーの持ち主なのです」と毎日宣言しているようにしか見えないからだ。
悪いことは言わないから少なくともPV稼ぎにしのぎを削るウェブニュースや誰が書いてるかも判らないブログからネタを引っ張るのだけは今のうちにやめといた方がよいと思う。
パリ・ロンドン放浪記 (岩波文庫)
ジョージ・オーウェル / 岩波書店 (1989-04-17)
読了日:2015年6月8日
だいぶ前に誰かの本でこれがおすすめ、というのを読んでいた記憶があり、ふとしたきっかけで買った。読み始めるとまるで昔読んだ沢木耕太郎の深夜特急のようなスリルから始まり、とても面白く最後まで読んでしまった。1927年から30年までに著者がパリとロンドンで体験した超貧困体験ルポだ。つまりいまから90年近く前の世の中なのだけど、さほど古さを感じさせないのは底辺の生活とは時代の変化とは別の次元で存在しているからなのかもしれない。米国で言えば世界恐慌の前後であり、日本でいえば関東大震災の少しあと、昭和2年から昭和5年までだ。僕の家族でいえば祖母が15歳から18歳までの時期であった(わざわざ調べた・・)。

何となく西洋人といえば昔から個人主義の清潔志向で誰もがクールに生きてきたみたいな思い込みを持っているものだが、そんなはずもなく江戸時代の長屋生活の方がもっと健康的だったのではと思えるくらいだ。ちょうど同じ時代に描かれたヘミングウェイの小説も平行して読んでいたからなおのことそう感じた。

だからどうってわけでもなくて、読書はほんと面白い。古い本を手に取るとますますそう思う。
恋する文化人類学者
鈴木 裕之 / 世界思想社 (2015-01-09)
読了日:2015年6月6日
ラジオで著者の出演回を聴いて面白そうだったので番組のHPから買った。こないだ高野秀行氏の「謎の独立国家ソマリランド」「恋するソマリア」を読んだばかりだったのでアフリカについて興味があったのだ。
著者の語り口と同じく読み始めから分かりやすく、まるで自分のことのように(著者と僕とは同い年なせいもある)疑似体験的に最後まで読んでしまった。関係ないと思うけどたまたま山上のキャンプ地のテントで読んだというちょっとだけ大地に近い環境も手伝ったのかもしれない。

日本列島は日本人だけのものではないみたいな発言をして炎上させた首相がいたけど、どこまでが日本列島か、みたいな人騒がせで面倒な問題よりさらに面倒くさい「どこまでが日本人か」ということについてまで考えさせられた。DNAで分けるという考えもあれば、国籍、民族、宗教、言語、はては国民性や性格といった分け方を唱える人がいるのかもしれない。

でも僕はつまるところ「ご縁のあった方はみんな仲間」で良いんじゃないかと思う。ご縁がなくなったと思えば自ら出て行ってもいいわけだし。

ひょんなことで、結婚というご縁ができて、娘ができて、日本で暮らす。これだけでもう立派に日本人だと思う(ご本人はどう思うかわからんけど)。一方で僕らだってある日アフリカや南太平洋のどこかの国とご縁ができて、いつの日かそこの国民になっているかもしれない。

もし世界平和なるものが実現するとしたら、たぶんそんなことじゃないのなかな、と読み終えて考えたのだった。
アルハンブラ物語〈上〉 (岩波文庫)
W. アーヴィング / 岩波書店 (1997-02-17)
読了日:2015年6月6日
スペインに行くのならアーヴィングのアルハンブラ物語は必読である、という本を読み、ブックオフで調達。届いてすぐにページをめくるや、170年近く前の旅行記に鷲づかみにされてしまった。1830年代といえば日本なら江戸時代、東海道膝栗毛の頃だ。それでも翻訳のせいなのかとても現代的な旅行記として読むことができた。当時のスペイン人たちはアメリカ人のアーヴィングにとっておもいっきり辺境の人間だったようで、今こんなスタイルの旅行記なんてのはなかなか成立しにくいと思う。
本書の端々から感じるのはモーロ人(長らくイベリア半島を支配していたイスラム教徒)に対する怖れと憧れだ。尊敬の念すら感じる。世界史で習ったのとは少し違う感じだ。異教徒に支配されたキリスト教国、という図式だけでは説明できない何かを感じた。
挿入される逸話が楽しい。現実からふわっと離れた華やかで輝かしく、そして妖しげなアラビアンナイトみたいだ。
憲法の条件 戦後70年から考える (NHK出版新書)
大澤 真幸 , 木村 草太 / NHK出版 (2015-01-10)
読了日:2015年6月2日
ここ数年、改憲や憲法解釈変更に関するニュースが多くの議論を呼んでいる。SNSを眺めていると一方が他方に向かってそれぞれ「こんな当たり前の常識をなぜ理解できないんだ?」といって嘲笑する言葉がたくさん転がっている。そしてそれは僕をとても残念な気分にさせる。どうして日本国憲法の話題は気が滅入るんだろう。

本書で次々提示される「無知のヴェール」(ロールズ)、グノーシス(選民思想主義的な秘教主義、たとえば「大手マスコミの伝えない真実の世界がある」的な世界)、「理性の私的な使用と公共的使用」(カント)、「一般意志と全体意志とはどう違うのか」(ルソーは有限時間内に解けるだろうと考えたが、アーレントはすぐには解けないはずと複数性を唱えた)といった言葉にはその都度はっとさせられ、何度も読み直した。

そして著者らはこう続ける。

-----公共的価値とは何なのか」という問いは、どこかに答えがあるようなものではなく、「これは本当に公共のためなのか、私利私欲ではないのか」と問い続けることによってしか近付けません。そして、その問いは、「それは憲法の理念に沿っているのか」と問い続けること-----

つまり憲法とは理念であり、我々はその理念をたよりに公共について考え続ける必要があるということだ。考え続ける、ということは「結論など出ていない」ということだ。つまり「隣に凶悪犯がいると分かってるんだったらこちらから先に殺しに行くことこそ国の仕事に決まってるだろ」派の人も、「世界平和のためなら殺されて滅んでも良いのです」派の人も、どちらが一方的に正しくあるいは一方的に間違っているかって結論でさえまだ出ていないということだ(人類が人類の枠に留まってるうちに結論が出ることはないのだろう)。

だから大切なことは「まだ分からないけれどしかし答えは必ずあるはずだ」という前提に立って謙虚に問い続けること」なのだと思う。そのためのツールのひとつが憲法なのだという考え方を本書で知った。

そんな我々に必要な態度は、
-----眉間にしわを寄せて問題行動を起こす人たちにお説教してばかりいるだけではなくて、「こういう世界をつくりたい」という前向きな声に答えて、様々な議論をかわせるような文化を築いていくべき------
なのだいう。
−−−−−最も恐ろしいことは、嘲笑に気持ちを挫かれ、自らが皮肉屋に堕してしまうこと-----
だからだ。

毎朝のように僕を追いかけてきた残念な気分の正体が見えた気がした。
東京下町おもかげ散歩―明治の錦絵・石版画を片手に、時を旅する、町を歩く
坂崎 重盛 / グラフ社 (2007-09)
読了日:2015年6月2日
これもブックオフ。知っている歴史、まったく知らない逸話を躍動的な絵をめくりながら体験できた。
日はまた昇る (新潮文庫)
アーネスト ヘミングウェイ / 新潮社 (2003-06-28)
読了日:2015年5月29日
ブックオフで買った僕にとってのヘミングウェイ3冊目。
1926年に世に出た物語だから今から90年も前ということになる。戦間期(もちろん出版されたときはただの戦後だった)におけるヨーロッパの若者たちが描かれる。90年後から見ても自由すぎるし乱れているしお酒飲みすぎだと思うけど、ヨーロッパの一部(地域ではなく階層)はずっとこんな感じだったのかもしれないなあなんて勝手に想像しながら読んだ。むかし読んだ岡本太郎の自伝によれば彼はこのちょっと後にパリで暮らしていたはずだから、そこで描かれたヨーロッパも僕の頭の中で混じり合った。
彼ら主人公がまだ生きているとしたら120歳くらいになってるってことか。こないだ100歳で亡くなった僕の祖母のことを少し考えた。
名作古典と呼ばれる作品を読むのも面白いものだ。すっかり気に入ってしまって今後しばらくはそんな読書が続きそうだ。
フューチャー・オブ・マインド 心の未来を科学する
ミチオ・カク / NHK出版 (2015-02-24)
読了日:2015年5月24日
新聞の読書欄からAmazonアプリで注文しそのままKindleで読み始めた。読み終えるまでの2週間はとても濃厚だった。少し大げさだけどものの見方が変わった気がする。もはや人類は自らの脳や心を最新の科学技術で解き明かしさらに応用しようと試みはじめている。といってもまだまだ神の足元にも及ばぬものだろう、とタカをくくっていたらとんでもない。昔よんだSFのいくつかは実現しているというではないか。ちょっとした衝撃だった。そして希望と恐怖を同時に覚えた。

この本はどこか仏教的だ。知覚とは、感情とは、意識とは、理性とは、自分とは何なのか。テクノロジーを突き詰めていくと必ずそこに突き当たる。そして導き出されようとする結論はどこか釈迦の考えた原始仏教に近い。「自己認識とは、世界のモデルを構築し、自分がいる未来をシミュレートすることである」と著者は定義する。この言葉を憶えただけでもうそこから世界は変わって見えてしまう。

仏教についての本を読んだときにも思ったことだけど、結局のところ「僕」の存在なんてのは脳による幻想かもしれないし、生まれてからずっと継続しているはずの「僕」も脳がそう思いたいだけの仮想なのかもしれない。だからといってそれは隠された悲惨な事実かといわれれば、いやさほどのこともないさ、だったら科学と技術で同じようなもの作れるかもしれないからそれも面白いじゃないか。
ローリング・ストーンズを経営する: 貴族出身・“ロック最強の儲け屋”マネージャーによる40年史
プリンス・ルパート ローウェンスタイン / 河出書房新社 (2015-03-25)
読了日:2015年5月17日
新聞の読書欄で見つけ、Amazonアプリの写真検索で注文(これはすごい技術だ)。
何だろうこの心の底から湧き上がるムカつく感触は。10代に感じた、腐った大人たちへの反感と破壊衝動を思い出させてくれたクソみたいな本だった。ヨーロッパで貴族の家系に産まれるとこういう人生を送ってしまうということだろうか。もし著者がストーンズでなくビートルズのマネージャーになっていたらどうだったろうか。彼らはストーンズほどよい子ではなかったみたいだからそもそも契約が成立しなかった気もするが、下手したら解散することもなく今でもビートルズは健在で、三代目ビートルズブラザーズとかリバプール48とかできてて毎年盆踊りの時期に来日しているかもしれない。
読み終えた瞬間中古で売り飛ばしてやったから安心しな、ミック。
ガウディの伝言 (光文社新書)
外尾 悦郎 / 光文社 (2006-07-14)
読了日:2015年5月14日
素人の下手な論評は失礼になってしまう。それくらい素晴らしい本だった。何かに人生を捧げるということの意味が少しだけ伝わってきた気がした。天才ガウディはさまざまな建築物で神の声を伝えようとしたけど、外尾さんさんは石彫りの仕事と別に、日本語でも伝えることに成功していると思う。この本は外尾さんからの伝言、なのだ。
無実はさいなむ
アガサ ・クリスティー , 小笠原 豊樹 / 早川書房 (2004-06-30)
読了日:2015年5月10日
麻木久仁子さんがお勧めしてたのをラジオで聴いてその場でダウンロードした。実はアガサ・クリスティーを買って読むのは初めてだ。誰かの書棚にあったのを勝手にめくったりはした記憶しかないからだ。
おそらく30年前の中学生だったら心底楽しめたとおもうのだけど、21世紀の50歳の心はそこまで澄み切っていなかったようだ。古典は古典ゆえにその後さまざまな作品で繰り返し引用され、捻られ、さらに複雑化され刺激を増してリスペクトされていく。先にそんなデリバティブに身をさらしてしまったのだろうからこればかりは仕方がない。
クラウド仕事術 120 (超トリセツ)
standards / インターナショナル・ラグジュアリー・メディア (2015-04-25)
読了日:2015年5月8日
本屋で立ち読みしてたらなかなか役立ちそうなので買ってみた。
喫茶店でコーヒー飲みながら数時間でしつこくページをめくる。かなり面白かった。
120のヒントのうち、10くらいは面白いと感じたし、そのうち3つはiPhoneのカメラで撮影してEvernoteに収納した。
他の110が使えなかったって意味ではなく、30くらいは僕の環境では使えないかあまり意味がなかっただけで、残りはたいてい既に使っているか知っているテクニックだったってことです。

クラウドについて話す機会も増えたのでこの本をお勧めしようと思う。
2015年最新版 アンドロイドは初期設定で使うな (日経BPパソコンベストムック)
日経PC21 / 日経BP社 (2015-01-29)
読了日:2015年5月8日
久々リアル書店に行って衝動買い。
むかしむかしPC-98やDOS/Vが全盛だった頃ってこんなムックをたくさん買った気がする。Windows出始めの頃もそうだったかな。最近はすっかり縁遠くなってたのでちょっと懐かしかった。
最初のいくつかはなるほどってためになったけど、他はあんまり使えなかった。
基本的にMacユーザーだからかもしれない。
スペインの歴史がわかる本/聞き流しながら楽しく歴史が頭に入る本
池田かおり /
読了日:2015年5月8日
スペイン準備本としてKindle購入。サイトを見つけてアクセスするとテキストを読み上げてくれる、という新機軸だけど、一度使っただけであとは普通に目で読んだ。自分のペースで読むのが好きだからだ。どうせならPodcastとして準備してくれたら行きの飛行機の中で聴けたりするんだろうけど。
文章も読み上げも、独特の素人っぽさが残ってて、よいです。でもチャート類の凄まじい誤字ぶりが続くのにはちょっと閉口したかも。
老人と海 (1966年) (新潮文庫)
ヘミングウェイ / 新潮社 (1966)
読了日:2015年5月5日
あまりにも有名な本だけど読んでいなかったので読むことにした。ブックオフで。
連休中にゆっくり読んだ。
僕にとって2冊目のヘミングウェイだけど、読み始めてすぐに物語に引き込まれた。
中学生のころだったか、どんだけ推薦図書だ読みなさいなんて言われようと誰が読むかって思ってたのに。

半分くらいまで読んだところで、先日みた映画「Life of Pi」ってこの小説がネタ元だったのかもな、と気づいた。古典ってのはそもそも信じられない数の人間の脳みそに息づいているわけで、こうやっていろんな分野に影響を与えるんだろう。若い頃読んでたら僕もそんな仲間に入れてたのかもしれない(でも、この本若い頃に読んだよって言った妻も、一緒にパイの映画を観てるときヘミングウェイの話なんて一言もしなかったから、忘れる人はしっかり忘れるんだろう)。

まだ僕の人生はしばらく続きそうだから50でこの本を読んだこともけっして手遅れにはならないのだと思う。それにしても古い本を読み出したら新しい本を読む時間がなくなってしまう。

なんて難しいことなど考えずに読むべき本なのかもしれません。
トンデモ偽史の世界
原田 実 / 楽工社 (2008-09)
読了日:2015年5月5日
ブックオフで。著者の「江戸しぐさ」を読んだのでその流れで買ってみた。
偽史の反対が正史なのかといわれればそうではない、という記述にはなるほどと思った。
歴史的には「勝った側が都合良く編纂したものが正史」だからだ。
(アジア諸国や欧米から日本は正しい歴史を学ぶべきといわれるたびに、いや正しい歴史ってのがそれぞれ別々だからこそ違う国をやってるわけで、みんな同じ正しい歴史を共有したときにはそれは同じ国になったってことじゃないのか、っていつも不思議に思っていた)

この本が扱うのはいわゆるトンデモ案件なのだけど、それでも一時は真剣に信じられていたものが多い。
特にナチスなんてのは陰謀論を頭から信じてるうちに世界戦争になってしまったという事例だし、日本だってスケールは違うけど似たようなもんだった。

陰謀論を甘く見てはならない。今から思えばオウム真理教も911もその後のアフガン戦争もイラク戦争もイスラーム国のテロも、その背後にはいつだって陰謀論があった(と書くと陰謀臭いか)。

偽史や陰謀論から距離を置くために僕らが取れる対策があるのだろうか。

それは「ウソの絶対量」というワクチン接種だと思う。

ほとんど世の中を知らなかった人間に強烈な陰謀論を与えるとあっという間に「そうだったのか」となる。田舎から出てきたばかりの青年が詐欺話のカモになるような話しだ。

いかに強烈なウソであっても、それに引きずられないためには分母を大きくするしかない。
あらかじめウソの分母を拡げておくのだ。

そのためには若いうちからできるだけたくさんのウソに触れておけば良い。
ウソとはすなわち「物語」だ。フィクションだ。
小説や、映画や、詩やミュージカルや音楽や演劇やそんな人類がこれまで営々と築いてきたフィクションにできるだけ触れておくことで、どこかの誰かが考えついたもっともらしいウソを相対化できると思う。

過去の偽史をこうやって可視化しておくことはその意味でも記帳だと思う。
「秘めごと」礼賛 (文春新書)
坂崎 重盛 / 文藝春秋 (2006-01)
読了日:2015年5月5日
ブックオフで。不良隠居の本はこれがはじめて。連休中に一日で読んでしまった。
もう読みながら口角がふにふに曲がってしまい、そのうち声を出して笑い始めてしまい、なんだかとっても元気の出る本だった。中身について世間的には酷い話ばっかりなんだけど。

芥川、おまえは中学生か。
中一の頃、授業中にクラスで回ってくるメモ紙ってたいていローマ字で書かれていたっけ。
そんなことを思い出した。

何でもかんでも私生活をSNSにさらけ出すことが今風だけど、それはけっして異常な時代ってことでなく、昔から誰だって何かを書き残しておきたいわけですよ。忘れてしまったり、ただ心の中に秘めておけば良いものを、わざわざ紙とペンを使ってどこかに書いておかないと落ちつかないものなのですよ。ただ文人の場合は残念なことに後々それが発掘されたり、相手が暴露したりって形で世に晒されるだけで。

TwitterやFacebookなんてのはそんな人間の業みたいなもんを爆発させてるだけのものかもしれない。
この本で書かれている秘めごとってのは、「現代はなんでも情報化で可視化されてしまうけど、昔はそんなことなくて良かったのだ」ってオチで終わることではないと思う。

むしろ昔から秘めごとは晒される運命にあった、ただ現代は(幸か不幸か)生前中に晒す道具が転がってるだけのことだ。

人間てのは昔からちっとも立派なんかじゃなくて、阿呆の一生を過ごし、中学生の脳みそを死ぬまで引きずり、後先考えずにとりあえずその辺のチラシの裏に何か書き残さないと気がすまない生物なのだと思う。でなかったら本を読み終わるたびにいちいちこんなところに感想書き散らすわけないじゃないか。
スペイン世界遺産と歴史の旅 プロの添乗員と行く
武村陽子 / 彩図社 (2007-11-12)
読了日:2015年5月4日
今年9月に仕事で行く予定のスペインは25年ぶり2回目、つまりほとんど初めてといっても良いので少しずつスペイン関係の本を読んでいこうと思った。Amazonで探したKindle本。紙の本と違って現地に持っていかなくても参照できるのは気楽で良い。
たくさんの情報と写真が含まれている。一度読んだだけで憶えきれる量ではないから、やはり行きの飛行機の中や現地の空いた時間にタブレットなんかで再読することになるんだろう。そんなシーンを思い浮かべることが今から楽しみだ
ロング・グッドバイ (Raymond Chandler Collection)
レイモンド・チャンドラー / 早川書房 (2009-03-06)
読了日:2015年4月30日
ずっと前にブックオフから届いていた本だけどずっと本棚の重しになっていた。ふとした拍子に「あ、まだ読んでなかった」と手に取るとそのまま1週間くらいずっとあちこち持ち歩いて読んでしまう。僕が図書館をあまり利用しない理由はこんなところにもある。中古でもよいのでとにかく手に入れたら目に付くところに転がしておくのだ。それだけでその本となんらかの縁ができた気がする。でもまだ熟しない。ある時なにかの拍子にその本は僕の手元にまでぐぐっと接近してくる。ページを開いて1ページ読んだらあとはしばらく付き合って、そして死ぬまで一生僕の脳のどこかに沈んで次のご縁を待ち続けるのだ。

戦後アメリカの有名な探偵ものってことだけど、話の筋としては特にびっくりするようなことはない。いまや練りに練られ心地よい刺激や興奮が途切れないように計算された素晴らしい物語なんて、そこいら中にごろごろ転がっている21世紀なのだ。古典と呼ばれ始めた物語を今の時代に手にする意味合いがあるとすれば、やめくるめく興奮を願ってページをめくるものではなく、ちょっとした異世界(でも微妙に現在との連続性も途切れないとこが重要!)で繰り広げられるシーンの一つ一つを味わうことなのかもしれんなあ、と読後に思いつく。

時代を生き抜いてきた作品は最後まで読んだ後に、何度も読み直す方がきっと何倍も楽しめるものだと信じて、またそっと本棚に戻しておく。まるで勝手に利息のつくタンス貯金みたいだ。
アフターダーク (講談社文庫)
村上 春樹 / 講談社 (2006-09-16)
読了日:2015年4月26日
ブックオフで。これで昨年夏から始めた村上春樹の長編小説コンプリートも一段落できるはず。

手頃な長さで読みやすい文章だったので二日ほどでざっと一読できたのだけど、読後にどうもなんか引っかかるというか、なんだよこれ?って感じだった。

とりあえずその晩は良く寝て、しばらくあれこれ思い出しながら再びページをめくるだけど、その引っかかりの原因がよく掴めない。

どうも原因は高橋にありそうだ。こいつどうもヘンだ。ひょっとして悪いヤツなんじゃないの? あるいはちょっと病んでるのかも。病んでいると言えば姉のエリもそうだしもちろん白川もだ。マリだってどこか普通じゃない。みんなしてどこかヘンだ。一番まともだと思ったのはカオルだけだ。大都会の夜って変なヤツばかりうろついてるってことか。

もう少し時間を置いてみて読み直してみないとよくわからない気がする。

でもこの都会の深夜に蔓延る「気持ちの悪さ」こそが作者が表現しようとしたものかもしれないのだから、だとすれば少しでもその納得できない気分を長く味わってみるのも悪くないって思えてきた。

一筋縄ではいかない小説。
足元の小宇宙 82歳の植物生態写真家が見つめる生命
埴 沙萠 / NHK出版 (2013-11-29)
読了日:2015年4月25日
何年か前にテレビ番組で著者の特集を見てたいそう感激したので気になっていたら日替わりサービスにやってきたので思わずクリックした。写真集をPapaerWhiteで読んでも仕方がないとタブレットで読んだのだけど、思わず巨大なタブレットを買いたくなったくらいに美しい写真だった。
読了後iPhone6でも見てみたけど、これはこれで可愛らしく印象的だったけど。

毎朝の散歩で持ち歩いてる中古で買ったNikonコンデジの取扱説明書を引っ張り出し、マクロモードでの撮影方法を会得して以来、散歩中にところかまわず寝っ転がって雑草を撮り始める始末。もちろん著者のような写真にはほど遠いけど、道ばたに驚くほど美しく、変化に満ちた世界が転がっていることを教えてくれた貴重な本となった。

著者は妻の実家の近くに住んでるらしい。次に帰省することがあったら著者になりきって道ばたに寝転がってみようと思う。
アウトサイダーの幸福論 (集英社新書)
ロバート・ハリス / 集英社 (2015-02-17)
読了日:2015年4月19日
ラジオで聴いて買ってみた。いままでまったく知らない著者だったけどなかなか面白い人がいるもんだなあと思いながら数時間で読んだ。

いろいろ悩みながらも体当たりでなんでも体験し、世界中の怪しい人たちとも良い感じの距離をキープしながら、常に肯定的な態度を保てるなんて人なんてなかなかいない。マッチョなだけの人にはそんなこと無理だと思うし、逆に依存的なタイプの人は継続が難しい。だいいち若い頃には何をやってもたいていうまくいかない。

人生のある時期に、無茶をしてでも突っ走り、限界とか壁を見つけてそこからちょっと戻って来た人はとても魅力的だなあと思う。そんな自らの弱さを認めながらもけっしてそれを言い訳にしない人だけが、気持ちの良い文章を書くことができるのだ。

ポーカー好きなだけでぶらぶらしてるらしい大学生の息子に送っておこう。
江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書)
原田 実 / 講談社 (2014-08-26)
読了日:2015年4月19日
ラジオに著者が出ているのを聞いて買ってみた。どこかで読んだことのあるこの感じ・・あ、と学会みたいだと確認したら著者は会員さんだった。

自分が専門とする分野に対し、門外漢から口を挟まれるとなんだよその稚拙な陰謀論はってムキになってしまうけど、そんな自分が専門外の分野における与太話を頭から信じてしまう、なんてことはままある。もしかしたら僕だってやってるかもしれない。

SNSに溢れる「たとえ嘘でも良い話だし今の世の中を良くできるなら良いじゃない」みたいな気色悪さはそういう危うさに無頓着な僕らが作り出しているものだと思う。

自分の中にある常識や直感だけを使って「これは拡散しても良いのか」などと判断するのはとても困難でかつ危険だ。魅力的で容易に腑に落ちる類の話はとりあえず眉に唾つけて棚上げし、人前では話題にしない、くらいの「しぐさ」が要求される時代なのだろう現代は。


ひとつの偽史が生み出され、流行し、否定され潜行していくさまをリアルタイムで体験できるという意味で、こういった書物の存在は大きいと思う。だからといって江戸しぐさに言及する人たちを大人げなく攻撃をするのはどうかと思う。おそらくは良い反応は得られず、むしろ逆効果だと思うからだ。

そんな事態に直面したとき、いったいどうすれば良いのだろう。
誰か納得できる答えを呈示してくれたら僕はそれを「平成しぐさ」とでも名付けて広く社会に普及させるためにNPOでも作ろうと思う。


なわけない。
人を殺してみたかった 17歳の体験殺人! 衝撃のルポルタージュ (双葉文庫)
藤井誠二 / 双葉社 (2003-04-08)
読了日:2015年4月19日
以前から読んでみようと思っていたところに日替わりセールで購入。
読み始めてすぐにこれは問題作だと思った。2000年に愛知県で起きた高校生による無差別殺人のレポートだが、タイトルに!マークがついていることに象徴されるように、より細かな真実を知りたいという人々の欲望を満たす週刊誌的な書物だと感じだからだ。

読み進めていくうちに著者もそんな悩みをぬぐいきれずに書いていることが伝わってきた。

この本でもっとも重要な部分は「文庫本あとがき」である。
宮台真司、宮崎哲弥両氏のメールが特に重要だと思う。宮崎氏に至っては「常に正しすぎることこそが彼の問題だったのではないか」とまで言及している。実際のところそうかもしれない、という気にさせてしまうレポートなのである。著者の意向とは別にだが。

病名の数だけ病気が増える、という言葉は事実である。それは医療業界の陰謀なのだなんて青臭いことは言わないけれど、これまで正常とされてきた現象に病気というネーミングを与えるとで、次の日からその現象はもはや「正常」という範囲から逸脱していく、なんてことは僕の働く業界でも日常的に起きていることだ。

だから特に成長期の青年のしかも精神的な側面を安易に「病気」として扱うことには慎重であるべきと思う。それにこの世にいわゆるアスペルガーが存在してなかったら緻密な宗教も、美しい絵画も語り継がれる物語も天国を感じさせてくれる音楽も、そして今ぼくがこれを描いているMacだって存在しなかったはずだ。
節ネット、はじめました。 「黒ネット」「白ネット」をやっつけて、時間とお金を取り戻す
石徹白 未亜 / CCCメディアハウス (2014-09-18)
読了日:2015年4月18日
日替わセール案件。
僕も仕事がら仕事中はほとんどずっとネットに繋がってるわけだけど、以前に比べて漫然とリンクを踏んでいくいわゆるネットサーフィンの時間は短くなってきたなあと思っていた。もう20年近くインターネットの海を漂流してきてるのだから、少しは飽きたんだろうなって自分では思っていたのだ。

でもこれを読んでいるうちに「それは単にSNSをウロウロしてる時間に置き換えられてただけだった」ということが判明、確かにそこはしっかり自覚しておかないと漫然と歳食うだけの人生になってしまうと思いしらされた。
白ネット、黒ネット、無害、という分け方は言われてみれなその通りで、実は僕もTwitterやFacebookはその手のリストを作っていてたまに黒いのを覗いてはモヤモヤした気分を楽しんでいたりするのです。たまにじゃないか。そんな黒い発言にも「発憤」という作用があると思っていたのだけど、それにしても時間の無駄だし、中毒性もあるし、なんといっても「発想や口調が伝染する」という副作用もありそうだし、著者が提案するように何らかの自制策を施しておくことはた大切だなあと反省いたしました。

検索したらここに短くまとまったこの本の紹介文があったので、チラ見して「あっ」と思った人は買って読んでみると良いかもです。
http://www.lifehacker.jp/2014/10/141021book_to_read.html


でもまてよ、それって「会議を少なくするための会議」みたいな話じゃないか(笑)
宇宙論と神 (集英社新書)
池内了 / 集英社 (2014-02-19)
読了日:2015年4月18日
Kindle日替わりセールで。最近は宗教とか神とか名のつく本ばかり薦められてる気がする。日替わりセールも個人の購入データベースを利用しているんだろうか。

「科学」と「技術」との違い、国家・経済・宗教・欲望と科学の関係、予防原則、地上資源文明など大いに考えさせられるキーワードばかりだ。

古代、砂漠や船上の夜空を見上げた人類はそこに神の存在を意識し、神話を生み出し啓示を受け契約を想定した。しかしそれは地域や時代ごとに様々なバリエーションが存在し、時間の流れと共に地球上でさまざまな交配が行われたが今でもまだ大きな差異を残している。特に西洋の文明開化は神の特定、否定、超越をテーマとした科学との切磋琢磨であった。しかし科学が神に追いつき追い越したと思ったらいつのまにか競争がスタートしてしまっている。

なんて要約するとまるでスピリチュアル系の話みたいになってしまうけど、世界的な天文学者、宇宙物理学者が書いているわけで説得力に満ちあふれている。これから再読するたびに発見があることだろう。
武器よさらば (新潮文庫)
アーネスト ヘミングウェイ / 新潮社 (2006-05-30)
読了日:2015年4月17日
たくさん本を読むようになったのはここ数年であって、だからこれまで読んでいない古典は山のようにある。ヘミングウェイもこれが初体験。レマルクを読んだのなら本書も読むべきだ、とAmazonの機械書店員に言われ、素直に従った。正解だった。

本作は「西部戦線異状なし」と同時代の第一次世界大戦を描くがドイツ側と反対のイタリア軍側に参加したアメリカ人からみた物語である。そのせいかレマルク作品とは少しばかりイメージが異なる。悲壮さが後退しむしろゴージャス感というかゆったり感すら感じさせる。実際にそんな差があったのかはわからないけど。それはそれとして西洋人はいつでもアルコールを手放さないものだなあと妙なところに感心したり。

本作でも僕は「異常事態」と「日常」が交錯するさまに感銘を受けた。きっとそういうこことに関心が向いている時期なのだろう。戦争という非現実的な殺し合いの現場であっても出会いと恋愛が生まれ多くの生命とおなじ軽さであっけなく喪われていく。

まるで映画を観ているように描かれる劇中であっけなく死んででいく一人一人にすべてそんな日常が積み重なっているのだと想像すると、人類の歴史の巨大さとそのあまりの無常さに陶然としてしまう。

それはそれとしてだけど、西洋人はアルコール飲みすぎだよ!と何度も思った。
西部戦線異状なし (新潮文庫)
レマルク / 新潮社 (1955-09-27)
読了日:2015年4月11日
購読している地元紙日曜版の書評で見つけAmazonに注文した。
僕ら日本人にとって戦争と言えばまず太平洋戦争だと思うけど、昨年暮れにイギリスに行ってみるとそれは日本だけの話なのだと感じた。ちょうど第一次大戦勃発から100年ということでロンドン市内でさまざまなイベントが行われ、多くの市民が関心を持ち続けていたように思えたからだ。

この本を読むのは初めてだし、映画も観たことがない。文庫本を手に取り読み始めると想像に反して驚くほど読みやすいのだった。まるで誰かのブログを読んでるような感覚だ。若いドイツ人たちが、日常と前線を行き来しながら徐々に平常な感覚を壊していく様がひしひしと伝わってくる。彼らはとてもイノセンスであるけど現実は血まみれだ。周囲にあるのは飢えと死だらけが、そんな中でもちょっとした日常の楽しみまで失わうことのないよう命がけの努力をするのだ。日常とはなんてすごいのだろう。

入院中のレワンドウスキーを妻が訪ね、主人公らに腸詰めを分ける場面にははからずも感動してしまった。本来ならこっけいなシーンなのだろうけど。でも夫婦の日常をみんなで支える戦友たちはまるで彼らの子どもたちみたいに思えたのだ。

毒ガスや戦車や戦闘機が登場しはじめたといってもまだ19世紀的な歩兵による撃ち合いが主流だった第一次大戦は第二次大戦やその後の大量破壊戦争とはまた少し違った残酷さとそれによりかえって浮き彫りになってしまう人間性に満ちた闘いだったようだ。歴史を読む限りそこに何らかの大義があったようにも思えないのだけど、多くの犠牲に値する価値を見出していくのが後世の責任であるとも感じる。

映画を観るべきかについてはまだ迷っている。
私たちはどこから来て、どこへ行くのか
宮台真司 / 幻冬舎 (2014-03-14)
読了日:2015年4月5日
数年前にたまたま同じタイトルで講演したことがあり、Kindle日替わりセールをみて思わずクリック。お正月休みに読み始め、たびたびの中断をはさみ読了したのはもう4月になってからだった。

宮台氏の主張は硬質で一貫しており力強い。何ごとに対してもけっしてぶれることなく常に核心を突こうとする。Kindle画面の向こうに浮かぶのは膨大な知識と抜かりない弁術を身につけた頼りがいのあるタフな僕らのアニキってイメージだ。反面、ここまで圧倒的だと盲目的な信者をも生むのではって心配しそうになる。彼がラジオでときおりみせるお茶目な態度に接するとその不安もちょっと解消するけど。

巻末に分厚い独特な注釈はとても重要で誰かと議論するときなどに役に立ちそうだ。それに対応するだけの記憶力があればだが。

最後あたりにおそらくは荻上チキ氏を意識した強烈な表現が出てきてびっくりした(そういえばちょっと前にラジオに共演してやり合ってたっけ)。言論の世界だとこういうバトルもありなんだろう。そのあたりを読みながらなんとなくだが、宮台氏は村上龍的であり、荻上氏は村上春樹的だ、と感じた。

男性的でパワフルで強く正確な言葉で実社会と直接的な関係を構築する村上龍氏と、いつも自信なさげで自分のぶれる心を心配しながらできるだけたくさんの声に耳を傾けつつも最後は自分の感性を頼りに表現を続ける村上春樹氏。僕はどちらの作品も好きだ。
核と日本人 - ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ (中公新書)
山本 昭宏 / 中央公論新社 (2015-01-23)
読了日:2015年4月1日
Twitterに流れてきて読んでみようとAmazonで。
どこか既読感があったのは、以前読んだことのある橋本努の「自由に生きるとはどういうことか」(http://mediamarker.net/u/bluesmantaka/?asin=4480063935)と、同じく武田徹の「核論」(http://mediamarker.net/u/bluesmantaka/?asin=B00I7PO4FW)のアプローチや内容と少し共通していたからだろう。

唯一の被爆国である日本人にこそ核エネルギーを平和利用する権利があるはずだ、という時代の雰囲気について書かれた文章で思い出したのはなぜか柔道についてだった。

たとえ大きく体格の異なる相手であっても、敵の強い力をうまく利用しさえすれば最終的に勝つことが可能、だなんてまるで武道みたいじゃないかと思ったからだ。当時としてはごく当たり前に、真剣に考えられた発想だったのだと思う。

3.11以降、まるでかつての原発推進論者が福島を破壊した張本人であって、「いつか破綻すると分かっていながら実利を優先した」悪者であると烙印を押された感があるが、実際のところ戦後すぐの雰囲気はけっしてそうではなかった。

本書が指摘するのは「たしかに当時はそうだったかもしれないけど、考えを修正するチャンスはたくさんあった。現に多くの大衆作品はそれらを適確に表現し、国民の多くも徐々に危機感を感じていたに違いないが、しかし政策や産業はあまりにも動くのが遅すぎた」という戦後史の一面である、と感じた。

現代に生きる日本人に必要なことは「原子力・核さえなくせば何とかなる」という発想だけではなく、「原子力・核では見事に失敗した。もしあの時代に戻れたらどう振る舞うべきだったのだろう」という観点と、たとえば50年後の2065年に「2015年の段階でもっと真剣に考えるべきだったのに」、なんて後悔していることが実はいま進行してるんじゃないか」って冷静になる態度なのだと思う。

そのヒントはその時代の大衆作品にもあるのかもしれない、と考えさせられた。
酒場詩人の流儀 (中公新書)
吉田 類 / 中央公論新社 (2014-10-24)
読了日:2015年3月30日
妻が買った本を借りて東京出張中に読んだ。僕らにとって吉田類とは酒飲みのカリスマであって、HDDレコーダーに自動録画されてる彼の酔っ払い番組を見ながらスクリーンのこちら側でも乾杯するのが夜の楽しみという、いうなれば僕ら夫婦の常連さんなのである。

でも本書の語り口はいつも後ろ手に組んでろれつの回らないまま次の店へと消えていく吉田類のイメージとは少し違った。著者はきっと実際に見ている世界を描くよりも自分の脳内に映し出される内的な絵をみている時間が多いのだと思う(いつも酔っ払ってるのはきっとそのせい?)。ただの風景の描写がそのまま想い出と重なり美しい詩となっていく。まるで物心ついたばかりの少年のようだ。

2011年の震災以降しばらく僕は酒場放浪記を見ると特別の思いが湧き上がってきたものだ(もうひとつ、ブラタモリも)。僕らの愛した東京の下町を以前と変わりなく練り歩き、美味い旨いと飲み食べ歩く彼の笑顔にはずいぶんと癒された。本書を読みながらたぶん彼は意図的にやってたのだろうなあってふと思えてきたのは収穫だった。
NHK「100分de名著」ブックス ブッダ 真理のことば NHK「100分de名著」ブックス
佐々木 閑 / NHK出版 (2012-06-22)
読了日:2015年3月19日
著者のKindle本はこれで3冊目となるけどついつい買ってしまう。
現代の科学と釈迦の仏教の類似性を感じさせながら、より理屈っぽく物事を理解しようと試みるタイプの人間にブッダという存在が過去挑んだことを解説しようと試みる本。
いま日本で普及している仏教とはだいぶ様相の違う釈迦の時代に考えられた仏教をいまいちど見直してみることは、山積する現代の悩みを解決に導く何かの糸口になるのかもしれない。
グアテマラの弟
片桐 はいり / 幻冬舎 (2007-06-01)
読了日:2015年3月15日
片桐はいりの本を読んだ、と妻に言ったら「あら私持ってるよ」とこの本を取り出してきた。すぐさま読み始め、週末であっさり読了してしまった。彼女のニュートラルでイノセントな言葉を読んでいるとこちらにまでその素直な人間性がインストールされた気になる。
いちど夫婦でグアテマラに行こうと計画したことがあったけど、ちょうど震災とかなんだで中止にしてしまっていた。それなりにグアテマラやシティのことは調べていたからなおのことまだ見ぬグアテマラ世界がページから浮かび上がってきた気がする。
通信手段の発達で地球が狭く小さくなっていく過程が描かれており、この感覚は20世紀から21世紀に生きた人類にしかもう味わえないのだろうなあと思った。
旅と家族とはつねに相反する概念だと思っていたけど、奇跡的にここではそれらが見事に重ね合わさり誕生と再生を繰り返す。いつかまた旅に出るときカバンに仕込んでおきたい本だと思った。
NHK「100分de名著」ブックス 般若心経
佐々木 閑 / NHK出版 (2014-01-24)
読了日:2015年3月15日
キンドル日替わりセールで。般若心経についてはほとんど何も知らないので100分300円で学べるのならそれも良いかなと買ってみた。結果は大正解(100分以上かかったけど)。読みながら気づいたけど佐々木閑氏の本は昨年もKindleで読んでたのだった(http://mediamarker.net/u/bluesmantaka/?asin=B00C4055U4)。

逆説的だけど般若心経に触れながら、むしろ釈迦の仏教について解説されている気がするのは僕らが通常持つ仏教のイメージが般若心経的だからだろう。

"『般若心経』の世界観を端的に言えば、「分析の否定」ということになるでしょう"と著者は書く。逆に言えば釈迦の仏教はとことんまで分析的で理屈っぽく、何ごとも定義した上で理詰めの納得を得ようとする。それたに対して般若心経は「いいから信じてみようよ」と説く感じだ(と勝手に受け取ったのだけど)。

昔の偉い人たちが考えたのだからまずは身を委ねてみよう。唱えると安心して安らかな気持ちになれる。
遠い昔、そうでなければ救えない心がたくさんあったのだとおもう。
もしかしたら今でもそうかもしれない。何か不思議な力が宿った文字列の力、みたいな。

僕は元来理屈っぽい人間だからたぶんそれだけではモヤモヤしてしまうと思うけど、それでもいつかそんな境地に至るのかもしれない。まだわからない。
はじめての福島学
開沼 博 / イースト・プレス (2015-03-01)
読了日:2015年3月15日
著者はかなり怒っている。猛烈な怒りがこの本を書かせたのだと思う。
彼が怒っているのは「情緒に流された無関係な人たちによる福島いじめ」に対してだと感じた。

たとえば「スティグマ」という言葉について彼はのべる。「負の烙印」という意味だという。
いまや福島はスティグマ化されたと彼は訴える。考えてみると世の中でヘイトスピーチと呼ばれる言説の大半は「スティグマ化」で説明できると思う。僕だって何かをスティグマ化した発言をしているかもしれない。
SNSが浸透し以前に比べて発言の機会が増えた時代には、自分の発言には慎重すぎるくらいでないといけないと痛感した。


最後に彼が訴える福島へのありがた迷惑12箇条はとても辛辣だ。
https://cakes.mu/posts/8559

自分だって無意識にそんなことをやってきたのかもしれない。
無意識だから許されるというのであれば世界中の差別やいじめも正当化される。
まして善意に基づくのだから許される、などと思い込んでいたらなおのこと罪深い。
分かりやす過ぎる安易な物語に流されることなどそろそろ止めて、いまいちど当事者たちの声に耳を傾けて問題解決に取り掛かる時期なのだと思った。
いちえふ 福島第一原子力発電所労働記(2) (モーニングコミックス)
竜田一人 / 講談社 (2015-02-23)
読了日:2015年3月14日
1巻から続けて一日で読む。1巻目の勢いというか思い入れみたいなものが少し落ちたことでより日常感が浮き出た。トーンダウン、かもしれないけど作者の迷いが少し消え、主張したいことが定まったせいでもあると思う。その意味でも戦記物って感じがする。今後も続いてくようなので機会を見て読み続けたいと思う。貴重な証言には変わりないと思うからだ。主張はいろいろあると思うけど。
いちえふ 福島第一原子力発電所労働記(1) いちえふ 福島第一原子力発電所労働記 (モーニングコミックス)
竜田一人 / 講談社 (2014-04-23)
読了日:2015年3月14日
4年目にふと買ってみた。初回だけは発売時に週刊誌を買い求めて読んでいたのだけど続けて読もうかなと2冊まとめてダウンロード。福島第一原発がらみの本は一時期集中して読んだつもりだけど、数年経つとそろそろ細かいところがあやふやになってくる。漫画というスタイルはそんな時にとても近づきやすく、パワフルだ。パワフルすぎることもあるかもしれない。
漫画という表現の方法について異論あるかもしれないが、僕はこの本が事故から比較的近い時期に出されたことはとても貴重なことだと思う。

読みながらどこにでも日常は発生し継続するのだなあと思った。
戦記を読んだ時もそう感じた。人間の強さでもあり怖さでもあると思う。日常の力強さとその魔力をいつも意識し、相対化し続けることでしか人類は次へ進めないのかもしれない。次にも日常があるのだろうけど。
ニッポンの音楽 (講談社現代新書)
佐々木 敦 / 講談社 (2014-12-17)
読了日:2015年3月14日
Podcastで作者のインタビュー番組を聞いて買ってみた。
僕とまったく同い年の作者による日本の音楽論はとても興味深いもので数日で読み切ってしまった。
1970年のはっぴいえんどから最近の中田ヤスタカまでの物語だ。僕が音楽を意識して聴き始めたのはラジオに熱中しはじめた1975年くらいからだから、第一章と第二章のはっぴいえんど、YMOについては「そう、そう」と頷きながらページをめくった。でも第三章の渋谷系と小室系になると90年代は仕事ばかりしててほとんど邦楽聴いてなかったので「へぇそうだったんだ」と断片的な理解を繋ぐ読み方となり、最後の第四章の中田ヤスタカの話になると2000年以降かなり音楽に戻った生活を送ってることもあり「あ、知ってる」みたいな、ちょっと自分史的な読み方ができた。

日本の音楽市場が米英と繋がっていない時代にはその落差を利用した音楽家の存在が許されたけど、次第に情報格差がなくなり始めると彼らの立ち位置が大きく変わっていく、という見方は面白かった。きっと音楽だけではなく多くの仕事もそうなのだと思う。追いつけ追い越せの時代はいまよりもシンプルだった。僕の仕事する業界もたぶんそんな経緯を経てきたはずだ。

最後に坂本龍一と中田ヤスタカが二人して「実は歌詞が頭に入ってこない」と答えていたのは面白かった。実は僕もそうなのだ。だからといってどうってことないけど。
イスラーム  生と死と聖戦 (集英社新書)
中田 考 / 集英社 (2015-02-17)
読了日:2015年3月8日
人によって立場によってさまざまな見方がある問題はできるだけ広く多様な考えに触れておいた方が良いと思って買ってみた。ずいぶん昔に著者のTwitterを見てたときはなんだか変な人だなあというイメージがあったけど本書はとても落ち着いて書かれている。

宗教とは創造主と人類との約束事だという。たとえが許されるかわからないけど、それって今使ってるパソコンの世界でいえば、スティーブ・ジョブスとMacOS Xとの関係みたいだと思いながら読んだ。そういえばこないだまでWindowsとMacとどっちが素晴らしいかで熱く語ってた。

となれば国民国家、近代国家、あるいは領域国家とはアプリケーションソフトみたいなもんだ。最初はMacでしか動かなかったExcelもWindows版がでたら双方で読み込めるようになった。そうなるともうOSの違いよりも「Office互換かどうか」が重要となってきた(Lotus123ユーザーだった僕は当時辛かった)。

しかし最近ではクラウド全盛となってもはやOSが何であろうとネットにさえ繋がってたらGoogleスプレッドシートでこと足りるようになってきた。マシンも選ばずアプリさえも必要としない。データファイルだってどこにあるのか良くわからない。でも何となく仕事はできちゃうしまあいいのかなって。

何の話だったっけ。そう宗教だ。
僕はずっと宗教は古い時代のもので、その後国家の時代がきて、将来は地球統一政府になるのだと思い込んできた。そういうSFが全盛だった時代に育ったからかもしれない。

でも今起きている現実はそこからあまりに遠い話ばかりだ。古い昔話だと思い込んでいた創造主との約束事を巡って大量の武器が使われ、軽々と命が散っていく。人類の統一の夢とか民族自決とかそんな言葉もあったよねえという時代が到来しかかっている。

理想を追う前にまずは歴史を振り返らないといけない。古いとか新しいとかといった基準でなく、人々がそれぞれに信じていることに興味を持ち、話を聞き、説教する前に理解をしなければならない。

そうすればいたずらに恐怖を抱き合ったり、排除したりする必要もなくなるのかもしれない。
そんな過程を経ることで僕らは創造主の気持ちにちょっとだけでも近づけるのかな。
沖縄の不都合な真実 (新潮新書)
大久保 潤 , 篠原 章 / 新潮社 (2015-01-16)
読了日:2015年3月4日
ラジオで何度かこの本の話を聴いて読もうと思っていたところでAmazonに勧められてついで買い。
ほぼ1日で読んでしまった後、何回か読み直した。折しも普天間と辺野古を巡るニュースが毎日報道されている時期だけに強烈な印象を受けた。もちろんここに書いてあることだけがすべて真実かどうかは分からないけど、社会的な問題について考えるときに大切な態度について、考えさせられた。

第一に「沖縄が」「日本政府は」「アメリカが」といった大きな主語を使うべきでない、ということだ。本書が描くのは主に「沖縄には明白な階層がある」という点である。既得権をどう維持するかに熱心なエリート層とそうでない庶民との格差が日本のどこよりも大きく、かつそれらが政治的であるという指摘がなされている。だから「対沖縄」という大き過ぎる括りで対応をするたび問題がこじれていくのだという。
日本政府にだって左右の政治家もいれば官僚もいればマスコミだってエリートから過激派までいる。米国だって軍部から共和党も民主党も原理主義者もいれば一般消費者もいてそれらはすべて相互に重なりあい、場面に応じてさまざまなペルソナを使い分けている。もちろん僕だってそうだ。分かりやすいからといって物事を単純化しすぎるとまるで違う物語が産まれてしまう。

第二に被害者ポジションの麻薬性だ。沖縄に限らずあらゆる問題解決の場面において、人間は政治的に振る舞う生物だ。政治はときに大衆の”情緒”を利用する。被害者という立場は得てして暴走を許す。でもそれはあくまで「政治的」なゲームにすぎないことを当事者ではない者は意識すべきなのだと本書は訴えかける。政治的に利用される情緒にナイーブに流されることは、当事者以外の人間性をくすぐってくれるけど、それだけで問題が解決するほど人間社会はナイーブではないということか。

第三にナショナリズムの麻薬性だ。本書は「沖縄ナショナリズム」について元来「米軍による政策」の結果だと指摘する。ネット上では「中国が沖縄独立をそそのかしている」ことになっているようだし、そうでなくても基地は要らない、という声は基本的に反米だと思いがちだがそうではないのだというのだ。何が真実か僕には判断できないけど、そもそもナショナリズムにはロジカルな整合性など必要ないのかもしれない。ナショナリズムはいつでも熱狂的な運動に発展するだけの甘美な魅力を備えているのだと思う。現実の問題を解決しようとするならば、麻薬的なナショナリズムは少しでも遠ざけておくべきではないかと思った。

米軍基地が返還され巨大ショッピングセンターがオープンするらしい。土地を貸しているより雇用も経済効果も上がるから沖縄のためになるのだと歓迎されているそうだ。今後も基地が返還されるたびそんな景色が増えていくのだろうか。それは長期的に沖縄が望んでいる姿なのだろうか。

いかにして早期にいまある問題を解決し、解決後にどんな理想を実現しようと考えるのか。
沖縄問題に限らず僕らが常日頃接する社会的な問題に向き合うときの態度について考えさせられた本だった。
その「つぶやき」は犯罪です―知らないとマズいネットの法律知識―(新潮新書)
神田 芳明 , 香西 駿一郎 / 新潮社 (2014-05-16)
読了日:2015年3月3日
某企業で社員向けIT講座なんてやってるのでその教材にどうかなとダウンロードしてみた。風呂の中で読んでしまった。なるほどなるほど。グレーだと思ってつい踏み込んでいたことも法的にはアウトだってことがたくさんあるのだと知った。たとえば「アーティストのためを思ってネットで宣伝してあげたのに」というブログが著作権法違反になるとか。善意や意思は無関係なのだ。

著作権自体にはいろいろと言いたいこともあるんだけど、現行法で定められている以上はそれを知った上で節度ある行動をしないと主張も通じないだろう。

いずれにせよこういった事実はまずそろそろ社会として国民に認知させる時期かもしれない。道路交通法を徹底させるのと同じように。
キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)
J.D. サリンジャー / 白水社 (2006-04)
読了日:2015年3月1日
去年ブックオフで買った村上春樹シリーズだが本作はいつまでも本棚に置いたままで手に取ろうとしなかった。これまでも何度か話題になり、いつでも読む機会はあったはずなんだけど、1980年にジョン・レノンを銃殺したチャップマンがこの本に影響を受けたと報じられて以来、何となくコノヤロー的な気分で遠ざけてきたのだ。35年も経って読むことになった。

などと気負って読み始めてみたものの、衝撃的な物語として読めたわけでもなかった。35年前の15歳が読めばそれなりに衝撃だったのかもしれない。でもジョンよりさらに10歳も歳を取ってしまった僕には「あーそんな気持ちわかるなー」などと余裕すら感じて楽しめてしまったのだ。イマ風に言うと厨二病マックスで背伸びした少年が虚勢を張りながらでも意外な素直さでもって大人たちのどんよりとした世間に挑戦していく話だと思った。なんかオシャレすらに読めてしまったのは翻訳のせいかもしれない。調べてみたら村上氏が本作を翻訳出版したのは彼が54歳の時らしい。

機会があれば原著は無理でも野崎氏の訳でも読み直してみたい。60歳くらいになってからそうすればまた今回と違う読後感が得られるのだろう。
ドキュメント御嶽山大噴火 --生還した登山者たちの証言を中心に救助現場からの報告と研究者による分析を交え緊急出版!-- 【地図付】 (ヤマケイ新書)
山と溪谷社 / 山と渓谷社 (2014-12-01)
読了日:2015年2月28日
名古屋から帰る日に地下街の本屋に積んであったのを見つけて立ち読みするうちにこれは読まねばと思った。たぶん村上春樹のアンダーグラウンドを読み終えたばかりだったからだろう。不意に極限状況におかれたとき、自分ならどうするものだろうかと思うと山登りをしない僕にも他人事ではない。

3.11の記録を読んだときにも思ったけど、極限状況の現場におかれても我々はほぼ冷静にやるべきことを行い他人を助け悲劇を受け入れながらも生への可能性を忘れたりしないという、とても優れた特性を持つ生命体なのだなあと思う。別に日本人だからとかいうわけでなく、しっかりと教育を受け成熟した現代人であれば世界中どこにいってもそうなのだと思う。だけど組織として対処しようとするとどうしてもうまくいかないようだ。もしかしたらこればかりは日本独特なのかもしれないけど。

分かりやすい結論や教訓などは書かれていない。だからこそ生の声を読み返しながら危険とは、リスクとは、仕事とは、生きる楽しみとは、なんてことを考えるのは少し前に読んだアンダーグラウンドとまさに同じだった。
アンダーグラウンド (講談社文庫)
村上 春樹 / 講談社 (1999-02-03)
読了日:2015年2月18日
去年突然思いついて村上春樹作品を大量買いしたのだけど、最後まで残っていたのが本作だ。出版直後に読んだ妻が「これは重たいから覚悟して読まないと」と言ってたせいだろう。そういえばもう2015年2月になっている。地下鉄サリン事件が起きた1995年3月20日からもうすぐ20年となる。それまでには読んでおかねばと手に取った。

1995年3月20日僕はどこにいたんだっけ?当時使っていたシステム手帳に記録してたはずだけどどこかに消えてしまって確かめることができない。2月いっぱいはアメリカを旅していて3月に入って忙しく飛び回っていた30歳なりたての新米パパだったはずだ。神戸の震災ニュースが収まらぬうちに起きた地下鉄サリン事件のニュースは鮮明に覚えているつもりだった。でも本書を読み始めてすぐそれは錯覚だとわかった。ものの見事に脳内で風化させていたのだ。

当時は東京の地理も地下鉄もほとんど知らなかった。でも2010年から4年ほど東京で生活したおかげで今なら各駅の風景が実感を伴って浮かんでくる。この本で証言する被害者たちの年齢に20を足すと今の僕になるのか、と気づいてからは30歳と50歳の両方の立ち位置から読むことができ、つまり僕は2015年の僕という視座でこの作品と向き合ったわけだ。

この本が示しているのはオウムという思想、組織の狂気や恐ろしさばかりではないと直感した。通勤という都会にすむ日本人が信じて疑わない常識の強靱さが繰り返し呈示されるのだ。そんな日本はポアしてやるのが自分らの義務だとばかりに独善的なオウムはサリンテロを仕掛けた。もちろん多くの犠牲を出しいまだに解決できていないことは事実だけど、それでも結果的に彼らのテロは失敗に終わったといえる。変化は起こらなかった。20年経っても東京人は毎朝変わらぬ態度で通勤を続けている。テロは(ほぼ)無力だった。

村上作品において都市の地下とは我々が触れてはならぬ異世界の生物たちが支配する場所である。彼はそこに通路を掘り仕事への通路として使う現代人と、そこを戦場に仕立てようと試みた狂人たちのぶつかり合いを描こうとしたのかもしれない。その意味で本作は単なる記録に留まらぬある種の危険性を抱えていると思う。だから読後ずっと心がざわざわしてしまうのだ。妻が伝えたかったことはきっとそういうことだろう。

ところでもし2015年に同じ事件が起きたとしたらこの本は成立するのだろうか。僕はそう思えない。なぜなら乗客の多くがスマホを握っているだろうからだ。事件の一部始終は写真や動画で撮影され、あっというまにSNSを通じて世界中に拡散されていくことだろう。加害者側の記録でさえ同時に伝えられることだろう。

つまり僕らはネット端末を持ち歩くことでアンダーグラウンドという空間を日常空間に取り込んでしまった。しかし一方で今度はサイバースペースをアンダーグランド化してしまおうとしているようだ。シリアから投稿される残虐な動画について考えるとそれは明かだ。

20年という時間はそういう変化をもたらしたのだと気づいた。そうなるとオウムが指一本触れることのできなかった地下の空間をスマートフォンがじわじわと侵食していく妄想が僕の頭から離れない。
もぎりよ今夜も有難う
片桐はいり / 幻冬舎 (2014-09-26)
読了日:2015年2月15日
これもたしかお薦めメールで。マメブの女として脳内でカテゴライズしてた片桐はいり女史、実はとても優れた文筆家でもあるってことは何かで耳にしていた。
風邪気味だったのでKindleをジップロックにいれ、長風呂の友として読んだのだけど、ついのぼせてしまうくらいにページめくりが止まらず、二日ほどで読了してしまった。

映画好きを自称する人の多くはたいていガチなコダワリを持っていて、それを軸に「私に言わせれば」論を展開する傾向にあり総じて面倒くさいなあ(いや褒め言葉ですよ)思ってるんだけど、片桐女史の綴る文面からはいっさいそんな気合いを感じることがない。冷静に考えたらもう完全にアッチ側にいっちゃってる経歴や体験の持ち主に違いないのだけど、さほど映画にこだわりのない僕と同じような感覚で生きている人なんだって気がしてしまうのだから不思議だ。

こういうのって良いなあ、って思う。ハングリーだけどガツガツしてない感じ。流れてきたものを素直に受け入れ気がついたら自分流に料理してしまってる感じ。
だからふらっと流れ着いてきた彼女の文章をまたいくつか読んでみようと思う。
仕事で使える!Chromebook ビジネスマンのクラウド活用ガイド 2015年7月最新版 (仕事で使える!シリーズ(NextPublishing))
深川 岳志 / インプレスR&D (2015-07-14)
読了日:2015年2月13日
何となくAmazonのオススメ本を探しててダウンロードしてみた。
Chromeブックは去年の暮れくらいから注目していて、1台買おうと思っていたからだ。
ここ数年、仕事の大半はネット接続+ブラウザで完了するようになった。
主にGmail、Googleカレンダー、Googleドキュメント、そして各種SNSだ。
他に毎日使うアプリと言えばEvernoteとiPhotoくらい。データ類はほぼすべてクラウド上に同期している。
あとは別に毎日使わなくても良いかなあってアプリだから、ちょっとした出張なんかにはブラウザだけが立ち上がるChromeブックで十分なのかもしれない。

そう思ってざっと読んでみたけどさほど間違ってないことはわかった。
でも実際に使ってみないとこればかりは。
しかし立て続けにデジタルガジェットを買ってばかりなので、今回は妻の許可を得るのに苦労しそうだ。
そうだ、だったら妻のPCをこれに買い替えてやれば良いのか!
恋するソマリア
高野 秀行 / 集英社 (2015-01-26)
読了日:2015年2月4日
「謎の独立国家ソマリランド」をKindleで読み終えしばらくアフリカの夢に浸っていたら、Amazonでこの本が発売されると知りすぐに予約、今度は紙の本だ。
巻頭グラビアに想像するよりほかなかった前作の登場人物たちが登場していたのは嬉しかった。そしてだいたい想像通りだった。でも著者は思った以上におっさんだった(笑)。
前作はどちらかといえばジャーナリスト的だったのかもしれない。本作の方がより「旅をしている」という感覚が伝わってきた。失敗したり喜んだりときめいたり驚いたりする著者の姿に読んでいる方も一喜一憂する感じ。そして最後はなんと!といっしょに仰天するのだけど、まあそれもありかもなあと分かった風な感想を述べたくなるのだ。

本書を読んでいる頃ちょうどシリアでのISIS人質殺害ニュースが日本中を駆け巡っていた。日本でテレビをみていると何でそんなおっかない場所にわざわざって思ってしまうけど、この本に書かれているエピソードだってあと一歩違った結末だったら同じように報道されていたことだろう。結論めいたことは何もわからないけど、でもこうやって現地に入り、日本語で伝えてくれる人がいるから僕らは異なった世界の日常に思いを馳せることができるのだ。
英語はいかにして英語になったか?: 「英単語成立史」の視点から
晴山陽一 / 晴山陽一 (2014-10-28)
読了日:2015年2月3日
日替わりセールで。読む前には予想していなかったのだけど、基本的にイギリス史について短く書かれた本だった。昨年暮れにイギリス史についてはいくつか本を読んでいたのですんなり頭に入ったのはいいのだけど、一つ一つの単語についてまで記憶できたわけではない。
でも英単語の中にはなんとなく古くさいもの、フランス風に洒落たもの、ラテン語風にひねくれたもの、ギリシャ語風な情緒あるものが潜んでいるってことがわかったことはよかった。
それは日本語における漢語や南蛮語、そしてアメリカカタカナ語との融合とよく似ていて、親近感を得るものだったからだ。
もうひとつ、英語の発音がローマ字表記からずれにずれたのは比較的近世の話だということも。日本人の
ベタなローマ字発音を恥じる必要はないのだと勇気を得る。
イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北 (集英社新書)
内藤 正典 / 集英社 (2015-01-16)
読了日:2015年1月30日
イスラム国に関する本では黒井氏「イスラム国の正体」のに続いて2冊目となる。結論から言えば「両方を読んでみてよかった」となる。双方に共通する指摘もあるが、考え方としてはかなり異なっている。黒井氏は武力の介入をさらに徹底することでこの問題を解決すべきと考える。一方で本書の内藤氏は武力の行使は禍根を増やすばかりで解決には繋がらないと説く。専門家でない僕は単純な判断を下すことができない。

ただ医療にたとえて考えてみる。歯にむし歯ができたとする。放っておけば感染は広がり他の歯も危うくなる。できるだけ早期に抜くべきだ、という考えがある。あるいは悪いところを削り、金属やプラスチックで補修しようとするのが歯科医療の主流だった。
ところが今世紀に入る頃からその考えとは別の治療法が主流に変わりはじめた。すなわちまずは予防が大事だという考え方だ。そのためには患者さんの食生活にまで介入する。歯ブラシはもちろん、むし歯が発生するメカニズムを知ってもらい、どうすれば予防できるかという知識を十分に与えることでまずはむし歯の発生を最小限に抑えようと考える。次にむし歯の発生を確認してもすぐさま抜いたり削ったりはせず、その進行具合を細かく観察した上で、自然治癒できる範囲であれば経過観察に留めようとする。それでも駄目ならできる限り小さな範囲を切除し、徹底的に悪くはなっていないがすこし心配な周辺部分は削らず、その他の方法で長期経過をみようとする。その間にも患者さん自身に口腔内を清潔に保ったり間食を止めさせるような指導を強化する・・・といった治療法が歯の世界では確立されつつある。

イスラム国の話に戻るけど、宗教的対立や先進国との歴史的な確執はこれから先もなくなることは無いのだろうと思う。だとすれば「悪いところを取り除く」という手法には限界があるのではないか。地球上を滅菌することはできない。たとえば口腔内を徹底的に滅菌するためにはまず患者自身を死体にしないと無理なように。

この本のハイライトは同志社大学にアフガニスタンの政府側要人とタリバンを呼び、その夜近くの居酒屋でともに鍋を囲んだシーンだと思う。読みながら涙すら浮かんだ。柄にもなく感動したのだ。武器より鍋なんだ。きっと遠い昔、戦国時代の武将たちも京都のどこかで思わぬ相手と鍋を囲んだりしたのではないか、なんて想像した。と同時に日本人ジャーナリストの首を切った黒服の男も今ごろ眠れない夜を過ごしているのじゃないか、と想像した。

まとまらない感想になってきた。でも僕はこの本を読んで良かったと思った。
太陽・惑星
上田 岳弘 / 新潮社 (2014-11-27)
読了日:2015年1月26日
Session22に出演した豊崎社長の書評を聞きながらその場で注文した。ハードカバーのSFなんて久しぶりかも。
タイトル通り「太陽」と「惑星」に二つの小説が収められている。だけど二つの物語は近接していて意識しないと読みながらも混じり合っていく。人間がその寿命という制約から逃れたとき、時制という感覚も曖昧になるに違いない、と思えてくる。小松左京のようなスケールで人類は太陽系を金に進化させていくというおとぎ話のようなSFのような伝奇小説のような。

惑星も面白かった。人類のよきことに忠実なフレデリック・カーソンはGoogleなんだろうとか、いやジャレドだとかいろんな妄想をあてはめながら何度も読み返すに足る作品に違いない。

読みながら脳裏に浮かぶのはやはり初期エヴァンゲリオンのAirだろう。筒井康隆の古い小説「幻想の未来」をも思い出す。平行して読んでいた宮台真司が盛んに語っていた「フィールグッド・ステイト」というキーワードにも敏感に反応した。
またすごい若手が出てきたもんだ。
イスラム国の正体 (ベスト新書)
黒井 文太郎 / ベストセラーズ (2014-12-09)
読了日:2015年1月25日
日本人拘束事件の真っ只中なので、ちょっと勉強しておこうかと検索して買ってみた。
丁寧に解説されているのはまさにリアル北斗の拳な世界だがすべて現在進行形であること目眩を覚える。著者は米軍による徹底介入、さらにはアサド政権をも打倒することでの解決を提案しているようだ。
乱立するグループの歴史についてはぜひ高野秀行氏あたりが平氏源氏北条氏徳川家あたりに喩えてもらうとわかりやすくなると思うんだけど時節柄無理か。

読了後、日本人2人の殺害という衝撃的な事件が起こった。国内も大騒ぎとなった。ある者は彼らを殲滅せよと叫びある者は世間を騒がせた二人を糾弾し、またある者は政府の対応を非難する。いったいこの問題はいつの日か解決することがあるのだろうか。著者が主張するように、適切な武力を適切な時期に行使することではたして世界はまた安定へと向かうのだろうか。僕にはわからない。分からないけど少しでも多様な情報を得ながらひとつの考えに固執したりしないように生きていくしかないのだと思う。

プロローグ 内戦が生んだ自称国家
第1章 殺しの軍団
第2章 イスラム国~その出自と成長
第3章 怒涛の進撃
第4章 オバマVSイスラム国
第5章 イスラム国の知られざる実像
第6章 ネット戦略と海外ネットワーク
第7章 イスラム国はなぜ残虐なのか
第8章 イスラム国の今後
孤立死 あなたは大丈夫ですか? (扶桑社BOOKS)
吉田 太一 / 扶桑社 (2010-12-22)
読了日:2015年1月24日
ジップロックに入れたKindle PaperWhiteを風呂場に持ち込み、だらだらと読むのが最近の趣味なんだけど、果たしてこの本がその状況に適してたかどうかはわからない。でもほとんど最後まで一気に読んでしまった。
幸いなことに身内の不幸がほとんど無い状況が続いているけどこれから先はどうなるか分からない。
ここに書いてある通りみんながワガママだけど憎めない老人になればよいのだろうけど、現実には大人しいのになぜか憎まれる老人になってしまいそうな気もする(少なくとも自分は)。気をつけよう。
Amazon日替わりセールでダウンロード。
謎の独立国家ソマリランド
高野秀行 / 本の雑誌社 (2013-02-20)
読了日:2015年1月16日
正月明けから小難しい本ばっかり読んでたらなんか疲れてきて心だけでも他の大陸へぶっとべる話をと読み始めた。いつもの高野節にニヤニヤしながらページが進む快楽。高野秀行の本にはイスラム飲酒紀行以来、すっかりハマってしまい、夫婦で回し読みしながら読み終えると次の本へ、と終わるところを知らない。
しかしこの本はいままでと別格だった。おそらく著者の入れ込みようもいままでよりも深かったように感じる。
最初は気軽な旅行記として読んでいたのだけど、その途中でイスラム国による日本人誘拐という衝撃的なニュースが始まった。テレビでイスラム世界のおどろおどろしさが繰り返されるなか、Kindleに目をやれば人間性溢れるソマリア人たちの日常が描かれる。でもその奥にはついこの間まで悲惨を極めた内戦の歴史があるのだ。どうしたものだろう。シリアやイラクもいつかソマリランドのような平和が訪れるのだろうか、と読みながら何度も思う。宗教や氏族を西洋の単純な理屈で分断した結果の内戦という意味では共通する点が多いと感じたからだ。

読み終えるとソマリランドに平和をもたらしたのは長い時間をかけて社会に蓄積された智恵であったことがわかった。そして「たいした資源もないこと」「内戦を繰り返したからこそ戦争の終わり方を知っていること」がソマリランドが戦争を終わらることができた要因だと指摘する。

読了後、彼らソマリア人のそうした智恵こそが衝突を繰り返す地域にまっさきに輸出されるべき最重要の資源なのでは、と感じた。
最貧困女子
鈴木大介 / 幻冬舎 (2014-11-07)
読了日:2015年1月15日
散歩中、PodcastでSession22で著者の出演する回を聴きながらその場でダウンロードした。読み始めてからは、ほぼ1日で読んでしまった。これまでに想像もしたことのない世界が描かれていた。これは都会またはその周辺都市にだけ見られる世界なのだろうか。地方都市にもこんな人たちが生きているのだろうか。たぶん生きているのだろう。僕の生きている世界からは見えないところで生活している人たちは確実にいるのだろう。

いったいどうすればよいのだろう。著者と同じく僕はどうしてよいのかわからないまま、読み進め、そして読み終わってしまった。三つの無縁(家族の無縁、地域の無縁、制度の無縁)、三つの障害(精神障害・発達障害・知的障害)を少しでも解決の方向に進めるちからはどこかにあるのだろうか。

いろいろ考え、つまるところ(すこし残念な感じはしたけど)僕にできることでもっとも有効なことは「納税」なんじゃないかって考えに至った。きちんと納税したうえで、このような見えづらい世界にもきちんと制度の網が届けられるように、有効に機能するように見届けることが結局のところもっとも手短な手段なのではないかと思えたのだ。個人で動くには手に余ることだけど、その道のプロを支援することで社会的に包摂していくことができる分野というものもあるはずだ。

もちろん納税さえしとけば義務は果たせた、なんて主張するつもりなど毛頭ない。政府や自治体に任せきりにすることなく地域で可能なこともたくさんあるに違いない。でもだからといって「政治など頼りにすべきでない」という態度を貫くのもなんだか違う気もして。

日本にはもう食うに困る若者なんていないはずだ、と思い込んでいた自分が情けない。
この本で知った「貧乏と貧困とは違う」という言葉はとても重たい。
貧困と、その世代を超えた固定だけはなんとかしないと社会の底が抜けてしまう。
トマ・ピケティ『21世紀の資本論』を30分で理解する!―週刊東洋経済eビジネス新書No.76
週刊東洋経済編集部 , 池田 信夫/平松 さわみ / 東洋経済新報社 (2014-10-01)
読了日:2015年1月8日
翻訳本を買おうと思ったらAmazon品切れだったので先にこちらを読んでみることに。Kindleをジップロックに入れて風呂場でざっと読む。ピケティが主張しているのは「資本主義の宿命として、労働者が地道に働いて達成する成長率よりも、金持ちが資金を元手にさらに儲かっていく成長率の方が大きいことが過去の調査でわかった。だからこのままでは格差が拡大する一方だ。それを避けるためには国際的な連携をしながら所得税を強化し再分配しなければならない」ってことでいいのかな。

だとすればそれは現代日本における平均的ビジネスパーソンの実感とも一致する。
ピケティが中古で出回ったり、電子書籍で販売されたら一読してみようかな。
Androidアプリ開発が5日でわかる本(日経BP Next ICT選書)
安藤正芳 / 日経BP社 (2014-12-11)
読了日:2015年1月7日
iOSアプリとどう違うのかあととりあえずダウンロードして読んでみた。概要としてはなんとなくわかった気がしたけど専門的すぎて細かなところはほとんど理解できず。でもいろいろ大変なことだけはわかった。そして自分で作ろうという考えは消えた。
プーチンはアジアをめざす 激変する国際政治 (NHK出版新書)
下斗米 伸夫 / NHK出版 (2014-12-11)
読了日:2015年1月5日
今年初めて購入した本になった。年末にだれかの書評でみかけ気になっていたことを年始の実家で暇を持て余しているところで思い出し、Kindle購入した。
日本で読むことのできる海外ニュースソースの多くは欧米発のものだろうから、たとえばウクライナ問題に関してロシア視点で描かれることは少ないのだと思う。この本はロシア側からみれば世界はどう見えるのか、という点で大いに参考になる。

プーチンという男の能力を高く評価しつつ、実は彼の原点が古儀式派という宗教にあるという指摘は新鮮だった。またウクライナ問題がカトリックと正教との問題に起因するとも。チェチェンやISISの問題でもそうだが21世紀になってもまだまだ宗教は地球上の大きな争点であることを思い知る。

人口の8割がヨーロッパ側に住みながら資源の8割がアジア側に存在するというロシアが今後アジアへと向かうという指摘はその通りだろう。またこれから地球温暖化とともに北極海の航路が開け、シベリアが農地にとして開発されるという予測など、亜熱帯や温帯に住む日本人からはなかなか出てこない視点だと思った。
ついこの間まで地球上のもう一つの大国であり、日本からはなかなか実態が見えにくいことから時には悪の帝国、時には理想郷のごとく語られたソ連という国が、いまやプーチンという一人の男にその命運を託す国家として広がっている。以前に比べるとその実情を知ることは容易になったはずだ。我々はもっと彼らのことを知るべきだろうと思った。

第1章 シー・チェンジの国際政治
第2章 ウクライナで何が起こっているのか
第3章 ロシア外交の核心
第4章 素顔のプーチン
第5章 プーチンはアジアをめざす
第6章 変貌する国際政治地図

コメント