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熊本地震の記録-3-2016/4/16土 本震から一夜明けた土曜日

すさ2016年4月16日土曜日、本震翌日
しばらくはおにぎり生活
けっきょく明るくなるまでほとんど寝ていなかったように思う。思う、というのは記憶が曖昧だからだ。極度の興奮状態にある人間は火事場の馬鹿力も出せるけど一方で記憶を欠落させたりもするらしい。炊飯器の中にはたくさんご飯があったのでとりあえずおにぎりにしてもらう。断水してしまったからだ。でも妻に聞くと数日前になぜかしら無洗米を買ったばかりだという。しかもミネラルウォーターの買い置きがこれまた大量にあるのだと。先日南三陸に旅行したばかりの妻は日ごろと違う行動を取っていたらしい。なんという幸運だろう。つまりしばらくは白米三昧の暮らしができるってわけで米穀原理主義の僕的には最高だ。

税理士事務所の窓が割れ落ちていた
明るくなったので二人してご近所の見回りに出かける。方々でガラス窓が割れていたりブロック塀が見事に倒壊していたりした。こうしてみるとうちなんか圧倒的に被害が少ないらしいことがわかる。ちょっとした断層の位置なのだろうか。これまた奇妙なほどの幸運だ。ご近所さんは早くから井戸端会議に忙しい。いつもはそんなに仲良く盛り上がってイベントやるって感じでもない地区だと思うけど、非常時の団結は一級品だ。

朝の通りを歩いてみる
通りに出てみると、瓦屋根や塀が崩れた家とほとんど被害を受けていない建物が入り交じっていることが判る。耐震や免震構造、建築時期なども関係しているに違いない。電力は落ちてないことから信号機が機能しており、被災地感はさほどでもない。強い台風の翌朝と言われたらそんな気がするくらいだ。僕らはiPhoneでNHKラジオを聴きながら、ゆれくるがなる度に壁や空の電線を見渡しては広い場所に立ち止まるといったいつもとは違うスタイルで朝の散歩を終了した。

さすがの老犬も怯えたか
家に戻っても余震は続いていた。今年13歳になった柴犬氏はそれほど怯えている風でもなかったけど、やはり人間が大声を出したり怯えた表情をするとそれを敏感に感じるのだろう。いつもより人なつっこくなっているようだ。
しばらく家で休んでいたけどテレビのニュースばかり見ていても仕方がないと感じたし、かといって眠くなるわけでもないので今度はひとりで近所を回ってみることにした。


朝早くから片付けをする人々
はやくも瓦やブロックの片付けをしている人たちがいてすごいと思った。まだ余震が激しいのでしばらくは片付けやめとこうなんて話したばかりだったからだ。それにしてもいつもは会釈程度のみなさんだけど今朝は必ず会話が始まる。どちらからともなく被害はどうだったか、足りないものはありませんか、という感じだ。災害パラダイスってやつかなと一瞬思ったのだけど、いや待てあえて変わった現象として名前をつけるのなら僕らが日常だと思っている会釈程度の関係性の方かもしれないと思い直した。

公園には多くの車中泊
いったん家に戻り今度は妻も加わってまた散歩を始める。家にいるより外にいた方が落ち着く気がしたからだ。近所の公園には多くの自家用車が泊まっていた。昨夜の本震のあとここで夜を過ごしたのだろう。高層マンションに住む人たちなのだろう。この公園は防災用の非常物資倉庫もあるので安心だ。何より近くに建物がないことがいちばんだ。

歩いていると少しずつ気温が上がってくるのがわかる。この地震が真冬だったらきっと体調を崩す人が続出したろうし、真夏だったら脱水症状や熱中症も心配だしヤブ蚊にも悩まされたことだろう。4月中旬に地震が起こったことは不幸中の幸いかもしれない。
何ごともなかったように日が昇る

空を見上げると太陽が姿を現していた。そして何ごともなかったような空が広がっていた。太陽や大気にとってもなんてこともない日常なのだ。マグニチュード7.3という莫大なエネルギー量はこれまで人間が創り出すことのできた力に比べるとまったく及びもつかないレベルの大きさだ。僕らはこの惑星の表層に浮かぶ薄っぺらい地面にへばりついて暮らす存在なのだと思った。それでも人類はこれからしばらく生き残り、そして何かを残していくことだろう。それは素晴らしいことだ。
スーパーマーケットにも列

妻がさすがに眠いと言い始めた。でもどうしても家の中では怖くて眠れないという。僕の経験した地震は本震だけだけど彼女は前震も経験している。だからまだ大きいのが来るはずだ、その時に家が持つか不安なのでクルマの中で寝る方が安心できるという。家の駐車場に犬と三人で寝てみたがそれでも落ち着けないというので近くのスーパーマーケットの駐車場に移動。今度はすんなり眠れたようだ。
墓場はカオスに

僕はあまり眠くないので彼女らを車に残して近くを歩いてみることにした。スーパーは店内に入れる状況にないらしく店頭で限られて商品だけを配っていた。隣の墓地は墓石がめちゃくちゃになっていた。健軍川には大きな異常はないようだけど、やはり古い家の瓦やブロック塀は徹底的に破壊されていた。車の量は土曜日の朝にしては普通か多いくらいだ。人々は元気に動き始めている。
スタンドには長蛇の列

彼女が目を覚ましたあと、カセットコンロのボンベを買いに行こうかと車を走らせる。近所のガソリンスタンドには長蛇の列ができていた。店員さんが列を走り、あるとこで「ここで売り切れです」と伝えていた。その最中にも余震がやってきてスタンドの屋根をガタガタと震わせる。ラジオからはアナウンサーが緊張を押し隠した声で命を守る行動を、と伝えている。ゆさゆさと車が揺さぶられるのが判る。でも妻に言わせると家の中より安心できるのだという。車は揺れて当たり前だけど、揺れるはずのない家が揺れるのは許せないらしい。
開かずの間になっていた納戸を解放

家に戻ると僕には大きなミッションがあった。前震の際に収納物が崩れて開かずの間になっていた納戸をこじ開ける作業だ。引き戸なんだけどすきまに物差しを突っ込んだり、ドライバーをテコにドアを持ち上げたり、最後は連続ライダーキック攻撃を繰り返し、30分ほどの悪戦苦闘の末に納戸は解放されたのであった。そこにあったのはお米、被災グッズ、キャンプ用品一式、そして柴男の食糧などなどである。特にキャンプ用品は心強い。何があろうとどこでも暮らしていける気になってきた。満面の笑みが戻った妻はさっそく納戸の整理に取り掛かった。てか日ごろからやっとけって話だけど。

すっかりお友達
午後3時過ぎ、近くに住むミュージシャン夫婦が訪ねてきた。生後九ヶ月の息子君と愛犬と4人で。聞くところによると住んでいるマンション4階の揺れはかなり激しく、天井が落ち熱帯魚の水槽が割れて室内が水浸しとなりとても生活できる状況ではなくなったので車中泊を強いられているという。もう退屈で仕方がないので遊びに来たよと。僕ら夫婦はなにをおいても息子君(以降、エイトマン)の大ファンなのでもう孫が遊びに来た老夫婦のように大喜び。柴男もすっかりエイトマンに癒されていた。

18時過ぎから二階の仕事場に籠もり、Skype回線を繋げて高知の会議室とでミーティングが始まった。本来ならば僕が議事進行していたはずの会議だ。でも前震のあと熊本に戻って来たし、あの本震の後ではどう考えても物理的に高知行きは無理、ということでSkypeでの参加に変更してもらった。幸い回線は安定していて21時までの2時間強の会議は無事に進行して貰えたようだ。こちらの事情を理解してくださった皆さんに心より感謝するよりほかない。なによりもこのイベントを全力で応援して成功させなければと強く思った。

寝室の窓に目張りしたり
それにしても災難は続くもので今晩は強烈な雨と台風並みの強風が熊本地方を襲うという。会議中もなんどか窓の外を確認したが、たしかに徐々に雨風は強くなってきた。9年前にこの家を建てた時の設計士さんと連絡を取り、さらに大きな地震や地崩れがおきた場合この家のどこがもっとも安全かを教えてもらった。結論としては今日解放したばかりの納戸ということになった。しかしまだ片付いてなくて寝る状態にない。

いつでも脱出可能に
妻は車中泊を希望したが、僕はどうしても納得できなかった。強風で瓦が飛んできたり切れた電線が落ちてきた場合、僕らの小さな車ではかえって危険性が増すように思えたからだ。それよりも鉄筋コンクリート製一戸建ての方がまだリスクは少ないと思えるし、水以外のライフラインが完備した状態で日常と変わらぬ暮らしを続ける方がこれからの長期戦を考えればに有利に違いないと判断した。妻にそのことを話すと納得してもらえたようで、つぎに寝室の改造に取り掛かる。といっても窓にダンボールを貼ったり、タンスに目張りをする程度だけど。
僕らの震度計

それだけでも安心できたし、あとはビールをがつんと飲んで、勢いで眠りに落ちた。窓の外は台風のような激しい風雨が続いていたけど、余震の数はあまり多くなかったようで(慣れただけかも)、明るくなるまでぐっすり眠ることができた。いつまで続くか判らない長期戦には体力とメンタルの健全さがどうしても必要だ。もうこの頃には余震が来てなくてもずっと身体が揺れている感覚にとらわれており、傍に置いたペットボトルの水を見て本当に揺れているのかどうか確認しなければならなくなっていた。ほとんど被害のない僕らでこうなんだから家屋が倒壊したり家具が崩れた家ではなおのこと大変なことだろう。

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