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東京アジト大学卒業論文(4-6) 〜3年生・・・さよならそはら(2012年)

3年生・・・さよならそはら(2012年)

年明けに陸前高田
2012年になったが何となくまだ普通じゃない感じの空気が東京を支配していた。平常に戻ることに申し訳なさを感じてしまうような居心地の悪さが漂っていた。僕はまたバスに乗って大雪の三陸に出かけていったりした。といっても本当にずっと大雪だったので屋内で写真や郵便物の清掃に終始しただけで戻ってきた。部屋を暖かくし惰眠をむさぼりいつものように夕方に向かいの居酒屋「そはら」に出かけると,珍しくマスターが弱音を吐いていた。もう来月あたり店を閉めることになるかもね、次東京に来たらもうお店は無くなってるかもしれないね、そん時はごめんね、とか生ビールを一人飲みしながら寂しく笑っていた。

それから僕のTwitterやFacebookはほとんどそはらの話題一色となってしまった。なんでそうなったのかいまだに良くわからないのだけど、妙な思い入れを感じてしまって、webサイト作ったりFBページを作ったり動画撮ったり、しまいに曲を作ったりねこまたでもバンマスが「そはら」というタイトルの曲を作ったりした。

店じまいするそはらのマスター
マスターは自分で店の片付けをはじめていて、だんだんと店の道具が箱詰めされていったりするんだけど不思議と夜になると店が開けられるのだった。9年前から通い詰めてた常連や話を聞きつけて久しぶりに来たという古い客、亡くなった奥さんのファンだったというオヤジ、バイトの中国人に気のあったおっさん、携帯電話を何本もカウンターに並べて5分に一度は店外でひそひそ話してるどうみても手配師なイケメン、芸術家志望の若者たち・・・なんだか本当にすごい店の前に住んでたんだなとあらためて感心した。

そして本当に閉店してしまった。なんか、気が抜けてしまった気分だった。

不忍池から望むスカイツリー
一方熊本では100歳を迎えた祖母が亡くなったりして、ずっと連絡を取ってこなかった従兄弟らとネットを介して家系図を再構築してみたり、以前の写真を整理したりなどという、ちょっとした振り返りモードに巻き込まれていたのがこの年の前半だったように思う。

首相官邸前
そんな流れのなかで僕は「そろそろ潮時かもな」という気分になっていった。アジトのことである。2月で2年契約を更新するかどうか決めなくてはならなかった。ずいぶん迷った挙げ句、あと2年住んでみることしにた。もっと安い物件に移ろうとか湯島以外の場所に行こうかとか、いろいろ考えたのだが結局はこのまま更新することにしたのだ。

国会議事堂前再稼働反対デモ
東京スカイツリーが竣工したのはそんなころだ。3.11から1年後には熊本で誘われてライブ企画を手伝ったりもした。5月の連休はひとりで東北をうろうろする「みちのくひとり旅」を楽しんだ。他にもアジトを起点に全国あちこち飛び回って仕事していた。6月と7月にはニュースでも話題になっていた首相官邸前の原発再稼働反対デモに出かけてみたりもした。

新大久保の街を歩く
浅草ほおずき市
首都東京は次第に元気を取り戻しているように見えた。蜘蛛の子を散らすように消えていた外国人観光客も戻ってきていた。熊本に戻るたびに自動録画していた「ブラタモリ」と「吉田類の酒場放浪記」を観ながらiPadの地図アプリで東京の街をうろうろしながら焼酎を飲むのが僕ら夫婦のちいさな愉しみになっていた。一時はもう日本も東京もダメになってしまうんじゃないかってすら思えたこともあったけど、これらの番組に映し出されるちょっとした横丁の風情や古い居酒屋の雰囲気を眺めていると、街のエネルギーってのはそんなにヤワじゃないし、大切なものなんだなと思えたのだった。

ベランダの前で街路樹が切られた
3331で夕涼み
アジトから歩いてすぐの3331で夕涼みしたり、不忍池の夕焼けをただ呆然と眺めたり、目の前の道路に佇んでいた街路樹が切り倒されるのを寂しい気分で写真撮ってみたり。一昨年の仙台に続く福岡での大きな学会の仕事があったし、軽井沢や沖縄や北海道にもたびたび出張した。

この1年間は相変わらず東京という街を愛でつつも、アジトを起点に全国に両手を拡げていった年だった。ほんと大学の3年生って感じ。

3年生といえば受験生だった息子が大学進学したいというので8月のはじめに妻とアジトに滞在し、あちこちにオープンキャンパスを見にいくことになった。妻としては久々の東京生活を楽しめると同伴を決め込んだようだが、毎日のように親子げんかの連続だったそうだ。だけど結果として僕の仕事部屋だったアジトは翌年ほぼ母子に占拠されてしまうのだった。

秋になると溜まっていたマイルを使ってベトナムひとり旅に出かけた。1週間ばかりホーチミンからカンボジアまでバスなど使ってうろうろしただけなんだけど、やっぱり世界は広いなと実感できたし、体力さえあれば世界中どこででも仕事できてしまうという体験もできた。

不忍池の夕暮れ
正直に言えばそろそろアジトで生活する理由を見失いかけてたのが2012年だったように思う。いわゆるマンネリだったのだろう。たしかに湯島での一人暮らしは快適で気楽だったし、それなりに刺激もあり、仕事のチャンスも少しずつだが拡がっていた。それでも僕はここに出てきてころの新鮮さを忘れかけていたし、むしろ無理矢理にでも東京で生活することの意義や成果を出そうとあせっていたのかもしれない。


アジトの仕事環境
人間の暮らしや生活というものはただその街や部屋や仕事にだけ寄りかかるものではないようだ。馴染みのお店や常連客、もしかしたら毎朝すれ違うだけの見知らぬ人々までをすべて含んだボワっとした情報の固まりの中に居るとき、僕らはそこに代替不能な何かを感じているのだと思う。

そんな意味でも僕のアジトは思った以上の速度で変わっていったのだった。

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